祖父は第67代内閣総理大臣・福田赳夫。叔父は第91代内閣総理大臣・福田康夫。父は元経済企画庁長官の越智通雄。政治一家に生まれた越智隆雄氏は、自身も政治家でありながら東京大学大学院に入学し北岡伸一氏の下で学んだ政治学者の顔も持つ。越智氏に、今回の自民党総裁選について解説してもらった。(雑誌『経済界』2024年12月号より)
越智隆雄 前衆議院議員のプロフィール
極めて異質だった自民党総裁選挙
今回の自民党総裁選挙は、自民党69年の歴史の中で、極めて特異な選挙でした。というのも、1月にほぼすべての派閥が解消され、派閥中心の党運営が事実上なくなりました。それまでの自民党には、6つの派閥と1つの無派閥グループ、合わせて7つの集団が存在していて、そこに自民党の議員は全員が漏れなくだぶりなく所属していました。その派閥がなくなった後、最初の総裁選という意味で、今回の総裁選は極めて特異だったのです。
実際に行われた総裁選を、「立候補」と「決戦投票」の2つの観点で振り返ってみます。
まず、立候補について。結果的に、現存する唯一の派閥である麻生派からは、河野太郎さんが出馬しました。しかし、麻生派は一丸となって河野さんを応援する形にはまとまらなかった。岸田派・茂木派からはそれぞれ2人ずつが出て、派閥として特定の1人を推す形にはなりませんでした。二階派からは若手の小林鷹之さんが出ましたが、これは二階派というよりも、当選4期以下の若手議員グループに推された形でした。
つまり、今回の総裁選において派閥に所属していた6人の候補者は、派閥の枠組みで支援を得られたわけではなかったのです。そして、極めて象徴的だったのは、8月下旬くらいから有力なトップ3になった石破茂さん、高市早苗さん、小泉進次郎さんは、旧派閥に所属してない議員だったことです。
次に、決選投票を振り返ってみます。そもそも、最初の投票行動が派閥の縛りから解放されたことも異質でしたが、特に決選投票の異質さは際立ちました。
まず、今回9人が立候補したため、ほとんどの議員が1回目に投票した先と、決選投票で投票する先が変わることになりました。過去にも自民党総裁選が決選投票にもつれ込むことはありましたが、もともとの立候補者が限られており、派閥の力学も機能していたため、決選投票にあたって変動する票が分かりやすかったのです。さらに、今回は1回目の投票と決選投票の間に、議員同士の密なコミュニケーションはありませんでした。投票会場では通信機器の使用が禁止され、途中の休憩もなく、議員それぞれが個人の考えに基づいて石破さんか高市さんに票を投じた部分が大きかったと思います。
このように、議員それぞれの意思が色濃く反映されたという意味で、今回の総裁選は特異だったと言えます。決選投票の前に、石破さん高市さんそれぞれが行った5分間のスピーチは、最終的な投票先の決定に大きく作用したはずです。
石破内閣は短期政権? 長期政権?
次に視点を変えて、自民党政権がどのようにリレーされてきたのか、その歴史を振り返ってみます。
自民党政権は、1年から2年の短命政権が基本で、時々長期政権が出現するパターンで引き継がれてきました。というのも、仮に短命政権で終わったとしても自民党として不利益はなく、新たな総裁の下でポストの割り当てがなされて党内融和が進み、刷新感が出て支持率も上がるからです。また、首相を退任した本人も、その後に何か制裁を受けることはなく、まず間違いなく何らかの政治的な立場を得て活躍できる。ですから、自民党は首相退任のコストが極めて少ない形でリレーしてきました。
では、長期政権にはどのような特徴があるかを考えてみます。私が実際に歴代首相に接してきた体験から言えることは、長期政権となる首相には強固な政策フレームワークが存在していたということです。
安倍さんの2期目はアベノミクスと呼ばれた金融緩和を主体とした政策群がありました。小泉さんは結果的に郵政民営化にたどり着きましたが、その本質には徹底した構造改革、既得権の打破という哲学がありました。今回の総裁選を見ていて、政策フレームワークに相当するようなものが議論されたかと言えば、9人の候補いずれも十分ではなかったと感じます。総裁になった石破さんも、外交安全保障については、とがった政策をお話しになっていましたが、フレームワークと呼ぶにはやや各論過ぎる印象です。政策フレームワークは今後、作成が急がれる部分です。
では、強固なフレームワークがないから石破政権は短命で終わるのかというと、必ずしもそうは言えません。長期政権を担う総裁は、「異端児」だという傾向があります。小泉さんは自他ともに認める異端児でしたし、安倍さんは一度退陣した後、再び首相になった。これは吉田茂さん以来、戦後2人目のことで、まさに異端児でした。
石破さんは現在の自民党の中では異端児ですから、そういう意味で考えると、長期政権になる可能性はあります。
トレンドを変えなければ衰退の一途をたどる
最後に、日本政治外交史を専門に研究してきた立場から、今の日本の局面を考えてみます。
長い歴史で考えれば、約500年前の大航海時代に世界がつながった時、欧州が力をつけていく中で日本は鎖国政策を使って独立を維持していました。世界と正面から競合してきたのは、明治維新以降です。そこから急激に力をつけ軍事五大国と呼ばれながらも、敗戦を経験しました。戦後は経済的な成長を成し遂げ、再びある意味で一等国の地位を得ました。しかし、バブル崩壊後、失われた30年とも呼ばれる時代が続いています。バブル崩壊は2度目の敗戦であり、日本は成功体験が挫けて修正局面に入った時の対応が上手くありません。
ですから、この経済的な敗戦から立ち直れないトレンドが変わらなければ、衰退の一途をたどることになる。時間軸から考えれば、そんな局面だと言えます。また、他国との比較という面では、40カ国程度世界を見てきた感覚で言うと、日本は便利で治安もよく極めて良い国ではありますが、デジタル化などひょっとすると新興国より遅れている部分すらあります。
こうした時間的、空間的な日本の現在地を正しく把握し、改善策を政策に落とし込む。そして、それを実現すべく行政府をマネージする。何より、国民を信じ、国民から圧倒的な信頼を得る。これが、これからの日本のリーダーに求められる資質ではないでしょうか。私自身も、この国の流れを変えるために、精一杯活動していくつもりです。(談)