2022年に創業100周年を迎えた旭化成。今年4月、EVに搭載される電池に不可欠なセパレーター事業で大型投資を発表し注目を集めた。しかし、23年には同じくセパレーター事業での買収を巡って多額の減損処理を強いられた経緯もある。次の100年の第一歩はどうなるのか。聞き手=和田一樹 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2024年12月号より)
工藤幸四郎 旭化成社長のプロフィール
中計最終年度の上期決算。予想を上方修正
―― 7月31日に発表した第1四半期の実績は、売上高7359億円(対前年同期比13・1%増)、営業利益499億円(同128・9%増)で、上期の営業利益予想も800億円から950億円に上方修正しました。
工藤 足元が悪い状況ではないのは確かです。私が社長に就任したのは2022年4月で、旭化成が100周年の年です。その前年には、コロナによって人工呼吸器の需要が高まるなど特殊な要因もあって、営業利益が2千億円を超えていました。旭化成の歴史でも2回目のことです。
22年は新たな中期経営計画の策定初年度でもあり、22年、23年と野心的な目標を立てて進んできましたが、この数年間で、不可逆かつ大きな変化が起きました。厳しい環境下で苦戦していた事業も少なくありませんが、その間の努力が実を結び、足元の収益につながっていると思います。
とはいえ、手放しに楽観はしていません。アメリカも日本も政治に動きがあるタイミングです。また、石油化学事業に関しては、中国の生産設備の増強で、当社を含めた多くの日本企業が苦戦を強いられています。非常に先が読みにくい状況で、関係企業の動向を見ても、設備投資や原料等の買い付けに若干慎重になっているのが見受けられます。だからといって指をくわえて見ておくわけにはいきませんから、中計最終年度ということもあり、しっかり未来に向けた道筋をつけていきます。
―― 今年4月、本田技研工業(ホンダ)、日本政策投資銀行(DBJ)とともに、概算1800億円を投じてカナダでEV向けリチウムイオン電池用セパレーター工場を建設(27年商業運転開始予定)すると発表しました。狙いを教えてください。
工藤 アメリカは、政府としてEV化を進めていく。そして、必要な部材のサプライチェーンも強化していこうとしています。例えばIRAの施行など、政治的なバックアップを含めて北米地域で企業の設備投資意欲を後押ししているわけです。
旭化成としても、アメリカのEV化はもっと進むだろうと思っていましたし、北米市場に強い関心を持っていました。セパレーターには高出力で長寿命の〝乾式〟と、高容量で安全性が高い〝湿式〟があって、EV用バッテリーでは湿式セパレーターが主流です。しかし、アメリカには量産実績のある湿式セパレーターを手掛ける会社は1社もありません。そこでわれわれがファーストプレーヤーになるつもりで今回の投資を決定しました。
―― いずれはEV化が進むとしても、足元を見るとやや勢いが鈍化しているような印象もあります。
工藤 たしかに、北米含め世界的にEVはトーンダウンしているのが実情です。ですから、政治的な面も含めて、リスクの見積もり、市場の研究を徹底的に行いました。本件を対外的に正式発表したのは今年4月でしたが、実は1年前の時点で意思決定することも可能でした。それを一度ストップをかけて、1年間じっくりマーケティングや資金調達、政府の補助など、あらゆる面から精緻に検討してきました。
工場建設地をカナダにしたのは、連邦政府・州政府から補助金が確実に得られる目算が立ったからです。また、資金調達についてもホンダさんと合弁という形を取り、DBJさんからも出資も受けることで1800億円の概算投資額に対して旭化成が真水として投入するのは50%以下です。
セパレーター市場の見立てについても、有名な調査会社によれば年間50億~60億平米相当の需要があると言われています。若干EVがトーンダウンしていることを鑑みて仮に6割と評価しても、30億~40億平米の需要はある。われわれの工場の生産量は年間7億平米強ですから、過剰に在庫を抱えるリスクはありません。販路についても、合弁を組むホンダさんはもちろん、日系のOEM電池メーカーさんからも旭化成のセパレーターを使いたいとお声掛けを頂いています。
