映画に詳しい人ではなくてもその名前は広く知られているであろう。世界中の歴史ある映画祭で高い評価を受け、栄誉ある受賞を重ねる、日本が世界に誇る映画監督・是枝裕和氏。多忙を極める中、日本映画界の発展のために精力的に動く是枝氏が抱える「現状への不信感」と「未来への危惧」を聞いた。聞き手=武井保之 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2024年5月号より)
是枝裕和 映画監督のプロフィール
コロナ禍からの順調な回復。そんな映画界の危機的状況
―― フランスのCNC(国立映画映像センター)に相当する統括機関を設立し、教育支援、労働環境保全、製作支援、流通支援を柱とする映画を守るための支援基金となる共助システム構築を目的にするaction4cinema(日本版CNC設立を求める会)を2022年6月に発足し、共同代表に就任されました。運営メンバーには共同代表の諏訪敦彦氏のほか、西川美和氏、舩橋淳氏、深田晃司氏、片渕須直氏ら著名映画監督が名を連ねます。
是枝 このままでは映画界の10年、20年先に明るい未来はないという危機感を多くの映画監督が抱いています。たとえば、昨年5月のアジア7カ国(韓国、台湾、シンガポール、インドネシア、フィリピン、マレーシア、モンゴル)による映画制作連携協定「AFAN(Asian Film Alliance Network)」に日本は不参加でした。その理由は、日本には各国のようなカウンターパートナーとなる組織がなく、事務局は文化庁やユニジャパン(日本映像コンテンツの海外展開支援を担う公益財団法人)にアプローチしていましたが、担当部署が分からないまま連絡が途絶えていたためです。そうした対外的な問題もありますが、国内の産業としての改善、改革すべき深刻な課題が山積しています。
もともとは19年に、当時の映画界リーダーであった日本映画製作者連盟(映連)〈※〉の故・岡田裕介会長に、映画界改革の提案書を持っていきました。それと同時に同じような危機感を抱いていた監督同士でも勉強会のような形で、映画界の課題と改善点の話し合いを始めました。
そのあとすぐにコロナ禍になり、映画が作れない、公開ができない中、すぐに何か手を打たないと回復不可能なダメージを受ける状況になりました。各監督それぞれが問題意識を持って個別の動きをしつつ、勉強会も1年半続き、ようやく会として発足させました。
―― コロナ禍前の映画市場は、年間映画興収は右肩上がりで伸び続け、19年には歴代最高を記録。コロナ禍で落ち込みましたが、この2年で順調に市場規模を回復しています。そんな映画界が内包する危機的状況について教えてください。
是枝 昨年は邦画634本が公開されましたが、大手映画会社の作品数がその1割ほどで、興収は全体の9割以上を占めます。残りの興収1割弱を、大手数社以外の独立系映画会社などによる、全体の9割になる作品で分け合っている状況です。
もちろん興収を上げるに越したことはありませんし、映画を作り続けるために大切なこと。一方、世界的に見ても日本は映画チケット代がこれだけ高い中で、作り手側のほか、労働環境の改善や人材育成等にはほとんど還元されていないんです。
大手映画会社は、大規模予算大作の製作委員会に入り、グループ系列のシネコンで上映します。そこでいくらヒットして興収を上げても、利益の大部分がそのグループの中で回るだけ。作り手側には還元されないから、スタッフの賃金も上がらず、次の企画開発に対しての資金もない。
作品のクリエーティブは、映画会社の外側の制作プロダクションなどが担っていて、映画会社は完成した映画を上映して利益を得る。最小限のリスクで最大の売り上げが入るシステムになっています。一方、新しい企画を開発するときの開発費が出ないから、作り手の持ち出しになる。そういう状況が続いている中では、作り手は育たない。このままで、新しい世代の作り手がオリジナリティのある映画を作り続けられるのか、という疑問と危機感があります。
僕や諏訪さん、深田さんは、フランスの資金援助で映画を撮った経験があるので、日本でいかに作り手が守られていないかを痛感しています。フランスの仕組みは世界的に見ても例外的なので、そのまま日本に導入しても馴染まないとは思うのですが、何らかの支援の仕組みは必要です。
有志の監督で組織を設立。業界団体と闘ってきた1年半
―― action4cinemaの設立からの活動実績を教えてください。
是枝 映連への「労働環境保全・ハラスメント防止に関する提言書」の提出や、釜山国際映画祭での韓国映画界との情報交換や勉強会などを実施しつつ、最大の目標である日本版CNC設立に向けたミーティングを映連理事や関係者と行ってきました。
