空調機器最大手のダイキン工業が、30年間、経営トップを務めてきた「中興の祖」井上礼之会長の退任を発表した。今年はダイキンにとって創業100周年という節目の年。30年で300倍近くの純利益を叩き出すまでにダイキンを成長させた井上会長の功績とは。文=ジャーナリスト/小田切 隆(雑誌『経済界』2024年8月号より)
地味で収益の上がらない「ボロキン」だったかつて
「創業当時15人の町工場から、世界170以上の国と地域で事業を展開するグローバル企業に変貌し、私自身、隔世の感を覚えている」「過去からの学びを未来に生かす温故知新の精神で、メーカーの生命線である技術力を磨き、技術を通じた社会貢献を果たしていきたい」
5月21日、大阪市北区の「ザ・シンフォニーホール」で開かれたダイキンの創業100周年記念式典。9日に退任が発表されていた井上氏は壇上で、こうあいさつした。その言葉には、自身が経営トップとしてダイキンを育て上げたことへの感慨が込められているようだった。
いまや世界中に拠点を持ち、海外売上高比率が8割を超える、日本を代表するグローバルメーカーのダイキン。
筆者がダイキンの世界での存在感を初めて実感したのは約15年前、タイを仕事で訪れたときのことだ。日本からスワンナプーム国際空港に到着後、バンコクへ向かって車に乗って走っているとき、高速道路(だと思われる。高架道路)の脇に、「ぴちょんくん」を使った、日本では見たことがないほど巨大な広告看板がいくつか並んでいるのを目にした。
ぴちょんくんは、ダイキンの家庭用エアコン「うるるとさらら」のマスコットキャラクター。海外経験が乏しく、初めてタイに足を踏み入れた直後で緊張していたとき、日本でおなじみのキャラクターがいきなり目に飛び込んできて、ダイキンのタイでの浸透ぶりと、日本企業の海外での活躍に、非常に驚いたものだった。
1994年の社長就任後、そのダイキンを経営トップとして引っ張り育ててきた井上会長が退任することになった。井上氏は名誉会長となるが、取締役は退任する。ただし、会長職と兼務してきたグローバルグループ代表執行役員は続け、経営への参画とサポートは継続する。
竹中直文専務執行役員が社長に、十河政則社長が代表権のある会長になる人事も発表された。正式な決定は6月27日開催の株主総会と、その後の取締役会を経てとなる。
竹中氏は大阪府出身で、86年に同志社大工学部を卒業し、ダイキンに入社。ダイキンの主力である空調や物流事業を手掛けてきた。2018年から常務執行役員、21年から専務執行役員を務めてきた人物だ。
5月9日の記者会見で竹中氏は「非常に変化の激しい時代。変化に対し、進化し続けられるよう、現場第一線に入り込んで、実行のスピードと成果の創出を加速させることに全力を尽くしていきたい」と話した。
一方、退任を発表した井上氏は、1935年3月生まれで、ダイキンに入社したのは57年のことだ。常務、専務などを経て、94年、社長に就任。その後、会長となった。
「地味で収益の上がらない『ボロキン』と揶揄された」
井上氏自身、著書『人を知り、人を動かす︱リーダーの仕事を最高に面白くする方法』(プレジデント社)で、かつてのダイキンをこう振り返る。そして経営トップとして、そのダイキンを「空調業界の世界ナンバーワン企業」(井上氏、同著書)に成長させてきた功績はだれも否定できないだろう。
それは業績の数字をみれば一目瞭然だ。ダイキンの2024年3月期の連結売上高は4兆3953億円で30年前の12倍、純利益は2603億円で289倍に膨れ上がった。
43億円の特別功績金を支払う「7つの功績」
ダイキンは、その井上氏に43億円の「特別功績金」を支払うことを決めた。そして井上氏の功績の詳細は、5月にダイキンが公表した定時株主総会への招集通知に記された特別功績金に関する説明を見れば、よく分かる。
井上氏の功績は次の7項目に分け記されている。
①「卓越した経営戦略による飛躍的な事業発展を成し遂げた」
井上氏は1994年の社長就任とともに、「空調改革計画」をつくった。そして、空調三本柱戦略、つまり「業務用エアコン」「家庭用エアコン」「ビル用セントラル」の3つを柱にして、米国、中国、アジア・オセアニア、欧州などでグローバル展開を進めたとしている。
このほか、換気できる家庭用エアコン「うるるとさらら」などで差別化戦略に成功。国内でも量販店や住宅、電材大手などを含む広い流通ルートを切り開いた。
中国へは95年から業界に先駆け、業務用エアコンの最新モデルで進出した。98年からは、欧州での自前販売網の整備や販売拡大戦略を進めている。
米国、アジアなどでも積極的に買収戦略を進め、現在は米国での空調市場で「ナンバーワンをうかがう位置までに進展」した。
②「グローバルでの市場最寄化の開発・生産・販売体制を構築」
