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松竹の新社長が目指す演劇と映像を融合した新ビジネス 高橋敏弘 松竹

1895年に歌舞伎興行で創業した松竹。日本の大手映画会社「御三家」の1社として、演劇、映像、不動産を事業の柱にし、日本のエンターテインメントシーンの一翼を担う。19年ぶりの社長交代で新社長となった高橋敏弘氏に、新たな時代に向けて見据える会社の在り方を聞いた。聞き手=武井保之 Photo=逢坂 聡(雑誌『経済界』2024年2月号より)

高橋敏弘 松竹社長のプロフィール

高橋敏弘 松竹社長
たかはし・としひろ 1990年立教大学経済学部卒業、松竹入社。2004年3月経理部次長、05 年10月財務部財務課次長、06 年7月経営企画部経営企画室次長、11年1月グループ企画室長に就任。11年映像統括部部長、12年映像本部付部長映像統括担当兼映像調整部担当を経て、15年取締役、23年5月代表取締役社長に就任。

演劇と映像を融合し歌舞伎をもっと一般層へ

―― 高橋社長が松竹で手がけてきたことを教えてください。

高橋 入社してすぐに会社の決算を担う経理部の主計課に配属され、そこで財務を学びました。それから経営企画室に異動し、管理部門にいました。1990年の入社当時は、バブルが終わる頃で邦画は洋画に負けていて、人気シリーズだった『男はつらいよ』も晩年に差しかかり、厳しい経営状況にありました。そうしたなか98年に当時の社長が解任され、大谷信義・迫本淳一新体制で若手を登用して立て直しを図ることになりました。そこで不良資産の処理やグループ統廃合による再編、グループ決算、社債発行や外債発行など、会社を裏支えする数字まわりをすべて手がけました。

 20数年、管理部門で働いてきましたが、2010年前後に映像本部の機構改革を進めていくなか、映像本部の再編にも携わっていたため、その流れで映像統括部の部長に就きました。そこから10年ほど映像本部での任につき、現在に至ります。

―― 前社長の迫本淳一氏(現会長)から19年ぶりの社長交代になりました。なぜ今だったのでしょうか。

高橋 迫本は会社の大変厳しい時期を立て直して、一定の道筋を作りました。決算の通り、コロナ前までは好調な業績を続けてきています。そこから、映像や演劇のグローバル展開のほか、ゲームなどのこれまでとは異なる分野への進出や、今の松竹が弱いアニメの強化など未来へのステップアップを考えたときに、次の世代に道を譲ろうと考えたのではないでしょうか。コロナもある程度収束し、ここから加速していけという意思表示だと捉えています。

―― 高橋社長は映像本部時代に舞台『滝沢歌舞伎』の映画化を実現し、演劇と映像の融合による新たなヒットを生み出しました。

高橋 最初に映像本部で手がけたのは、小規模な製作費の作品で若手クリエーターやアイドルを起用して、イベントを仕掛けながら映画にすることです。芸能事務所と一緒に映画で若手を育成してきたなか、彼らの舞台を映像化できないかと考えたのです。そこから、50年前から続く舞台『少年たち』を映画化して、ヒットさせることができました。それまで舞台は東京など決まった場所でしか見られなかったものを、全国のコアファン以外の一般層にも届けたのです。この作品がきっかけでした。

 『滝沢歌舞伎 ZERO 2020 The Movie』は、コロナで舞台公演がストップし、その空いたスケジュールで、舞台を使って映画を撮りました。俳優もスタッフも迅速に動いて、1年かからず世の中に出すことができ、新作映画がなくなっていた映画館で大ヒットしました。

 23年の『滝沢歌舞伎ZERO FINAL 映画館生中継‼』は、諸事情で最後の舞台になり、通常の半分ほどの期間しか公演ができない。そこからどう収支を上げるかというときに、映画館で生中継しました。配信でスマホやPCなどで見るよりも、映画館でみんなで見れば一体感があり、感動も共有できる。チケット代も舞台の3分の1ほど。それが大成功しました。

 舞台を映画化する、映画館で生中継する。それは、演劇と映画すべての機能を備える松竹だからできること。歌舞伎を中心に、若い世代向けの一般演劇も新派もミュージカルもある。松竹は舞台でナンバーワンという自負があります。それを生かして何ができるか。映画製作をしていますし、映画館もありますから、映画化、生中継、配信など作品によっていろいろなパターンが考えられる。ニーズのある作品から、シーンの先駆けとなって取り組んでいきます。

歌舞伎の伝統を支えながら時代に合わせて進化させる

流白浪燦星
流白浪燦星

―― 5月に社長就任されてまだ半年ほどですが、松竹を変えていこうと考えていることはありますか。

高橋 もともと30年松竹にいるので、基本的に前社長の迫本が継続的にやってきたことを受け継いで伸ばしながら、新たな分野を開拓していくことを考えています。ただ、エンターテインメントは日々変化する。テクノロジーも進化していくし、ニーズも常に移り変わる。人材育成を含めて、今の時間軸に臨機応変にスピーディーに対応できる体質にしていきたいですね。

