「こんにちは!」猿田彦珈琲の店舗に入ると、店員がこちらに笑顔を向けた。商品選びに迷っていると「どれにしますか?」と気軽に声をかけ、商品の説明をしてくれる。ラフながらも温かい。これは、アットホームな接客を追求する、大塚朝之社長の経験が生んだこだわりだ。聞き手=小林千華 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2024年3月号「夢やぶれて経営者」特集より)
大塚朝之 猿田彦珈琲社長のプロフィール
初めて書いた脚本が俳優への道を開いた
東京・恵比寿に本店を構える猿田彦珈琲。「たった一杯で、幸せになるコーヒー屋」を創業時からのモットーとする、スペシャルティ・コーヒーの専門店だ。
「今は国内に22店舗あって、まずは100店舗展開が目標です」
そう語る大塚朝之社長が猿田彦珈琲を創業したのは、2011年のこと。当時大塚氏は31歳。約10年かけて築いてきた俳優としてのキャリアを断ち切り、再スタートを切ったばかりだった。
人生で最初の転機が訪れたのは中学3年生の時。クラス対抗の演劇コンクールで、大塚氏が脚本を担当することになったのだ。脚本を書いたことなどなかったが、上演時間20分のところ、できあがったのは110分の大作だった。
「仲が良かった先生に『これじゃ駄目だ』と言われて、初めて大げんかしました」
結局、どうにか50分まで縮めたものを上演した。
「当時ちょうどブラピが流行っていて、『セブン』とか『12モンキーズ』みたいな彼の出演作や、同じく流行っていた『レオン』なんかをぐちゃぐちゃ混ぜ合わせた脚本を書いたんですけど、すごく好評だったんです。コンクールが終わった後も、先生たちに『あれはすごかった』と言われたりしました」
それまでは特に映画好きだったわけではなく、「同学年の奴らに流されて見る程度」だったというが、この経験をきっかけに、同級生の母親が経営する芸能プロダクションに所属。高校1年生で、俳優を目指して活動を開始した。
「恥ずかしいんですけど、当時はアメリカでアカデミー賞とってやる、くらいに思ってましたね」と笑う大塚氏。高校2年生ごろからはオーディションにも参加するようになり、エキストラから始まって、徐々に映画や単発のドラマでも役をもらえるようになっていった。
大塚氏は法政大学の付属中学・高校に通っていたため、同級生の多くはそのまま法政大学への進学を希望する。その中で大塚氏は、大学には進学せず俳優一本で生きていく進路を希望した。しかし、母親や学校の先生たちから大反対を受け、しぶしぶ進学を決意。
「希望する学部についてアンケートがあったんですけど、提出日まで書いてなくて。席で寝てたら先生に『早く書け』って言われて、後ろの席の子に用紙を渡したら『文学部哲学科』って書かれたので、そのまま哲学科に進むことにしました」
俳優として積んだキャリア。でも「楽しくなかった」
哲学科への進学はそんな偶然がもたらした結果だったが、大塚氏は「行って本当に良かった」と語る。
「不真面目な学生だったけど、3年までに必要な単位は取れて、後は卒論さえ書けば卒業だなと思っていました。そうしたらある日ゼミの教授に呼ばれて、『お前、本気にならないと人生うまくいかないぞ』ってめっちゃ怒られたんですよ」
俳優として活動しながら大学生活を送っていた大塚氏。仕事と学業、どっちつかずな態度を、教授は良く思っていなかったのだろう。
「それで卒業論文の時、教授に本を渡されて、『これで用紙50枚ぴったり書かないと俺は絶対に判子を押さない』って言われて。普通論文に使う本なんか自分で選ぶじゃないですか。でもその時渡されたのは『道徳と宗教の二源泉』っていう、当時の僕にとってはかなり難しい本で、1ページ読むのにもすごい時間がかかったんですよ。『前者と後者』って書いてあっても、前者が何を指すのかも分かんない。何ページもさかのぼって、行ったり来たりしながら……。この論文を書き切ったのが僕の大学生活の全てですね。それで自分なりに自信ができたのは事実です」
一方、俳優活動はといえば、大学在学中から少しずつもらえる役の幅が広がり始めていた。卒業後の01年には、主演を務めた作品がベルリン国際映画祭に出品されている。こう聞くと俳優としてのキャリアを着実に積み重ねていたように思えるが、大塚氏はその頃考えていたことをこう話してくれた。
「ベルリン国際映画祭の頃は、僕なりに心が沸き上がらなくなっちゃってて。アンダーグラウンドにいることがかっこよくて、メジャーにいる奴は駄目だみたいな、今思えばよく分からない発想になっちゃってました。大きな映画会社の人ともしょっちゅう大げんかしていて」
それで当時俳優の仕事は楽しかったのか。
「全然楽しくなかったですよ。でも自分でもやっぱそこが問題だったと思っていて。この仕事が好きで始めたはずなのに、いろいろ訳の分かんないことを考え出したら、本当に俳優が好きなのか分からなくなった。一度そう思っちゃうともう楽しめない。楽しさよりも、オーディションで選ばれることや売れることに重きを置くようになると、余計に思い通りにいかなくて、こんがらがっていました」