「市場最寄化」は「現地化」「地産地消」という言葉にニュアンスが近いだろう。
それぞれの国や地域のニーズにあった製品を短いリードタイムで開発・生産し、施工・メンテナンスまで一貫して対応する体制であると説明している。
具体的な取り組みとしては、これまでに、世界に110以上の生産拠点と25カ所のR&Dセンターを設けたことを挙げた。
各国や地域の事情に適応した戦略を展開し、欧州では環境規制を踏まえて、「脱化石燃料化」を推し進めるヒートポンプ暖房や、給湯機器を開発。
米州では、インバータ機能と低温暖化冷媒を使った省エネ性の高い住宅用ユニタリーエアコン(全館空調)「FIT」を開発したとする。
このほか、インドでは激しい電圧変動などに耐えうるエアコンを開発し、中国では需要の中心であるマンション用の中央空調システムなどを開発したと説明している。
③「技術のオープン化戦略によって世界標準を創り出し、新たな市場を切り拓いた」
ダイキンは「地球規模で考え行動する」「環境社会をリードする」といった経営理念を掲げている。
これらに基づき、エアコン室内機の稼働状況に応じて室外機の能力を調整し省エネを実現したインバータ技術を中国の空調大手メーカーへ提供。「オゾン破壊係数ゼロ」「温暖化係数が従来冷媒の3分の1」を実現した「低温暖化冷媒」の特許を無償開放した。こうした技術のオープン化によって、市場全体の拡大に貢献したとしている。
④「差別化商品を次々に生み出す研究開発体制を構築」
「技術のダイキン宣言」を掲げ、技術者が国内外の市場調査に自ら出向いて、グローバルな視点で商品企画を立案する開発体制を整備した。
グローバルで技術を伝承する「マイスター制度」「トレーナー制度」「技能オリンピック」をスタート。2015年には、ダイキンのコア技術である「ヒートポンプ」「インバータ」「冷媒制御」などの大幅な効率化とスピードアップ、オープンイノベーションを実現する拠点として、テクノロジー・イノベーションセンター(TIC)を開いた。
⑤「将来の事業領域を拡げるために協創の仕組みを構築」
AIやIoTを応用した「第四次産業革命」時代が来たことを踏まえ、「協創」の仕組みづくりが必要であると決断し、TICを中心に、東京大学、京都大学などとの「産学・文理包括提携」、日立製作所、富士フイルム、村田製作所などとの「産産連携」、理化学研究所、産業技術総合研究所などとの「産官連携」を推し進めた。
⑥「成長を支える企業理念の浸透と人材育成」
「グループ経営理念」をつくり、毎年、世界の主要拠点で開くマネージャーミーティングや、戦略経営計画「FUSION」の改定期に開くグループ経営会議での実践などを通じ、世界の全グループ社員に経営理念を浸透させた。
また、「人を基軸におく経営」を徹底的に進め、次世代の経営人材にも「企業理念や企業文化」を継承した。
⑦「ダイキンの外部評価を高めた」
日本の産業政策に絡む審議会や協議会、経済・産業界関係団体などで重要な役職を歴任し、ダイキンの代表として外部活動で幅広く貢献してきた。外部の重要な賞も複数受賞してきた。
もちろんこれほど多岐にわたる項目だから、いろいろな社員の知恵や実行もあっただろう。ただ、ダイキンをよく知る関係者が口をそろえるのは、「井上氏がリーダーシップを発揮し、ダイキンがチームワークを発揮できたことが大きい」ということだ。
それを支えるのが、⑥にも盛り込まれた、井上氏の「人を基軸におく経営」だろう。井上氏自身、折に触れ、このことは口にしてきた。
成長路線を続けられるか。後継者たちへの重い宿題
前掲の著書でも次のように述べている。
「(私の中で変わらなかったのは)『メンバー一人ひとりの成長の総和が、組織の成長の基盤になる』との信念です。そして、その最初の一歩となるのが、メンバー一人ひとりに関心を持ち、深く知ろうとすることです」
「(リーダーに求められる役割は)『成果を出し続ける』ことであり、それを『人を通じて実現する』ことである。この二つを大切な軸として持ち続けています」
少子化の今、どの企業も、若い優秀な人材を採用することは難しくなっている。若い社員は、やりがいを求めてすぐに他社へ転職してしまう。社員がやりがいと自身の成長を感じながら、同時に所属する会社も大きくなるべきだという井上氏の哲学は、多くの企業にとって参考になるのではないだろうか。
当面、ダイキンでは、井上氏が経営に関わる体制が続く。しかし、いずれ井上氏も完全に退場する日がやってくる。
いまや「神様のような扱いを受けている」ともいわれる井上氏がいなくなった後、世界の経済情勢も不透明な中で、ダイキンを引き続き順調な成長路線に乗せ続けられるのか。「ポスト井上」を担う後継者たちは重い宿題を与えられたといえるだろう。