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熊本県の経済効果は7兆円。TSMCが開く未来ビジョン

熊本県に100年に一度のビッグチャンスが舞い込んできた。TSMCが政府方針によって熊本県菊陽町に誘致されたことを契機に台湾との交流が盛んに行われるようになり、県民の生活は様変わりしつつある。今、熊本県にどのような変化が起きているのか、現地で追った。文=佐藤元樹(雑誌『経済界』2023年12月号「日本半導体の行方特集」より)

TSMC効果を県内に波及。熊本の本気度

熊本

 日本政府は2021年6月に半導体デジタル産業戦略を発表した。その戦略の一環として半導体製造メーカー世界最大手のTSMCを熊本県の菊陽町に誘致した。同年10月、TSMCはソニーセミコンダクタソリューションズ(SSS)とデンソーとともに、半導体製造の合弁会社JASMを設立。同社の工場の建設を熊本県菊陽町で始め24年末に稼働開始予定だ。

 民間金融機関の試算によると、県内経済波及効果は22年から31年の10年間で約6兆8500億円にのぼると発表。すでに県内で30件以上の関連企業の立地協定を締結している。

 効果はそれだけにとどまらず、雇用創出、交流人口の拡大などさまざまな分野に及ぶ。また、台湾の商工団体との経済交流も増え、立地を希望する台湾企業からの問い合わせも増えている。熊本と台湾間で観光を含めた相互交流はますます活発になってくるだろうと県は予測する。

 すでにチャイナエアラインとスターラックス航空の2社が9月から熊本と台北を結ぶ直行定期便の運航を開始して、10月下旬からは2社合わせて週9便の運航となる。

 「熊本県には今、100年に一度のチャンスが到来している。熊本には以前から多くの半導体関連企業が立地していますが、TSMC進出を契機にさらなる企業の集積を目指しています」(蒲島郁夫・熊本県知事)

 なぜ、熊本はそこまで半導体に力を入れるのだろうか。九州はかつてシリコンアイランドと呼ばれ、現在も数多くの半導体関連企業が立地している。九州の中でも熊本は豊富な水資源と広大な土地に恵まれ、現在もソニーセミコンダクタマニュファクチャリング、東京エレクトロン、三菱電機、ルネサスなどの半導体企業やサプライヤーとなる地場企業の集積が進んでいる。半導体製造にとって、これほど恵まれた土地は世界中を見てもそう多くはない。

 熊本県は世界の半導体ニーズを支えることで、県経済の活性化はもとより、「新生シリコンアイランド九州」を実現し、日本の経済安保の一翼を担いたいと考えている。そして県内全域にTSMCの進出効果を波及させる方針だ。

ご当地キャラの共演。台湾色に染まる熊本市

 熊本市と菊陽町を訪ねてみた。まず目に留まったのは、「台湾祭、九州初上陸」と書かれたポスターだ。TSMC効果で台湾が身近になってきたとはいえ、まだまだ知られていない台湾の食文化などの魅力を県内の人々に知ってもらうイベントのPRである。9月29日から3日間行われたイベントで、熊本のご当地キャラ「くまモン」と台湾の交通部観光署で班長を務めるマスコットキャラクター「オーベア班長」の初共演が実現した。熊本と台湾を代表するご当地キャラによる夢の共演だ。

 次に熊本市内の鶴屋百貨店の地下食品売り場に足を運んでみると、フロアの一角に台湾食品コーナーが設けられていた。台湾や海外からの移住者が増えてきていることで、市内の鶴屋に限らず、地元のスーパーにも台湾食材や、ハラル食品などが置かれることが増えたという。

 菊陽町にも台湾からの移住者が増えはじめている。町では関連機関と連携した多様化共生連絡会議を立ち上げ、台湾も含めた海外からの移住者のスムーズな受け入れ体制を整えた。また今年5月から町役場に外国人相談窓口を設置して日本語が分からない外国人に対応できるような体制作りや、英語と中国語で記された生活ガイドブックを作成している。さらに町内の小学校と中学校の各1校が、台湾から移住してきた従業員の子どもの受け入れ拠点校に指定されている。

人口急増で上がる家賃。始まった交通渋滞

 不動産事情も変化している。菊陽町西側に位置する町内最大の繁華街光の森地区にある不動産屋で話を聞いたところ、まず町内の賃貸物件の家賃が平均で5千円から1万円ほど値上がりしている。そして菊陽町内全体で物件が圧倒的に足りない状況で、新しい物件ができても即完売。特に台湾人は物件の内覧をすることはほとんどなく、空いている物件があれば即購入することが多いという。最近では、物件を購入したものの購入者が来日するめどが立たず、来日するまでの間、物件を賃貸として貸し出したいという問い合わせが増えている。話を聞きに行った日にも問い合わせの電話が鳴っていた。

 一部の移住者は菊陽町ではなく、熊本市内に物件を購入または賃貸で確保して、車で菊陽町に通勤している。不動産が足りないだけではなく、交通渋滞も生活において大きな問題である。そのため工場誘致の影響により局地的に人口が増えたことで、交通渋滞も起きている。

 例えば朝の通勤時間帯に熊本市内から菊陽町まで車で移動するとカーナビでは30分から40分程度かかると表示されるが、実際に同時間帯に車で移動してみると熊本市を少し越えたあたりから渋滞が断続的に続き、菊陽町到着まで1時間以上かかった。

 電車通勤の問題もある。工業団地の最寄駅はJR九州豊肥本線の原水駅になり、駅のすぐそばには工業団地を周回する通勤バスの停留所がある。原水駅は広大な畑と住宅に囲まれた小さな無人駅なのだが、今年に入ってから駅利用者は1日平均1千人を超え、毎朝電車を降りた人たちがバスの停留所に長蛇の列を作っている。都会の通勤時の混雑ぶりと遜色ない。今後も原水駅と通勤バスの利用者はさらに増えていく。町はこのラッシュ緩和のために通勤バスの増便と、各企業に対して時差出勤への協力を求めていると同時に、道路の拡幅や立体交差計画も進めている。

 このように誘致に伴うさまざまな弊害も起きている。それでも今回の国家プロジェクトは、熊本県だけでなく九州にとってもこれまでに経験のない大きなチャンスの到来である。混乱はこれからも続くだろうし、想定外の問題も起きるかもしれない。しかし、課題を乗り越えた先には全く新しい文化圏をもった熊本県が待っている。

 次ページでは熊本県知事、菊陽町長の意気込みを紹介する。