―― 10月発表の24年2月期第2四半期決算では、全体売上の半分強が映像事業、残り半分のうち3分の2が演劇事業、残りが不動産事業です。

高橋 歌舞伎は年配層のお客さまが多く、コロナからの戻りが遅いのが影響しています。演劇を映像と同規模まで上げていくのが理想。そこを不動産が下支えしつつ、第4の事業軸を作っていく。事業開発本部では、映像と演劇を拡張させていく事業と同時に、スタートアップ投資やファンド創設など新しいものを生み出すための事業も始めています。

 松竹単体でみると、経常利益で演劇10億円、映像10億円、不動産40億〜50億円、合わせて60億円くらいのベースができると安定的になる。そこに新規事業で5億〜10億円の上積みがあればステージアップできると考えています。事業開発本部は19年に発足しましたが、25年には結果を出したいです。

―― 伝統文化である歌舞伎を「新作歌舞伎」や「シネマ歌舞伎」などと発展させています。

高橋 歌舞伎興行から始まった会社なので、当然シンボリックに考えていますし、これからも日本の伝統文化として受け継いでいきます。ただ、歌舞伎は常に時代にマッチして変わることで、進化しています。だから生き残ってきた。国内の興行においては国の助成などなく、いち興行会社が提供しているエンターテインメントですが、伝統を継承する古典もあれば「スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』」や「超歌舞伎」のような新しい歌舞伎もある。そもそも「傾く(かぶく)」ですから、その時代ごとの歌舞伎があっていい。

 歌舞伎は舞台装置や装飾、道具、衣装、技術など制作費がかかるのでチケットがどうしても高くなりますが、映像であれば比較的安価に提供できます。そして、映像展開をしていくと、リアルの舞台に観客が返ってきます。映画化する「シネマ歌舞伎」のほか、一部で始めている配信も、これからもっと増えていくでしょう。映画館での生中継はまだ行っていませんが、襲名興行や新演目など世の中的に関心の高い公演で提供していくようになると思います。

―― 若い世代へのアプローチにはどう取り組んでいますか。

高橋 昨今、若い役者さんが増えてきたことで、若い子たちにも人気があります。また、『ワンピース』のほかにも「新作歌舞伎『NARUTO-ナルト-』」やルパン三世の「新作歌舞伎『流白浪燦星』」など、若者向けでありつつ海外にも展開しやすいアニメ原作の演目を積極的に取り入れています。

 伝統文化の古典はもちろんやっていく。同時にそれを継続していくためにも新しいものを織り交ぜる。いまは年間の3分の1ほどが新しい演目です。今後、古典と新作の割合がどう変わるかは未定ですが、両輪としてやっていきます。

父は松竹の劇場支配人。映画を見て育った幼少期

熱盛エンタメ
Ⓒ2023「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」製作委員会

―― いまの松竹の課題は何ですか。

高橋 ひとつは歌舞伎の海外展開です。文化庁の助成金でフランスのオペラ座で公演をしたりしていますが、宣伝的には成功でも、興行としては数日間の上演では採算が取れない。観客も一部の富裕層だけで、庶民まで根づかない。文化振興としてやっているわけです。

 そこを配信などで一般層に届けて興味をもってもらえば、来日したときに観劇に来てくださるかもしれない。映像だけでなく、歌舞伎俳優を使ったゲームでもいい。そうやって裾野を広げて、日本エンターテインメントの下地ができて初めて、海外公演を成功させることができます。まさにこれからスタートします。

 次に映像製作の強化。松竹がこれまで得意としてきた〝人間をしっかり描く〟作品は継続し、オールターゲットのファミリー作品やアニメにも力を入れていきたい。

 最後に不動産開発です。本社が入る東銀座の東劇ビルは築48年。ここの建て替えです。歌舞伎座タワー、銀座松竹スクエアは成功していますが、都市部の再開発が進み、供給過多になってきているなか、日本の伝統文化などエンターテインメントを発信する松竹のシンボリックなビル開発をしないといけない。それが今の課題ですね。

―― 最後に、高橋社長の映画体験と松竹に入社した動機を教えてください。

高橋 父も松竹だったんです。物心ついたときから、松竹の邦画一番館だった「銀座松竹」の支配人をしていました。子どもの頃は、夏休みは1日中、映画館にいさせられて、「東映まんがまつり」を見ていたんです(笑)。それがない時期は『ジョーズ』『オルカ』『サーキットの狼』とか。特に映画が好きなわけでもなく、少し嫌になりながら映画を見て育ちました(笑)。中学生から大学生までは洋画中心。『フラッシュダンス』『ラ・ブーム』とかソフィー・マルソー出演作をよく見ていました。

 就職に際しては、父がいた会社だったので社風や人間性のいい会社だと知っていて、よく調べていくうちにエンターテインメント業界に入りたいと思いました。映画や演劇を強くやりたいと思っていたわけではなくて。今にしてみるとそれがよかった。新卒で映画会社に入って、経理に配属されても腐ることなく自己成長のために仕事ができたことが今につながっていますね(笑)。