―― ミーティングの進捗はいかがでしょうか。
是枝 月1回ほどの会合を1年間続けてきましたが、今はストップしています。映連との間で話が頓挫しているのは、業界全体の健全化と環境整備を目的にする組織(日本版CNC)を設立したときの財源について。われわれは映画チケット代から1%を出してほしいと交渉してきましたが、終始拒否されています。彼らの主張は、文化庁や文科省などが国の責任でやるべきことであり、法律を変えてもらえれば従う、というもの。業界全体を見渡して、ミニシアターを取り巻く環境を含めた課題を改善していこうというリーダーシップは発揮していただけませんでした。
ちなみに、フランスのCNCは映画チケット代の11%、韓国のKOFIC(韓国映画振興委員会)は同3%を財源の一部として助成を受けています。僕はフランスや韓国のように業界内の共助・共生の仕組みを作るべきだと思って動いてきましたが、映連は自発的に何もやる気がないことが分かった1年半でした。残念な結果ですが諦めたわけではないので、それ以外の手法を模索しています。
交渉が進まぬ背景にある
大手企業と業界団体の無策
―― 映連は業界の中心にいる当事者でありながら、他人事のようなスタンスに感じます。
是枝 配信がこれだけ伸びてきている中、これから先、劇場興行とどう両立させていくかという大事なことの根幹にある問題でもあり、日本以外の国は危機感を持って意識的に動いています。一方日本は大手企業や業界団体が無策で何もしない。
この1年の間に、NetflixさんやU―NEXTさんにもお声がけをし、映連との交渉のテーブルについていただきました。当初彼らは映画界が豊かになるのであればと、助成金の捻出に前向きな姿勢を示していたのですが、映連が後ろ向きだったため、以降の進捗がありません。
―― この先の打つ手をどう練っていますか。
是枝 改革は民主導で行うべきで、国の主導でうまくいくとは考えていませんが、そういう働きかけも選択肢のひとつとして捨てずに持ちながら、今対策を練っているところです。戦略的に動かないと失敗するのでまだ話せませんが、いろいろな関係先への働きかけを続けています。
―― このまま変わらなければ、映画界は衰退していく道から逃れられないのでしょうか。
是枝 10年後が明るくないのは明らかです。本来、10〜20年後の映画界のビジョンを作るのは僕ら監督だけではどうしようもない。人口も減少していく中、未来の映画ファンを育てるために業界団体こそ動いてくれというアクションを起こしています。
この数年で全国のミニシアターがどんどん潰れていって、観客が映画を見る環境が圧倒的に貧しくなってきています。東京は例外的ですが、それでも歴史的なミニシアターだった岩波ホールをはじめ、アートホールがいくつも閉館し、多様な映画体験を提供できなくなってきている。地方には映画館がなくなり、都心はシネコンばかりになり、映画の多様性がどんどん失われている状況への危機感があります。作り手もさまざまな映画を見ることでしか育たない。映画産業がやせ細っていくのは間違いありません。
―― 日本が世界の映画界から学ぶべきことは何だと考えますか。
是枝 たくさんありますけど、ひとつは投資の問題。日本は作品ごとに製作委員会を設け、業界の内側だけで資金を集めて、リスクを分散しながらお金を回すという“村的”な作り方をします。一方、韓国は映画が投資対象であり、映画業界以外から広く資金が集まります。良くも悪くも日本以上にシビアなビジネスです。企画の段階から制作会社と投資会社の審査があり、最終的な決定稿の脚本と全シーンのストーリーボード(絵コンテ)が求められます。僕は基本的に撮影しながら脚本を作るので「企画の段階と違うものを撮るな」と言われても困る、という話をしたら、結果的に投資対象にはならなかったようで、映画会社が資金を出してくれました(笑)。
日本はいつまでも視野の狭い作り方でいいのか。韓国のように外のお金を入れてパイを広げていかないといけない。そういうことができるプロデューサーが育つべきですね。
日本でも他業界の方々が映画を投資対象にしてくださると大変ありがたいです。歴史的にも芸術は企業の経済活動からの支援によって支えられてきました。社会貢献活動の一環としての還元もぜひ考えてください。儲かりますので、ときどき(笑)。それによって映画界の村社会に新しい風が吹き、変わっていくことを期待しています。
※日本映画製作者連盟(映連):映画製作配給大手4社(松竹、東宝、東映、KADOKAWA)による団体。映画産業の振興を目的に、公的機関、関連団体との折衝や国際映画祭への参加などを行う。