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「改革」は何を変えてきたのか 新たな教育に向けて 赤林英夫 慶應義塾大学

赤林英夫 慶應義塾大学経済学部

(雑誌『経済界』2024年8月号「教育改革 今そこにある危機」より)

官邸が主導した教育改革のいきさつ

 「教育改革」、この言葉にどういう印象を受けるだろうか。「一体いつまで改革をしているのか」、これまでの教育改革の歴史を知っている人ほどそう感じるのは無理はない。

 教育改革の流れは、1984年に中曽根康弘内閣が総理府に設置した臨時教育審議会にまでさかのぼる。子どもの非行や過度な受験競争をはじめ教育問題がマスコミに報道される中で、打ち出した教育の「自由化」と「個性化」の路線は、以降の政策にも影響を及ぼした。2001年の省庁再編で内閣府が設置されたことで、首相の権限は一層強まり、官邸による教育行政への介入は勢いを増した。

 小泉純一郎内閣が主導した国立大学の法人化から今年で20年となったが、当初期待された教育と研究の質の向上という目標に対して、武蔵大学教授の大内裕和氏は「市場の競争原理を導入する法人化により、研究論文数が国際的に見劣りする結果となった」と指摘する。国立大学の法人化以降に見られるのは、依然として文科省からの運営費交付金による支援に頼る大学の姿だ。この交付金も削減傾向にある中で経営がひっ迫する大学は後を絶たない。

 安倍晋三内閣の諮問機関である教育再生会議(06~07年)および教育再生実行会議(13~21年)では、10年に一度更新講習を受けなければ教員免許が失効する「教員免許更新制」の導入(22年に廃止)や、07年に60年ぶりに改正した教育基本法に「我が国と郷土を愛する態度を養う」と愛国心に関する文言を盛り込んだこと、あるいは、道徳の教科化など、いずれも大きな議論を巻き起こした。

 成果だけではなく、新たな問題も生み出してきたのが、これまでの教育改革であった。

教育の大問題。解決の手段は何か

 こんにちの日本の教育にまつわる大問題として以下の2つが挙げられる。

 まず、未曽有の少子化だ。23年の出生数は過去最少の72万7277人となった。学校経営だけでなく、塾や予備校などの教育系企業にとっても死活問題だ。

 2つ目には教員不足に伴う教育現場の多忙化が挙げられる。多忙化の解消には、「予算とともに教員を増やす」か、「業務の効率化」を図ることが有効だろう。文科省は、毎年の予算編成で財務省と厳しい折衝を経て予算を確保しているが、増やすのは一筋縄ではいかない。

 予算の使い道については、公立小中学校の教師の人件費や学校施設の建設費をはじめ、ほとんどが決まっている。24年度の文科省の予算は5兆3384億円。教師の給与費を負担する義務教育費国庫負担金は1兆5627億円となっており、全体の約3割を占めている。この予算配分は生徒数などに応じて算出されているため、少子化が進む状況で国の教育予算は削減傾向にある。

 業務の効率化についてはICT(情報通信技術)の導入により達成されつつある。19年に文科省が開始し、コロナ禍で急ピッチで進んだ全国の生徒一人一人に対し一台の情報端末を配布する「GIGAスクール構想」は今年6年目を迎えている。

 これにより教育のICT化は着実に進んだ。また煩雑な校務や授業準備の効率化にも役立ち、教師の働き方改革にもつながるのではないかと期待されている。

公教育に参入する経産省とエドテック企業

 経産省はこの「GIGAスクール構想」の流れを生かし、生徒に配布した端末と、EdTech(エドテック)企業によるサービスをフル活用した「令和の教育改革」を掲げている。文教関係予算の確保に注力しなければならない文科省と比べて、経産省は制約が少ない分、文科省以上に改革しやすい立場であるという見方もできる。

 経産省は2018年にICTを活用する教育を進めつつ、子どもの関心や学習到達度に応じた学びの個別最適化などを理念とした「未来の教室」実証事業をスタートした。ICT環境を全面的に生かしながら、学ぶ内容を生徒がより主体的に選びとるため、エドテックによる自学自習や教室での一斉授業に限らない学びを目指す。「教育のデジタル化により経済的に不利な子どもに良質な教育を届けられる。地域格差の是正にもつながる」と経産省教育産業室長の五十棲浩二氏はいう。

 少子化と教師の多忙化が改革を促し、公教育と企業との関係性が変化する今、われわれは教育業界の転換点に立ち会っている。次項から、さまざまな立場から日本の教育関係者が直面する課題を見ていく。

赤林英夫 慶應義塾大学教授のプロフィール

赤林英夫 慶應義塾大学経済学部
赤林英夫 慶應義塾大学教授
あかばやし・ひでお 1963年生まれ。専門は教育経済学、労働経済学。東京大学教養学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科修士、シカゴ大学大学院博士課程修了。88年通商産業省(現・経済産業省)入省後、マイアミ大学等を経て現職。また、2010年に学校教育情報サイト「Gaccom」を運営するガッコムを設立、現在会長。

教育と経済成長の距離 変革期の学校の役割とは

―― 教育を経済成長に結び付けるにはどうしたらいいでしょうか。

赤林 国際学力調査での日本の順位の変動に一喜一憂している方も多いですが、それ以上に重要なことがあります。それは、日本の子どもの学力は世界でも高いはずなのに、なぜ生産性が上がらないのか、なぜ経済成長につながらないのか、世界から不思議がられているということです。生成AIをはじめ、急速に進化する技術に適応できる子どもを増やす教育が本格化しなければ、世界から引き離されていくばかりです。

 文科省が急ピッチで進めた「GIGAスクール構想」を経て、子どもがICTを使って学べる環境がようやく整いつつあります。

―― 教員の働く環境にも課題はあります。

赤林 私は4年前から教育現場のデジタル化が学校内の業務にどれだけ寄与したかという研究を進めています。結果、学校のICT導入には教員の残業を減らす効果が認められ、働き方改革の観点でもGIGAスクール構想は大きなメリットがあることが分かりました。

 一方で、端末を配布しデジタル教材を用意したところで、教師のデジタルスキルが低ければ宝の持ち腐れじゃないかという意見もあります。しかし、意外な発見として、教師のデジタルスキルのレベルはオンライン授業の実施に関係ないことも研究から分かりました。スキルは後からついてきますから、まずはICT環境を整えることが重要だというわけです。

―― 現代の学校は多くの役割を期待されすぎではないでしょうか。

赤林 教育が全てを解決するのは不可能ですが、できることはあります。小学校から高校・大学までの教育は基礎ですから、学ぶ内容の取捨選択は簡単ではない。とはいえ、ほとんどの人が卒業後に企業で働く以上、社会が求めていることも軽視できません。生成AIで代替すれば、プログラマーすら不要になります。時代の先端で求められる知識とスキルを、生涯にわたり自ら学び続けられる人間を育てることが、現代の学校の役割といえます。

 そして日本企業も変わるべきです。博士号保持者のような専門性の高いスキルを身に付けた人間をきちんと評価し、能力に見合った給与を払う努力をしなければ、海外との優秀人材の獲得競争には勝てません。学校と企業、どちらも変革期にあるでしょう。

文・聞き手=金本景介