経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

自然の力で農作物を増収 食料と環境2つの問題に挑戦

パナソニックHD テクノロジー本部 主幹研究員 児島征司

近年、光エネルギーを使ってCO2を活用する方法が注目を集めている。例えば植物の光合成を人工で行い、太陽エネルギーを化学エネルギーに変えて蓄積する人工光合成や、藻類のCO2の吸収、バイオマス燃料がある。そんな中、パナソニックHDは植物の光合成代謝を活性化する成長刺激剤「ノビテク」を開発した。文・聞き手=萩原梨湖(雑誌『経済界』2024年8月号巻頭特集「歴史が動いた! 企業の素材発掘記」より)

葉に散布する成長刺激剤でホウレンソウの収穫量54%増

植物成長刺激剤「ノビテク」
植物成長刺激剤「ノビテク」

 「ノビテク」は、水で希釈し農薬散布機で野菜や果物の葉に散布することで植物の成長を促し収穫量の拡大を図る液状の成長刺激剤だ。月に1~2回の作業で済むため、従来の農作業に追加される負担はわずかだ。ノビテクは植物葉緑体の起源であるシアノバクテリアと呼ばれる光合成微生物の一種を使って作られた。シアノバクテリアは海や淡水に存在しており、光合成でさまざまな分子を作る。同社はこれを抽出し、植物成長刺激材として活用する技術を確立した。2019年から研究を始めており、21年に開始した効果検証ではホウレンソウの収穫量が54%増える結果が出ている。さらに22年以降に開始した全国農地での多品目試験では、トウモロコシの4Lサイズの割合が49%増加した。効果は品目や試験毎にばらつきがあるが、これまでに蓄積した結果を総合すると8割程度の確率で収穫量や秀品率が向上するなどの効果が認められている。24年度中には商品化し販売する予定だ。

 総合電機メーカーであるパナソニックHDが農業やバイオテクノロジー分野の開発を積極的に進めるのには訳がある。同社のバイオテクノロジー開発は歴史が深く、1991年に上市した、酵素反応を利用して血液の中のグルコースを測定する機器「血糖センサー」までさかのぼる。これには、生物学的な素材を光や電気に変換して人間の生体反応を検出するバイオセンシング技術を使っている。同社はそのセンシング技術を生かしヘルスケア領域に携わっていた。そして2014年からはバイオ物質生産技術の強化が方針に加わった。パナソニックHDにおけるバイオ物質生産技術とは、今まで行ってきたセンシング技術の逆回転のような仕組みで、光や電気を酵素反応や微生物の成長反応に変換する技術だ。ノビテクは光を植物の成長分子に変換しているためこちらに該当する。

 その背景には、農業を通じた食料需給の問題がある。50年には、世界の穀物需要量が現在の1・7倍に達し食料不足に陥る可能性が指摘されている。それと同時に、食料生産者には環境に負荷が少ない方法での生産が求められている。

 「農作物の生産量を増やすだけであれば、植物工場のようにコストをかけて屋内で人工的に植物を栽培すればいいことです。しかし、食料問題と環境問題どちらにも対応するとなると、低コストで高い効果のある技術を世に送り出す必要があります。私たちは、空気中のCO2を主原料にすることで低コスト化を図り、かつ植物の潜在能力をフル活用する方法で研究開発を進めてきました」(パナソニックHD技術部門テクノロジー本部・児島征司氏)

 さまざまな農作物、植物の生産量を増やすことができるようになれば認知度も向上し、より多くの農家の方に使ってもらえる。幅広く価値を提供することで経済合理性にもつなげる考えだ。

 さらに、バイオ燃料の資材になるトウモロコシなどを増産し、CO2削減にダイレクトに相乗効果をもたらすバイオエコノミーへの転換も将来的な目標としている。

 開発者の児島氏は、前職の東北大学国際科学フロンティア研究所の助教授としてシアノバクテリアの研究をしていた。パナソニックHDに入社後も、その知見を生かし、「シアノバクテリアが光合成で生み出すものを植物の成長に生かせるのではないか」という発想でノビテクの開発に結び付けた。

 下記のインタビューを通して、児島氏が、開発時の障壁をどのように乗り越えたかや、どういった部分に同社の強みが生かされているかなどを深掘りしていく。

以下囲みインタビュー・児島征司・パナソニックHD技術部門テクノロジー本部

研究開発は回り道の連続。成果を商品にするのが難しい

パナソニックHD テクノロジー本部 主幹研究員 児島征司
パナソニックHD テクノロジー本部 主幹研究員 児島征司

―― 児島さんが中心となって研究開発をされましたが、開発当初からいろいろな壁が立ちはだかっていたそうですね。

児島 シアノバクテリアを部分的に改変して葉緑体のようにする技術が必要なのですが、その技術を確立することよりも、それを何に使うかという部分が手探りの状態でした。行き詰まっていた時に思い切ってホウレンソウに掛けてみたら反応が見られそこから道が開けました。今振り返ると大きな方向性を定めるまでの模索期間が大きな障壁の一つでした。

―― ほかにもうまくいかなかったことや難しかったことはありましたか。

児島 どんな開発でも同じかもしれませんが、当初思い描いていた形とはどんどん離れていきました。開発当初から植物の成長刺激剤の販売を考えていたわけではありません。成長刺激分子の抽出方法はバイオC

O2変換装置を使い、外膜をはがしたシアノバクテリアと、成長を刺激する有機分子群などの混合物を分離します。その際ろ過装置の役割をするフィルター機能を持ったCO2変換装置を農家の方に販売し、ご自身で成長刺激剤を作って使ってもらおうというアイデアを膨らませている時期もありました。それに向けて検討を進めていくと、忙しい農家さんにとっては手間がかかるため実用的でないことや、装置の安定的な製造が難しいということが分かり断念しました。

CO2 変換装置。緑色の部分にシアノバクテリアを入れ、生み出 した成分は真ん中のフィルターを通って右に抽出される
CO2 変換装置。緑色の部分にシアノバクテリアを入れ、生み出 した成分は真ん中のフィルターを通って右に抽出される

―― 現在のノビテクになってからの量産化や商品化はスムーズに進んでいますか。

児島 2021年度以降の量産化に向けた技術開発からは、グループ会社のパナソニック環境エンジニアリングと協力して行っています。量産化からはバイオテクノロジーよりも、光の照射の仕方や、培養液の水に対する空気の含有量、攪拌方法、容器への充填方法などの工学系の知見と技術が必要になってきます。パナソニックグループには、その道の専門家がたくさんいるので、量産の立ち上げの部分ではグループの強みを最大限に生かしてスムーズに乗り切ることができました。ここからは、環境負荷低減や食料生産への貢献という共通の目標を掲げている企業さまと協力し、販路を確立し24年度中の販売を目指していきます。