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働き手不足時代がもたらすキャリア観の変容 古屋星斗 リクルートワークス研究所

リクルートワークス研究所 古屋星斗

少子高齢化に伴う日本の人口減少は労働市場に深刻な影響を与えている。「企業の採用競争が激化するにつれ、ビジネスパーソンのキャリア観も変化している」とリクルートワークス研究所主任研究員の古屋星斗氏は語る。今、人材系企業の果たす役割は何か。(雑誌『経済界』2024年10月号・第2特集「グレート・キャリア・メーカーズ」より)

古屋星斗 リクルートワークス研究所 主任研究員のプロフィール

リクルートワークス研究所 古屋星斗
リクルートワークス研究所 主任研究員 古屋星斗
ふるや・しょうと──2011年一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻修了。同年、経済産業省に入省。産業人材政策、投資ファンド創設などに携わる。17年より現職。労働市場分析と若年人材研究を専門とし、次世代社会のキャリア形成を研究する。一般社団法人スクール・トゥ・ワーク代表理事。

激動の転職市場。不可逆な変化

 職業や技能上の経歴を表すキャリアという言葉は、新たなイメージを帯びつつある。与えられた環境で耐え忍ぶものから、積極的に環境を変えつつ能動的に築き上げていくものといったイメージだ。それでも、自分の人生と仕事を考え抜き、最善の選択ができる人は少数だ。将来の夢に向かって突き進む若者が希少であることは時代を問わない。現実と折り合いを付けながら半ば偶然の流れで職業が決まっていく人は多い。

 しかし、人材エージェントから豊富な選択肢を提示され、身軽に転職できる環境が整った今、たまたま入社した会社で好きでもないハードワークをこなす「モーレツ社員」になれる若者は何人残っているだろうか。

新卒一括採用、終身雇用、年功序列の日本型の長期雇用慣行をベースとし、長く実直に勤め上げることが美徳とされた価値観は過去の遺産となりつつある。2023年には転職希望者数は1千万人を超えた。長期雇用慣行は崩れ、人材の流動化は進んでいると古屋氏はいう。

 「日本企業は2000年代からリストラを進めるようになり、長期雇用慣行が成立しなくなってきました。有名企業に入社しても一生自分が望む仕事ができるかは分かりません。自分のキャリアの選択権を持ち続けなければ幸せになれないのではないかという発想が生まれました。働き手は選択の回数を増やさざるを得ない時代に突入しています」

 総務省発表の人口動態調査(1月1日時点)では、日本人の人口は1億2156万1801人。前年比86万1237人減となり、15年連続の減少となった。古屋氏は高齢人口比率の向上と、現役世代が減ることを原因とした構造的な人手不足が、企業の採用競争を激化させていると指摘する。「一時的に景気が良いから、人手が足りないということではありません。恒常的に人が足りず、全ての企業は人材採用競争に巻き込まれています。初任給を上げたり、休日を増やさねば良い人材を雇えません」。この競争状態が、好待遇での転職に成功する割合を高め、転職市場の盛り上がりに拍車をかけている。

 「転職すると年収が下がるという見方は過去のものになりつつあります。49歳までの転職者のうち40%の年収が10%以上上昇しています。年収が変わらない人を含めると、転職者の過半数の年収が下がらない状況となる。特に今は40代のミドル層の転職が増えています」

 売り手市場を背景とした人材企業の活発化はビジネスパーソンのキャリア観へも影響を与えている。近年は街やウェブで人材系広告を目にしない日はない。ビジネスパーソンにとってキャリアチェンジを考えない方が難しいだろう。キャリアは自律的に選び取るという見方が主流になりつつある。しかし、古屋氏は、「自律」という言葉に対し、独力で頑張り続けなければならないものと誤解をしてはならないと語る。

 「自律と言えば、己を律し課題の全てを抱え解決しなければいけないと思われがちですが、そうではない。家族や友人、ロールモデルとなるべき師匠、信頼できるキャリアコンサルタントなど相談相手をしっかりと見つけるべきです。自律的なキャリアを支えるためには、周囲との関係性が不可欠です」

働き手不足に解決の近道なし。リスキリングの重要性

 人材獲得競争下での企業の職場環境の改善と、働き方改革関連法施行(19年)に伴い残業時間は減った。 働き手はリスキリングに充てる時間を確保しやすくなったが、能力開発は社内で完結すべきものではない。企業は今こそ兼業を推奨すべきだ。外部での仕事は働き手の経験となり、その知見を本業で生かす好循環を創り出すことは、採用難の時代においてこそ必須となる。

 兼業の推進は、外部から働き手を調達する手段の多様化につながる。労働人口が減少する分、1人が複数の場所で活躍できる機会を創り出すことの意義は大きい。

 「採用と育成の仕組みを組織レベルで大きく変えなければいけません。裾野を広げ、その企業に魅力を感じ副業で部分的に業務を担う人を増やすことは双方に良いはずです」

 働き手不足の解消には、外国人材の活用も有効な選択肢だろう。しかし、外国人材に日本で働いてもらうために、日本全体の経済力をもっと高めていかなければならない。賃金において国際競争は避けられない。

 「韓国や台湾や中国などの東アジア諸国と比べて、日本にかつてのような賃金の優位性があるとは言えません。これまでの常識がこれからの常識であるわけではない。日本に出稼ぎにきているベトナムやフィリピンなど東南アジアの国々はハイスピードで経済成長しており、外国への出稼ぎ人口は減少傾向にあります」

 ありていに言えば、働き手不足には決定的な打開策は存在しない。いくつもの対応策を組み合わせていく以外はないのだ。人材系企業はこの未曽有の危機をどのように乗り越えるべきか。今までになく難しい挑戦になると古屋氏は語気を強める。

 「働き手不足は、介護や医療、物流、建設など生活維持サービスの現場から起こっています。この人手不足解消に貢献できる人材系企業こそ単なるビジネスを超えた社会インフラとしての機能が課せられているといっても過言ではない。責任を伴いつつ、イノベーションを引き起こすためのチャンスでもあります。この困難な課題を解決できなければ日本社会に未来はありません」

 テクノロジーを活用した人材マッチングの精度向上や、きめ細かなリスキリング、兼業をしやすい制度構築のサポートをはじめ人材系企業の果たす役割は大きい。

 「今後は量的な労働移動だけではなく質的な労働移動が求められます。例えば派遣スタッフは仕事外の時間で教育トレーニングをすることで、派遣先でできる仕事も増えて生産性が高まり、給料の上昇につながりやすくなる。人を育てることは、教育を受ける個人だけでなく全方位にとってメリットが大きい。教育を通じて仕事の質を高めることがこれから最も重要となるでしょう」