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森ビルの開発哲学を体現する 麻布台ヒルズ担当役員のキャリア 村田佳之 森ビル

村田佳之 森ビル

昨年11月、森ビルが培ってきたまちづくりのノウハウを結集させた複合施設、「麻布台ヒルズ」が開業した。特任執行役員の村田佳之氏は、住宅と小規模ビルが密集していたかつての麻布台で、新卒入社から権利者との協議に関わってきた。村田氏のキャリアを通して、森ビルの開発哲学を探る。聞き手=小林千華(雑誌『経済界』2024年9月号巻頭特集「東京 終わりなき進化」より)

村田佳之 森ビル
村田佳之 森ビル特任執行役員

新卒で麻布台ヒルズ担当に権利者との協議から得た学び

―― 昨年11月、森ビルが開発を進めてきた「麻布台ヒルズ」が、いよいよ開業を迎えました。率直なご感想をお聞かせください。

村田 一部の街区は現在も工事中ですので、まだ全面開業には至っていません。しかし昨年、森JPタワー他の街区が竣工した際、権利者の皆さまにレジデンスの鍵の引き渡しをする時は特に感慨深かったですね。

―― 村田さんは、新卒入社からずっと麻布台ヒルズプロジェクトに携わってこられたそうですね。

村田 町会ごとの「街づくり協議会」が発足し、プロジェクトが本格始動する前年の1988年に入社し、企画開発部(当時)で権利者の皆さんとの協議に携わるようになりました。

 森ビルが手掛ける都市開発プロジェクトは、単に大規模なビルを建てるだけではありません。麻布台ヒルズの計画地は、もともと木造住宅や小規模ビルが密集していた地域で、高低差も大きいエリアでした。地震などで崖崩れが起きたこともありましたし、建物の老朽化も進んでいて、都市インフラの整備が必要な時期にきていました。そこで89年に街づくり協議会が発足し、プロジェクトが始まったのです。

 そこから、私を含めて25人くらいの開発事業部のメンバーで、300人を超える権利者さん一人一人と関係性を構築していきました。勉強会の実施や資料の作成以外にも、地震があれば翌日には担当するお宅の様子を見に行きましたし、神社のお祭りの時には町会の一員として御神輿の担ぎ手もやって、いかに森ビルという会社がその地域に根付くかを考え取り組んできました。

 ただ正確には、35年間ずっと麻布台ヒルズだけに関わってきたわけではありません。途中で異動があり、また戻ってきた形です。権利者さんと話すうちにつながりが生まれて、開発の話だけでなくお孫さんの話を聞いたり、戦時中の話を聞いたり。仕事を通してさまざまな方とお付き合いができ、人としての幅が広がると感じて戻ってきました。権利者さんに「村田さんは偉くなって戻ってきたけど、こっちの状況はそのままだぞ」なんて言われたりもして、絶対にこのプロジェクトを完遂させなければと決意を新たにしたこともありましたね。

―― 建築工事着工は2019年ですから、プロジェクト開始から丸30年は、権利者の人々との議論や都市計画に費やされたことになります。気の遠くなりそうな時間ではありませんでしたか。

村田 もちろん大変ではありました。やみくもに長い時間をかけた訳ではありません。区域の変更など街はどうあるべきかを常に考えながら進めてきました。

森ビルが都心で手掛ける開発区域
森ビルが都心で手掛ける開発区域

 それに、権利者さんの数だけ、望む生活の形があります。今後どういった住宅に住みたいのか、お店を経営されていた方はどうしていくのかなど、お一人お一人納得していただけるプランを用意しなければならない。個々に時間をかけて協議し、19年2月に権利変換計画の認可が下りました。麻布台ヒルズにおいては、従前の権利者さんの9割以上が、他方に転出するのではなく、またこのプロジェクトに戻ってきてくださることになっています。説明会などの会合や日々の交流を通して、森ビルと一緒に街づくりをするとどうなるのかということを、ご理解いただいた結果なのかなと思いますね。こうした努力があったからこそ、従前の建物の解体工事が終わり、更地になった敷地を見た時にも、竣工の時と同じくらいの感慨がありました。

