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国際競争力を高める街づくり「次の渋谷」への道筋とは 西川弘典 東急不動産ホールディングス

西川弘典 東急不動産

2020年、東急不動産HD社長に就任した西川弘典氏。リゾート開発に関わってきた期間が長いことから、「社長就任まで、山手線の内側に再開発に携わることがなかった」と笑う。現在足元で力を入れている渋谷の再開発が大詰めを迎える中、西川氏の思い描く「次の渋谷」とは。聞き手=小林千華 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2024年5月号より)

西川弘典 東急不動産ホールディングス社長のプロフィール

西川弘典 東急不動産
西川弘典 東急不動産ホールディングス社長
にしかわ・ひろのり 1958年、北海道生まれ。82年、慶應義塾大学経済学部を卒業後、東急不動産入社。主にリゾート開発などを手掛け、2013年に東急不動産ホールディングス執行役員就任。20年より社長(現任)。東急不動産では、17年副社長就任、21年より会長(現任)。

就任後進めてきた構造改革。HD化の効果も出てきた

―― 社長就任以降、東急ハンズをカインズに売却するなど、大胆な構造改革を進めてきました。今後もさらなる改革を計画しているのでしょうか。

西川 社長に就任した時、従業員たちに「グループでとても広い事業領域を持っていることを、単なる特徴ではなく強みに変えていこう」と言いました。グループ内の事業会社どうしで、自分たちの持っている経営資源やノウハウを共有し合うことで、プラスになるものがたくさんある。でもそれとは逆に、業績が良くないところに関しては、本当にわれわれのグループにあった方がいいものなのか考えて取捨選択をする必要もあります。

 残念ながら東急ハンズは当時、コロナ禍による営業短縮の影響のほか、EC化の波に乗り遅れ、自社のPB商品の比率も低く、今後の成長イメージをどう描くかが課題となっていました。しかしながら当グループ内には、彼らにノウハウを共有できる事業会社がない。そこでホームセンター大手であるカインズさんのもとで事業を継続したほうが、お客さまにとっても従業員にとってもよいと考え、実行に移しました。昨年の東急プラザ銀座売却や、東急スポーツオアシスの株式譲渡も、同じような経営判断で行ったものです。

 これにより、現段階で自分たちのグループにあるべき事業は全て手元に残っている状態が作れたと思いますので、外科手術的な大きなポートフォリオの改革としては、これでひと段落しました。一連の流れの中で、従業員たちも構造改革に伴うさまざまな変化を体感して、学んでくれたはずです。今後も社会変化に合わせて柔軟に変われるグループでありたいですね。

―― そもそもホールディングス体制ができたのは13年。それまでは東急不動産の下に全ての子会社がついていた形でしたが、新たに持ち株会社、東急不動産HDを設立。東急不動産含む子会社全てがその下につく体制に移行しました。約10年がたちましたが、当時狙った効果は出ているのでしょうか。

西川 持ち株会社制への移行は、経営方針の大転換を図るためのものでした。当グループの始まりは、約100年前に渋沢栄一翁が、人口増加に合わせて郊外に住宅地をもっと作ろうということで、田園都市株式会社を設立したところにある。ここから日本経済の成長に合わせて、それぞれの時期の社会課題を解決することで大きくなってきたわけです。その原点に戻り、単に都市開発して建物を作る、売るということだけでなく、不動産に関連するあらゆる事業を担う会社が、ひとつのホールディングスの下で、それぞれの領域の中で可能な限り伸びていってくれるようにと、現在の体制に移行しました。

 狙っていた効果については、10年経ってようやく出てきたといったところでしょうか。事業会社どうしのコミュニケーションがとりやすくなりました。直近だとコロナ禍のいち早くお客さまと従業員の安全を確保しなければならない状況においては、ホールディングスが中心で動くことにより、ワクチン職域接種などの意思決定が早く進みました。また、ちょうど同じ時期に、30年度に向けた長期経営方針の策定に取り組んだのですが、ホールディングスがあることで、その中の事業会社全てが同じ方向を向くことができるという実感はそこで得られましたね。

―― 30年度に向けた長期経営方針では、21~25年度を「再構築フェーズ」と位置付けていました。ここからは26~30年度の「強靭化フェーズ」に向かう時期です。

西川 そうですね、21~25年度の中期経営計画で一番の目玉である事業ポートフォリオの改革が順調に進み、このままいけば「強靭化フェーズ」に1年前倒しで入れると考えて、次の中経を練っているところです。