ですから、商業運転を開始する予定の27年時点で市場が非常に厳しい局面を迎えていたとしても、勝算は十分にあると確信しています。
2600億円で買って1850億円の減損処理
―― 旭化成のセパレーター事業投資というと、15年にアメリカのPol
ypore International(ポリポア)を22億ドル(約2600億円、1ドル=約118円)で買収しています。しかし昨年、1850億円の減損処理を強いられています。
工藤 結果から言えば、もくろみが外れたということになります。当時の状況に照らし合わせて振り返ってみると、元々旭化成は湿式セパレーターの「ハイポア」というブランドを持っていました。湿式セパレーター事業では、当時の世界シェアは35%でトップです。一方、ポリポア社は、乾式セパレーター事業を展開していました。時代背景として、EV向けセパレーターの需要が相当伸びることが期待されており、加えて、そこで使用されるセパレーターは乾式の可能性が高かった。そこでポリポア社の買収に踏み切ったのです。
ところが、われわれが想定した以上にEV化の進展が早かった。電池メーカーもそのスピード感に対応するために、すでにPCやスマホで使用されていて知見が豊富な湿式バッテリーの応用で対応すると決断していきました。こうして、EVの車載用バッテリーにおいて乾式セパレーターの需要が高まるとのもくろみが崩れ、事業の採算性を見て減損という決断をしたのが背景です。
―― 結果は紙一重ですね。
工藤 何も動かずにじっとしておくのが一番リスクはないのかもしれません。ですが、それでは将来がない。だから、われわれは動かざるを得ない。ただ、やはり現在の不確実な時代の中では、意思決定はアジャイルであるべきだと思いますし、そのためには企業としてアセットをできるだけ軽くしておく必要があります。あるいは、それが難しいのであればリスクマネジメントを徹底的に追求した上で、大きな意思決定をする。今回のカナダでの工場建設という大きな投資は、旭化成の歴史の中で見ても、相当精緻に検討を重ねました。
事業ポートフォリオ変革はベストオーナー視点で
―― 「アセットライトに」という方針は、社長就任当初から一貫しています。事業単位で資産を手放すことも進めていきますか。
工藤 新しく立ち上げたビジネスすべてが儲かればいいですが、現実的にはそうはいきません。ギリギリまでは頑張って、致し方ない段階での撤収を強いられることはあります。例えば、旭化成の祖業であり、私自身もキャリアを積んだ繊維分野が象徴的です。あるいは、JTさんに譲渡した食品事業。これらは、収益がほぼゼロになったり赤字になったりしてからの譲渡や撤退ですから、ある意味で非常に分かりやすいケースです。
ただ、今やらねばならない事業ポートフォリオの変革は、仮に一定の収益を上げていたとしても、今後も適切なリソースを配分し最大限に事業を成長させられるかどうか、いわゆるベストオーナーの視点で判断する必要があります。例えば、半導体材料であるペリクル事業は三井化学さんに譲渡しましたが、着実に収益は上がっていたのです。ただ、三井化学さんは関連分野の特許を豊富に有しているので、事業のオーナーとしては旭化成よりも適しているだろうと判断しました。
―― 儲かっていない事業も幅広に我慢強く持ち続けたことで未来の経営を助けたというのは、特に日本の化学業界で耳にする美談です。
工藤 それは一定の事実です。ただなんというか、日本の会社は良いところも悪いところもみんなで一緒にやろうとしますよね。これ自体は大事なことだと思います。ですが、裏を返すと報酬も我慢しようねという話になりがちだと思っています。儲かる事業と儲からない事業があって、原理的には儲けた中からしっかり社員に還元しようとしますが、儲かっていない事業があればそこも含めて判断することになって、全体ではそこそこの報酬になってしまう。
目利き力を持つことは大前提として、より強い事業をさらに伸ばすために人材と資金を投入していく。そして報酬も上げていく。従業員の処遇面をしっかり考えて経営するのは、経営者として一番重要だと思うので、ベストオーナー視点でのポートフォリオ変革は待ったなしです。