 また、私は直接関わっていませんが、03年に開業した六本木ヒルズも、約400人の権利者さんと信頼関係を築いた上で誕生したプロジェクトです。この時も権利者さん、テナントさんとの協議は他社に委託することなく、全て森ビルの社員が責任を持って取り組んできました。麻布台ヒルズでも、それまでと同じやり方を貫いただけ。時間はかかりますが、真に地域に根付くためにやり抜くのが、森ビル流の都市開発なのです。

随所に「森ビルらしさ」地域に根付く都市開発とは

―― 麻布台ヒルズについては、街全体の魅力と同じくらい、330メートルという森JPタワーの高さが注目されることも多い印象です。

村田 確かに現時点でビルの高さとしては日本一ですが、最初から330メートルという数字にこだわって高さを決めたわけではありません。森ビルには、都市づくりの手法として「Vertical Garden City(立体緑園都市)」があります。細分化した土地を取りまとめて大きな敷地を生み出し、そこに超高層建築を建てることで、足元には緑あふれる広場、人々が憩える空間を確保する。緑豊かな空間を生み出すために、この高さのタワーが必要だったのです。

 とはいえ、新たな東京のランドマークとして見てほしい思いはあるので、注目を浴びることは率直にうれしいです。並んで見える東京タワーのシルエットが「反り」なので、森JPタワーはその対極の「起り(むくり)」にするなど、日本の伝統美を感じさせるデザインにもこだわっていますから。

―― 森ビルは以前から、「東京を都市間競争を勝ち抜く世界一の都市にする」と宣言しています。村田さんにとって、世界一の都市とはどんな都市でしょうか。

今年5月の麻布台ヒルズ。新緑が季節を知らせる
今年5月の麻布台ヒルズ。新緑が季節を知らせる

村田 そうですね。麻布台ヒルズが開業した時から、海外のメディアにも多く取り上げていただいています。「六本木ヒルズを手掛けたデベロッパーが、東京でまた新たな街を」といった切り口で、麻布台ヒルズの特徴をいろいろ紹介してくださるものが多く、ありがたく思いますが、本当の勝負はこれからです。

 われわれは、いろいろな都市機能が徒歩圏内で複合した街、「コンパクトシティ」を目指しています。つくりあげてきたヒルズには、それぞれ異なるコンセプトがあり、六本木ヒルズには森美術館、虎ノ門ヒルズステーションタワーには情報発信拠点「TOKYO NODE」、麻布台ヒルズにはインターナショナルスクールやデジタルアートミュージアムといったように、グローバルに注目される仕掛けを備えています。これからは、これらのヒルズをいかにつなげて、さらにエリアとしての磁力を高めていくかが重要です。もちろん、これから開発を進める六本木五丁目プロジェクトも同じく、海外からも魅力を感じてもらえるよう計画していく予定です。

 一方で、これからも変わらず、その地域の歴史や文化、地元の皆さんの暮らしも損なわずに守っていきたい。開発を通じて徹底的に地域に根付くことは、開発後のタウンマネジメントにも生きてきます。

―― 麻布台ヒルズ開業後、地域とのつながりを実感したことはありましたか。

村田 つい最近のことですが、隣接する神社で「茅の輪くぐり」に使う「茅の輪」に、麻布台ヒルズの屋上緑地に生えたチガヤ(イネ科の多年草。しめ縄にも使われる)を使っていただけるといったことがありました。麻布台ヒルズが持つ「グリーン&ウェルネス」のコンセプトと、この地域に古くからある暮らしの融合を感じられるようで、とてもありがたいことですね。

 麻布台ヒルズのタウンマネジメントにも、今後新たに始まる都市開発にも、地域に根付く「森ビルらしさ」を忘れず取り組んでいきます。