 30年度に向けた長期経営方針「GROUP VISION 2030」では、グループ全体の方針として環境経営とDXを掲げています。そのうちDXについてですが、当時の不動産業界のデジタルリテラシーというのはあまり高くありませんでした。役員の中にスマホをうまく使いこなせない人間が複数いるとか、そのくらいのレベルですね。ただどの業界であれ、今後デジタル対応が遅れている商品、サービスなんてありえないだろうと思い、全社的にもっとデジタルへの意識を上げるために目標に掲げました。同時に、この10年間で、不動産業界のあらゆる業務が川上から川下までできるプラットフォームなり仕事のやり方なりができるだろうという期待も込めていました。実際、コロナ禍で、これほど急速にデジタル化と働き方改革が進行するとは想像していなかったですが。

―― 環境経営についてはいかがですか。

西川 環境経営を目標に掲げた理由には、10年後には人が商品やサービスを選ぶ基準に「環境貢献度」が入ってくる時代になるだろうと考えたことがあります。実際、24年現在、同じことを考えて実践している企業は、業界問わずどんどん増えています。

 ただ問題は、環境に対する取り組みが、企業にとってコストになっているケースが多いこと。環境維持に貢献しつつもそれをどうマネタイズして、経済活動としてお客さまからの評価を得ていくかがこれからの課題です。その第1段階として、長期経営方針で「再構築フェーズ」と位置付けた5年間、社員の環境に対する意識を高めることはできたと思います。ですので、後半の「強靭化フェーズ」では、環境への取り組みを商品の魅力としてお客さまに伝えるにはどうすればいいか、社員各々に考えてもらわなければなりません。

学生時代から親しんだ渋谷。だから考える「次」の姿とは

西川弘典 東急不動産
西川弘典 東急不動産

―― 広域渋谷圏の再開発もいよいよ花開き始めました。昨年11月にはその主要プロジェクトである大型複合施設、Shibuya Sakura Stageが竣工しています。

西川 都市開発というのは、どこでやっても途中で想定外のことが起きて、竣工が遅れたりするものです。でも今回、特にShibuya Sakura Stageなど広域渋谷圏の再開発はほぼスケジュール通りに完成させることができ、良かったです。

 私にとって渋谷は学生時代からの遊び場でした。当時はまだ東横線の駅のホームが地下に潜っておらず、地上2階にあったのですが、昔は渋谷で飲んだ後、駅のホームに向かう途中で終電が行ってしまって、そのまま街に戻って朝まで飲み直す……なんてこともしょっちゅうでした。そんな時代からするとずいぶん街並みが変わって、私自身も驚いているというのが正直なところです。

―― 長い間渋谷周辺の再開発を進められてきたことで「東急不動産といえば渋谷」というイメージがあります。「渋谷の次」についての構想はあるのでしょうか。

西川 「渋谷の次」ですか。広域渋谷圏の開発は当社の一丁目一番地ですから未来永劫続けます。そういう意味では「渋谷の次」は次々出てきます。

 衣食住どれも満たせる過ごしやすい街というのは、今や当たり前です。これからの街づくりに求められることは都市間国際競争力を上げていくこと、つまり、いかにその街で産業育成を行えるようになっていくかということですよね。例えば渋谷は今、スタートアップ企業が多く集まる街にもなっていますが、自然発生的にできたこの環境を、国際的な競争力になるくらいの規模感にまで大きく伸ばしていきたいと思っています。新しいShibuya Sakura Stageのオフィスエリアにも、スタートアップの成長を支援する特別区画を設けます。最長2年間の契約中、入居テナントの賃料などの各種費用を当社グループでサポートし、当社との事業提携も行うことで、次に羽ばたく土壌作りを支援するプランです。

 もうひとつの「次の渋谷」は、観光地としての魅力をもっと高めていくことです。東京都の22年の調査では、訪日外国人が都内で最も訪れた場所、訪れたい場所としてスクランブル交差点が1位になったそうですが、交差点を渡るだけでは訪日外国人はお金を落としてはくれないですから(笑)。それは冗談としても、それだけ観光客が集まっているのであれば、今以上にビジネス機会を作ることはできるはずです。19年、東急プラザ渋谷の最上階に「セラヴィ東京」という海外発のナイトクラブが開業したのですが、そこには訪日外国人のお客さまが大変多く訪れていると聞いています。多様性の街である渋谷では、24時間人が集まる仕組みが既に出来上がっていますから、そういう環境をどうビジネスにつなげていくかということを今後も考えていかなければならないですね。