日本自動車工業会(自工会)は11月22日、豊田章男会長(トヨタ自動車会長)の後任に、いすゞ自動車の片山正則会長が就任すると発表した。就任は2024年1月。トヨタと日産自動車、ホンダ以外からの会長就任は初めてだが、会長を退く豊田氏の発言力は維持されそうだ。文=ジャーナリスト/立町次男(雑誌『経済界』2024年2月号より)
ジャパンモビリティショーを花道に退任する豊田会長
今回の人事は、自工会が11月22日に開いた理事会で決定した。いすゞの片山氏は副会長を務めていたが新体制で会長に選出。副会長は、トヨタの佐藤恒治社長、日産の内田誠社長、ホンダの三部敏宏社長、スズキの鈴木俊宏社長、ヤマハ発動機の日高祥博社長、経済産業省出身の永塚誠一・自工会専務理事が引き続き務めることになった。
同日の理事会後の記者会見で豊田氏はまず、10~11月に東京都内で開催された「ジャパンモビリティショー」の来場者数が111万2千人で、目標の100万人を上回ったと強調。自身の肝いりで「東京モーターショー」から改称したこのイベントに関して、「盛況のうちに幕を閉じた。主催者としては成功と言っていいのではないか」と話した。
そして、自身の後任に片山氏が選ばれた背景について、「今、2024年問題をはじめ、物流・商用領域が大きなテーマとなっております」と切り出した。「大型車の世界で豊富な経験を持ついすゞの片山さんに次期会長をお願いしたい」と説明した。2024年問題とは24年4月にトラックドライバーの時間外労働時間に上限規制が導入されることで全体の輸送能力に不足が生じる懸念のある問題で、「運行管理やエネルギーマネジメント」に関する問題を解決することが、乗用車や二輪車にとっても重要になるとの趣旨だった。
豊田氏は在任期間を振り返り、「『自動車産業は、みんなでやっている産業』『未来はみんなでつくるもの』が、自工会のブレない軸になった」と話した。「5年という時間をいただいたことで、モビリティ産業を支える業界団体としての土台は作れた」と総括した。
片山氏は、「この立場に就任できることを誇りに思う一方、100年に1度と言われる自動車産業の大変革の真っただ中で会長の襷を受け取る重責に身の引き締まる思いであります」と述べた。
また、片山氏は豊田氏について、「強力なリーダーシップで業界を引っ張っていただき、深く感謝を申し上げる。卓越した指導力を発揮していただき、特にこの2年の改革で、課題解決にチームで取り組む体制ができた」と評価。「この改革をさらに進化させ、果敢に課題解決をはかっていく」と決意を語った。
いすゞは1916年創業の名門で、かつては「ジェミニ」など乗用車も作っていた。90年代に経営危機に陥るが、米ゼネラル・モーターズ(GM)の支援などを経て再建に成功。2015年に社長に就任した片山氏は19年にボルボトラックの子会社だったUDトラックス(旧日産ディーゼル)を買収。21年には06年に提携を解消したトヨタと再び、資本提携し、トヨタグループの次世代商用車開発連合に参画するなど、トヨタとの関係を深めてきた。23年4月、南真介氏が社長に昇格し、片山氏は会長兼CEO(最高経営責任者)となった。
これまでの不文律だったトヨタ→ホンダ→日産
自工会会長はトヨタ、日産自動車、ホンダの乗用車メーカー大手3社の社長や会長が1期2年交代で務めるのが慣例で事実上の〝輪番制〟だった。だが、18年に就任した豊田会長は当初の任期だった20年5月以降も続投。任期延長を決めた会見で、トヨタの次に会長会社を務めるはずだったホンダの御子柴寿昭会長(当時)が、「自動車業界は大変革期を迎えている。来年には東京五輪・パラリンピックというビッグイヤーを迎える(実際には21年に延期)ということもあって、これまで強力なリーダーシップ、求心力でやってこられた豊田会長が代わることが最善かどうかと考えていた。豊田会長と相談し、各社に諮り、決定し、もう1期やっていただくことになった」と説明していた。一方で、「輪番がなくなったわけではない。トヨタの後はホンダだ」と話していたが、今回この時の認識は間違っていたことが分かった。
そして21年9月、自工会は豊田会長の任期を24年5月まで2年間延長した。この時も副会長から求められたという。3期目に入り、異例の長期体制となった豊田会長は、「要請をお受けするべきかどうか最後まで悩みましたが、会員各社の皆さまからは、『カーボンニュートラルなど、大変革が必要なときだからこそ、同じリーダーのもとでやっていきたい』というお声をいただきました。これまでの危機対応で得た私自身の経験が、この難局を乗り越えるためのお役に立つならばと思い、お引き受けすることにしました」と述べた。
