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モビリティショーでも大人気「中国製EV」BYDの本当の実力

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大盛況に終わったジャパンモビリティショー。その中で日本メーカー以上に人が集まっていたのが、中国のEVメーカー、BYDのブースだった。BYDは日本での販売を伸ばすべく、販売店網の拡充を急ぐが、果たしてクルマとしての実力はどの程度のものなのか。文=ジャーナリスト/伊藤賢二(雑誌『経済界』2024年1月号より)

BYDのミッションは「地球の温度を1℃下げる」

 「BYDは私たちの生活における重要なビジョンを持っています。それは地球の温度を1℃下げるということです」

 4年ぶりに開催された東京モーターショーあらためジャパンモビリティショー。少なくなった海外ブランドの中で最も広大なブースを構えた中国のEV(電気自動車)メーカー、BYDの日本法人の劉学亮社長は、プレスデー初日のブリーフィングにおいて、満面の笑顔でスピーチを行った。

 「地球の温度を1℃下げるというのはシンプルですが、具体的で強いメッセージ性を持っているように感じました。われわれはカーボンニュートラル(CO2排出量実質ゼロ)という言葉を使いますが、それは与えられた義務を果たすというニュアンスが強い。それに対してBYDは自動車業界の枠組みを超えて自分が気候変動阻止のリーダーシップを取ると言わんばかり。スピーチとはかくあるべきということを見せつけられた思いです」

 それを聞いていた日本メーカー関係者の一人は、BYDのプレゼン力にこう舌を巻いた。

 「Build Your Dreams(君の夢を打ち立てろ)」というアグレッシブなコーポレートメッセージの頭文字を社名としてバッテリーメーカーとして1995年に創業、2003年に自動車製造を開始したBYDは23年1月、日本の乗用車市場に参入した。同社はバッテリーに蓄えた電気のみで走る純EV、充電可能なバッテリーと発電用エンジンの両方を備えるPHEV(プラグインハイブリッドカー)を手がけているが、日本に投入するのはすべて純EV。

 最初に発売したのは世界的に人気が高まってる車高の高いクロスオーバーSUVタイプの「ATTO3」。9月にはより低価格なコンパクトクラスの「ドルフィン(イルカ)」を追加した。ジャパンモビリティショーではそれに続く第3のモデルとして上級セダン「シール(アザラシ)」の日本仕様を公開した。来年春の発売を予定しているという。

 「営業開始から1年あまりという短期間で純EVばかり3モデル投入するというのはスピード感がある。今は販売台数の大半が中国市場で、日本や欧州で商業的に成功を収められるかどうかは未知数ですが、やるならこのくらいやらないとという元気がある」(前出の日本メーカー関係者)

販売拡大に不可欠な安全性への疑念の払拭

 このように新興企業ならではの勢いを感じさせるBYDだが、クルマのビジネスは勢いだけでうまく軌道に乗せられるものではない。命を預ける乗り物ゆえ、高度な安全性が要求される。それに加えて品質、耐久性、またクルマを買い替えるときのリセールバリューも顧客に選択してもらえるかどうかのカギを握る重要事項だ。

 このうち故障率、長期使用時の耐久性、リセールバリューの3点については歴史が短いこともあって、定評らしきものをほとんど持てていない。アメリカ、ヨーロッパ、日本のように最先端の工業技術を有するというイメージがあればそれを追い風にできるが、BYDにはそれもない。 果たして中国車であるBYD車はエンドユーザー向けの乗用車としてどの程度の水準にあるのか、ロードテストを行ってみた。テストモデルは補助金適用前の価格が407万円、満充電時の公称航続距離が476キロメートルというコンパクトカー、ドルフィンロングレンジである。

 実車の全体的な印象としては、ここ10年ほどで中国車がにわかに信じ難いほどのスピードで進化したことをいやがうえにも感じさせられる出来だった。

 先に述べたように、BYDが自動車製造に乗り出したのは20年前の03年。それから7年後の10年にBYDが北京モーターショーに出展した段階では、他の中国メーカーのモデルと同様、技術的な成熟度や品質は低く、デザインは先進国メーカーのクルマのコピーというシロモノ。あくまで中国国内市場、もしくは1人当たりGDP(国内総生産)の額が小さい開発途上国向けとの感が否めなかった。

 ドルフィンをはじめとする現在のBYD車に、当時の面影はかけらもない。外装は車名の由来であるイルカの頭のようにツルッとした曲面をほとんど歪みなく、質感の良い光沢を放つように仕上げるなど、かなりハイレベルだった。

 車内はクルマの最新トレンドの採り入れに意欲的なことが印象的だった。縦、横と配置を自由に変えられる電動回転式の大型情報ディスプレーが設置され、それらはインターネットと接続されている。シートやハンドルの素材は非動物系の合成皮革ビーガンレザーだが、その感触は大変柔らかで気持ちの良いものだった。テスト車のロングレンジは天井がガラス張り。遮光スクリーンはスイッチ操作で開閉することも可能だが、ボイスコマンドを起動させて「サンシェードを開けて」などと指示することによっても開閉可能な仕様となっていた。

