TVCMなどで流れる、耳なじみの良いサウンドロゴが印象的なエコリング。SDGsに根ざしたリユース事業で、2001年の創業以降、足踏みすることなく成長し続けてきた。桑田一成代表は新しいリユースビジネスを世界に広げ、さらなる進化を目指す。(雑誌『経済界』2024年3月号「関西経済の底力特集」より)
エコリング設立の原点は身の回りの品を売った体験
桑田代表の出自は公務員。郵政民営化のタイミングで郵政省を退職し、造詣の深かったインターネットコンテンツを手掛ける会社を立ち上げた。しかし「うまくいったのは最初だけ」で、韓国資本の企業に資本力や技術力でかなわず、事業はすぐに傾いてしまう。自身の生活も困窮する中で利用したのがヤフーオークションだった。
「月々の売り上げは返済で消える。生活費を捻出しようと身の回りの品を売り出したら、アルバイトを細々と繰り返すよりも収益があることに気づいた」と語る。
「これは商売になるかもしれない」。そう考えた桑田氏は、他の質屋がゴミ同然と見なす品も積極的に買い取り、ネットオークションで販売していった。当時の粗利は1日当たり1万円ほど。これがエコリングの「何でも買う」という買取事業の原点となる。この独自のやり方で商機を見いだしていった。
エコリングが他のリユース業とは一線を画するポイントがある。事業にエコロジーの視点を盛り込んだ点だ。この意志は、社名のエコリング(エコ=エコロジー+リング=循環、貴金属の指輪)からも読み取れる。2000年当時、環境問題に対して国家予算が付いたことを知り、近い将来に環境問題がクローズアップされ、その解決につながる事業が盛んになることを予測した。
もともとプログラマーとして起業しており、ワイヤーフレーム(設計図)をつくることを得意としていた。世の中を俯瞰的に眺めて事象を整理し、商流を導き出すのも同じ思考法に基づく。その慧眼と思考が事業の成長を加速させていく。
素人経営からプロ経営者へ。信念に導かれて突き進む
時流にマッチしたリユース事業で拡大を続けてきたエコリングだが、これまで常に順風満帆だったかと言えばそうでもない。いくつかの転機を迎えている。
例えば創業3年目の頃、既に年商3億円を叩き出していたエコリングだが、「社長として、企業として未熟だった」と振り返る。当時から「関わる全ての人を幸せに」「皆で豊かになろう」という発想を持っていたが、同業他社はあくまでもライバルだ。あるセミナーが正しい経営とは何かを考えるきっかけとなり、それ以降、「同業者同士が切磋琢磨し合って業界を盛り立てていく」発想へと思考を転じた。経営者として、世の中の見方が変わった瞬間だ。
ある時はリーマンショックの影響で、希望退職を募ったこともあった。「創業以来もっともつらい時期だった」と語る。しかし、この経験があったからこそ、素人経営者ではなくプロ経営者になる覚悟を決めて信じる道を突き進むようになった。
今も実践している経営の一つに「無借金経営」がある。どんな優秀な経営手腕を持つ人でも、借金や家賃、リースがある限り、会社を100%コントロールすることはできない。そう考えて打ち出した経営方針だ。
コロナ禍にも転機はあった。対面でのオークションの開催が困難になる中、ウェブ入札の仕組みを確立。「EcoRing the Auction(エコオク)」を立ち上げ、リアルタイムでの古物ネットオークションをスタートした。
経営や業績が行き詰まりそうになる度に、大胆な発想と実行力で打開していくのが桑田流。逆境はピンチではなく成長するためのステップだと捉えている。
誰かの不要な品を別の誰かの必要な品に
エコリングの市場は今や日本にとどまらない。買い取った品は国境を越え、海外で再利用することもSDGsに根ざしたビジネスモデルとして確立している。日本では不要な品でも、グローバル市場では必要な人に届けることができる。エコロジーの輪を広げ続けている。
設立当時はエコロジーというマーケットの確立と拡大に心砕いた時期も過ごしたが、今後は時流のSDGsの観念に基づき、不要品を必要品に変えて循環させる事業を発展させていく。そのためにも「ASEAN加盟各国との取引を加速させていきたい」と前向きだ。
「不用品として捨ててしまえばゴミ(無価値)だが、リユース・リデュース・リサイクル(3R)、さらには腐らせて堆肥化させることも視野に入れていく。エコリングが食品ロスも含め世界で深刻なごみ問題を解決するためのインフラを担う組織になりたい」
エコリングが提唱するSDGsに根ざした新しいリユースビジネスは、万博を通して国内そして海外にも広がる可能性を秘めている。まっすぐに突き進む今後の動向に注目だ。