そんな矢先、大塚氏はとある大事件に巻き込まれてしまう。あらぬ疑いをかけられてただでさえ疲弊する中、騒ぎのせいで仕事も舞い込まなくなった。大塚氏はこの頃の俳優活動を、ギャンブル用語の「半ツキ」に例えた。半ツキとは文字通り、半分だけツイている状態を指す。自分の手牌がとても良いのになかなかアガることができない。逆に言えば、なまじ手牌が良いばかりに諦められず勝負に出て、大負けしてしまう。
「僕は多分、俳優をやってるうちはずっと半ツキなんだって感じました。このままずるずる続けてもどうしようもない。いったん区切りを付けようって思ったんです。今考えれば良いきっかけだったのかな」
そして大塚氏は、25歳で俳優人生に幕を下ろした。しかし、その後コーヒー豆のショップで始めたアルバイトが、「経営者」への第一歩になる。独立のきっかけは、「豆の状態で買うと『正解の味』が分からず、お客さんは不安なのではないか?」と考えたことだ。コーヒーとして完成した状態で提供できないかと社長に直談判したが、業態は変えられないとの答えが返ってきた。ならば自分がと、「働き始めて2カ月くらいで事業計画書を書き始めた」という。結果的には数年間そのままアルバイトを続けてから、恵比寿に猿田彦珈琲1号店をオープンさせることになる。
昔の自分にビンタしたい。今、経営が楽しい理由
猿田彦珈琲には、大塚氏が俳優時代身に付けたことをもとにしたルールがある。「Yes+α」だ。お客さんとの会話を楽しむ接客スタイルを特徴とする中で、とても役立っているのだという。内容は簡単で、「相手からかけられた言葉に対して、『Yes』の後に必ず何かを続ける」というものだ。例えば「昨日の夜、ご飯は食べましたか?」と聞かれて「いいえ」と答えると会話が終わってしまう。でも「はい」と返した後、「中華料理を食べました。あなたは?」と続ければ、相手から何かしらレスポンスがある。この答え方をしていれば会話が途切れない。
「俳優を辞める直前、突然アドリブでしゃべるための教室に行くように言われて、そこで教わったことです。でもこれって、どの世界においても使えることだと思ったので、接客にも社内コミュニケーションにも生かすようにしています」
いきいきと語る大塚氏に、今の経営は楽しいかと聞いた。
「楽しいです。でもなんでだろう」
しばらく考えて、こう続けた。
「人間は本能的にどこかで、他者との一体感を求めてる部分があると思うんですよね。かつて俳優を辞める踏ん切りがつかなかった時も、なんだかんだ悩みつつ、作品を完成させた瞬間のクルーの一体感が好きで辞められなかったんだと思います。そんな経験を15歳の頃からしていたから、今もどこかで無意識に人とのつながりを求めてるのかもしれない。以前この会社で、昔の同級生が一緒に働いてくれていたんですよ。一番の親友だったんですけど、今は絶縁状態になってしまっていて。彼に反発された時、社内が真っ二つに割れたんです。『コーヒーで幸せに、とか言ってるけど、働いてる私たちは幸せじゃないじゃないか』なんて言われたりもしましたね。お金がないとか潰れそうだとかいう苦労は何度も経験したけど、そんなことよりずっとつらかったです。自分にとっては愛弟子みたいな後輩で、会社にとっても功労者と呼べる存在が辞めることになった時も、それこそ転げ回るくらい、僕の母親が珍しがるくらい落ち込んだし。『僕が代わりに辞める』とまで言いました。そんなだから逆に言えば、僕が一番楽しいと感じるのも、『みんなで仲良く』みたいな状況なのかもしれません。だから今会社で店舗数をもっと増やそうとか、みんなで何かを達成しようとしているのってすごく楽しくて」
では、「俳優が楽しくない」と感じていた頃の自分が今目の前にいたらどうするか。
「ビンタします。ハングリーさが足りないって。僕は東京生まれ東京育ちなんですけど、地方出身の役者を見てるとハングリー精神が違うんですよね、みんなそれなりの覚悟をして地元を出てきてるから。当時よくオーディションで一緒になった奴がいたんですけど、毎回ちゃんと役柄に合わせて衣装を変えてくるんですよ。でも僕はいつも自分が着たい服を着てて、『俺は絶対こういう奴にならない』と思ってた。だけど今考えたら、絶対彼の方が正解なんですよね。その時の僕にビンタして、『チャンスってそんな何回も来ないぞ』って言いたいです。言っても分かんないかもしれないけど。でも将来の自分が言うんだから、そしたらもっと無我夢中でやってくれるかな」
そう語った後、一呼吸置いて大塚氏はこう続けた。
「哲学でいえば、没頭することって人生で一番の幸せらしいんですよ。今は没頭できてるから幸せ。俳優の頃は没頭できてなかった。没頭するのって恥ずかしいことでもないし、むしろ『今の自分いいかんじだな』って、もっと早く思えるようになってたらよかったかもしれないですね」
過去からの反省と収穫、その両方が今の大塚氏を形作っている。