 走りや乗り心地は今日のEVの平均的な水準を十分に達成したもの。電気モーターの最高出力は150キロワット(204馬力)と、エンジン車では排気量2・5~3リットルに相当する能力を持っており、加速力は非常に高かった。タイヤまわりから発生する路面騒音の遮断もおおむね良好に処理され、舗装が荒れ気味の箇所でもゴーゴーというノイズが極端に高まるようなことはなかった。

 BYDは日本の精密金型メーカー、オギハラの館林工場を買収して子会社化するなどクルマの品質向上のための投資を積極的に行う一方、欧米、日本の自動車メーカーのエース級人材を次々にヘッドハントすることで開発力やデザイン力のボトムアップを図ってきた。ちなみにドルフィンのデザイン責任者はドイツのアウディやイタリアのランボルギーニで主任デザイナーを務めていたヴォルフガング・エッガー氏である。

 が、ドルフィンの実車で最も印象的に感じられたのは、これらハードウェアとしてのクルマの完成度ではなく、クルマの各所からにじみ出る〝若さ〟だった。

 ドルフィン、シール、そして現時点では中国国内モデルだが日本導入の可能性があるベーシックカーの「シーガル(カモメ)」と、海洋生物の名がつけられたシリーズはBYDのラインナップの中でも若年ユーザー獲得を目標に商品企画立案がなされたものなので、デザインや仕様が若々しいという特質を持つのはBYDの意図によるものなのだが、ここでいう若さとはデザインや仕様そのもののことではなく、もっと感覚的なもの。「BYDのクルマはこうあるべき」という伝統の縛りが緩く、開発者が自分がいいと考えたことを自由にやれているという感じである。

 ドルフィンで走り始めると、コロンコロンという不思議な音が鳴りはじめる。EVやハイブリッドカーは歩行者にクルマの接近を察知させるため時速30キロメートル以下では警報音を鳴らすことが義務付けられている。大抵は電動車両のインバーターの高周波音を増幅させたようなサウンドなのだが、ドルフィンのコロンコロンという音はそれとまったく趣を異にする。あたかも水族館に流れる環境音楽のような柔らかさで耳障りでないし、歩行者側も柔和な表情を見せる。

 車内の情報ディスプレーは電動で縦、横と回転させられるが、その中に表示される操作メニューは子供の頃からデジタル端末が身のまわりにあった、いわゆる〝デジタルネイティブ〟世代が設計に深く関与したことをうかがわせるもの。音楽のストリーミング再生の操作のしやすさ、指一本でクルマの周囲を映すカメラの映像を自由に回転させられる機能からカーナビの表示切り替えまで、ほとんどスマホ同然というところまで操作感を煮詰めている。速度や充電率などクルマが絶対に表示しなければならない数値は全部目の前の小さなディスプレーに押し込み、情報ディスプレーはタブレットとして使えるようにという意図があるものと思われた。

米国テスラとも共通する「素人」だからの革新性

 これらはほんの一例で、さまざまな部分に「これまでのクルマとは違う」と感じさせる要素が点在している。クルマにとって最も大事なのは移動の安全が確保されていることなのだが、クルマづくりの歴史が長くなってくるとどのメーカーも余計な決まりごとが際限なく増えていく。「このやり方を変えたら〇〇さんの業績をないがしろにすることになる」という感じのしがらみだ。

 そういうしがらみがなく、「今、この時代に最もマッチしたクルマづくりはこうだ」というアイデアを素直に出せるのは、歴史の浅いメーカーの特権のようなもので、歴史の長いメーカーのつくるクルマを前時代の遺物のように感じさせることが往々にしてある。そういうデジタルネイティブ的なクルマづくりはBYD以上に歴史が浅いテスラの独壇場だったが、BYDがドルフィンで見せたアイデアの自由さにはテスラと非常に似たものがあった。

 もしBYDのクルマが日本車に似たものであったら、コスト競争力はともかく商品力の面では長期的にみてそれほど脅威になることはないだろう。が、ドルフィンを見るかぎり、BYD車には日本車と明確に異なる部分が数多くあり、しかもそれらが新鮮で魅力的なものに感じられる。

 今は製品に関する信用力不足、また国際社会における中国の振る舞いといった問題により、メインストリーム商品になり切れないかもしれないが、それらの問題が解決をみるにつれてBYDが次第に手の付けられないライバルになっていく可能性は十分にある。日本勢にとって重要なのは、BYD車を通じて自分たちが実は老人くさい企業になっていることに気づくことだろう。

 企業は生物ではないので、自分たちの老齢化を自覚してリフレッシュのための改革を本気で進めれば、いつでも若返ることができる。そういう気づきを与えてくれる企業が早い段階で日本に進出してきたことは、日本の自動車業界にとってある意味幸運だったとみることもできる。自動車を巡る新たな日中の戦いの行方が興味深い。