しかし23年1月、トヨタは4月1日付で佐藤執行役員が社長兼最高経営責任者(CEO)に昇格し、豊田氏は代表権のある会長に就くと公表。14年ぶりの社長交代だった。
これを受けて豊田氏は、自工会会長を辞す意向を表明。会長を含む自工会の理事職は「各社の執行をつかさどる社長、CEOレベルの首脳」が務めると申し合わせているとして、トヨタ会長に就いたため資格がなくなったというのが理由だ。ただ、豊田氏の肝いりで改称し、新機軸を打ち出したジャパンモビリティショーの開催を同年秋に控え、自工会の副会長らが慰留。これに応じ、豊田氏は会長職を続投することにしたという。
このように、自工会の会長職について任期延長を求められ続けてきた豊田氏。11月22日の会見では、厳しい質問も飛んでいた。
「いすゞにはトヨタが出資しており、トヨタグループと言える。引き続き、豊田氏の意向が反映されるのではないか。ホンダ、日産を外した理由は何か」。これに対して豊田氏は「質問の内容がよく分からないが、資本の論理で議論はしていない。われわれが見ているのは自動車の未来をどうつくり上げていくかだ」と反論。「乗用車3社だけが素晴らしいのではない。日本は二輪、軽、大型、乗用とフルラインアップで、全てが素晴らしい人で成り立っている。選択肢を大きく広げた結果だ」と語った。
トヨタは業績好調が続き、11月1日には24年3月期の連結業績見通しを上方修正。売上高を従来の38兆円から43兆円(前期比15・7%増)、本業のもうけを示す営業利益を3兆円から4兆5千億円(65・1%増)、純利益を2兆5800億円から3兆9500億円(61・1%増)に引き上げた。ハイブリッド車の販売が拡大したことが大きく、売上高と営業・純利益は過去最高となる見通し。
自動車業界における豊田章男氏の存在感
もともと業容の差がある中、業績改善の勢いは日産、ホンダを寄せ付けない。日産は会社法違反などで逮捕、起訴され、レバノンに逃亡したカルロス・ゴーン元会長の失脚後の混乱、赤字転落からようやく立ち直ってきたところだ。ホンダは24年3月期の連結営業利益が過去最高を更新する見通しだが、円安の恩恵が大きく、四輪車の世界販売計画は410万台と、当初計画から25万台の下方修正を余儀なくされた。
さらに言えば、トヨタはいすゞだけではなくスズキ、SUBARU(スバル)、マツダと資本提携しており、ダイハツ工業、日野自動車は子会社。日野は三菱ふそうトラック・バスと経営統合で基本合意しており、日産、三菱自動車、ホンダ以外の乗用・商用車メーカーは〝大トヨタ連合〟を形成していると言え、その存在感はただのトップメーカー以上のものがある。また、豊田氏は22年に経団連が新設したモビリティ委員会の委員長を務めているが、自工会会長退任後も委員長は続投するという。自工会、引いては日本の自動車産業の中でトヨタの発言力が突出する状態はしばらく続きそうだ。
豊田氏は特に自工会会長として、「脱炭素の手段は電気自動車(EV)だけではない」という主張を発信し続けた。このことについて22日の会見で質問されると、「私自身に未来を見通す能力があるわけではなく、現実を見ようと努力した。利便性とか難しさという現実をどう解決しながら未来につなげていくのかがこういう発言になった。それぞれの国の事情によって皆が今の得意分野でできることをやるべきだ」と熱っぽく訴えた。
豊田氏と片山氏が会見で繰り返し語った「7つの課題」の中には、「電動車普及のための社会基盤整備」や「国産電池・半導体の国際競争力確保」、「競争力あるクリーンエネルギー」も含まれている。これらは当然、自動車業界だけで何とかなる話ではなく、自工会、自動車業界が国を動かし、支援などで少しでも他国より有利な体制を構築することが重要になる。
EVに対する姿勢はメーカーごとに違うが、海外企業との競争を有利に運べる環境整備は全社が望んでいるはず。片山新会長がこうした期待に応え〝異例人事〟が結果的に良かったという評価を得られるかが注目される。国内で販売される四輪車のうち、商用車は2割弱に過ぎず、乗用車を含む業界全体の声を反映していけるかも問われそうだ。