昨年6月29日付で、東急社長に就任した堀江正博氏。入社から40年間、都市開発や海外事業、財務、ホテル・リテール関連など、幅広い事業で経験を積んできた。堀江社長に近年の東急の歩みと、これから目指す姿について聞いた。聞き手=清水克久 構成=小林千華 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2024年4月号より)
堀江正博 東急社長のプロフィール
REIT事業を自ら提案。自身の性格は「現場主義」
―― 昨年6月に社長に就任して、半年以上がたちました。これまでの経歴をお聞かせください。
堀江 1984年に入社し、多摩田園都市の開発などに従事した後、海外事業を担当、海外ホテル子会社でも勤務しました。帰国してからは財務関連、グループの上場会社の再建・再編、グループ経営方針策定などを担う部署に配属され、その後はREIT事業へ。事業開始に伴って設立された東急リアル・エステート投資法人の代表として、上場にも関わりました。
―― 堀江さんが中心になってREIT事業を推し進めたのですか。
堀江 この事業への参画は、グループの成長戦略として私が自分で提案したものです。
われわれの特徴は、REITにも東急というブランドを付けられること。投資対象地域を、東京都心5区と東急線沿線地域を中心とした首都圏に限定し、投資対象も東急自身が主に開発している商業施設やオフィスで、東急グループにとって、既存のビジネスモデルとは全く異なるビジネスユニットになりました。
―― 利回りベースの考え方が会社全体に根付くなどの効果もあったのではないでしょうか。
堀江 これまでにも投資利回りの考え方はありましたが、さらに分かりやすくしていきたいと思います。私たちは、投資に対してどれだけのリターンが得られるか、つまりROEやROAに注目していなければなりません。不動産はじめ、どうしても開発の方にエネルギーがいってしまいがちですが、ポートフォリオ上は、既存事業の構成割合がかなり大きくなっています。ここにもう少しテコ入れして、例えばフィービジネスを拡充することでROAを改善し、既存ポートフォリオの利益率を高めていきたいと思います。
―― その後東急に戻り、リテール関連の子会社代表などを担った後、2021年からはホテル事業にも携わりました。ご自身の仕事スタイルを「自ら現場に入り込むタイプ」とお話しされているそうですね。
堀江 現場は私に限らずみんな見ていますが、私の場合はできるだけお客さま目線で現場を観察して、気になる部分があれば、写真を撮って後で指摘することもあるので、口うるさいと思われている部分もあるかもしれませんね。
でも、現場の職員にとっても、私が指摘した方がやりやすい面があるはずです。例えばこれまで改善を求めていて、予算の関係で許可が下りなかったことでも、私が言えばやらざるを得ませんから(笑)。お客さまの声もしっかり集めるように心がけています。ご意見を言わずに黙って離れてしまうお客さまも多いはず。ですから私が心を鬼にして伝えるようにしています。
2023年に実った東急2つの悲願
―― 昨年の東急歌舞伎町タワーの開業は、メディアなどで大きな話題になりました。東急といえば渋谷のイメージがありますが、かつてミラノ座があった新宿もゆかりある地域のひとつです。
堀江 新宿・歌舞伎町は、日本国内の方々とインバウンドの方々とで評価が極端に分かれる街だと思います。例えば酔っぱらって道に寝転んでいる人がいると、日本の人は「ああ、嫌だなあ」と感じるけれど、海外の人は「道で寝転べるほど安全な所なのか」と驚いたりする。それでいて観光資源が多い地域ですから、われわれも地元の商店会、町会や行政と協力して、良いところはしっかり残しつつ、より訪れやすい街に変えていきたいと考えています。
東急歌舞伎町タワーには、2つのホテルがあります。これらはかつて当社が保有していたホテルチェーン・パンパシフィックホテルズグループとソフトブランド契約を結び、「東急」の名を付けずにオープンしました。シンガポールを拠点とし、アジアのマーケットに強い影響力を持つ彼らと協力したことで、インバウンドの多くのお客さまからもご好評を頂いています。
―― 日吉駅と新横浜駅を結ぶ東急新横浜線の開通も、昨年のメモリアルな出来事でしたね。
堀江 私が東急に入社したのが、田園都市線が中央林間駅まで全通した年だったのですが、新線の開通はそれ以来39年ぶりでしたからとても感慨深かったです。東急にとっても、新幹線の停車駅である新横浜駅へのアクセスがしやすくなる東急新横浜線の開通は長年の悲願でした。相鉄線との相互乗り入れも実現し、エリア全体の利便性を高めることもできました。
―― 沿線地域の価値向上は、もともと東急が注力してきたことです。
堀江 渋谷と横浜という交通量の多い区間をつないでいる路線(東横線)もありますし、東京都内でも比較的地盤のしっかりしている西側の交通を主に担っていますから、選ばれている沿線という自負はあります。他の鉄道各社との相互直通運転も多く実現させ、さまざまな地域と都心部とのアクセスも改善させてきました。もちろん、沿線地域の商業施設や生活サービスの充実も図っています。
交通、不動産、生活サービスの各事業が有機的に連携することで沿線の価値が向上し、利用者さまからの評価につながっていると思います。
社内外とのつながりを自分の代でより強固に
―― 現在の東急を一言で表すと、何の会社だといえますか。
堀江 「公共交通機関を有するまちづくりの会社」でしょうか。19年に東急電鉄を分社しましたが、そもそも当社の源流は、田園調布や洗足など、地域の街づくりのために鉄道やバスといった交通インフラを敷いてきたところにあります。他の鉄道会社は、鉄道を敷いてから周辺地域の街づくりに着手する流れが多いのですが、当社は順序が逆です。
営業利益ベースの事業比率をみても、交通35%、不動産50%、生活サービス15%という割合で、不動産が最も大きいバランスになっています。鉄道事業は、運賃改定に許認可が必要であることもあり、今後大きく利益を伸ばしていくということは考えにくい。会社全体の利益水準を引き上げるとすれば、不動産開発や他のインフラ、生活サービス関連にその可能性があると思います。
―― 野本弘文会長は、今年の社員向け年頭あいさつで「つながり」の重要性を強調しました。堀江さんの年頭あいさつにもこのキーワードが登場しましたね。
堀江 私もかねてから事業間のつながり、沿線地域の方々とのつながりの大切さを意識しています。
事業間連携については、グループ各社、各事業部門のトップに対するミッションとして、彼らがもっと意思疎通ができるような環境を整えていきたいと思っています。「東急グループ社長会」という各トップが顔を合わせる場は設けていますが、今後はさらに現場に近い声も取り入れていくべきだと考えています。これだけグループ会社や事業の数が多いと、どうしても縦割りになりがちですから、横のつながりを強めることでさらなるシナジーを生んでいきたいですね。
沿線地域の方々とのつながりについてですが、渋谷や多摩田園都市、二子玉川などの地権者さんや行政の方との関係は既に強固になっています。ただ、当社が戦前に開発を手掛けたエリアの中には、かつて築いたネットワークが風化しつつあるエリアもあります。例えば昨年、ある土地の再開発に着手した際、お付き合いの長い地権者さんにごあいさつに行ったのですが、「東急の社長が来るのは祖父の代以来だ」と言われました。そうした関係を再生させることを意識してきたのですが、私の代ではさらにつながりを深めていきたいと思います。