4月1日に日本航空(JAL)新社長に就任した鳥取三津子氏は、日本エアシステム(JAS)出身、客室乗務員(CA)出身、そして女性と、JALにとっては初物尽くしの社長だ。本人はそれほど意識していないとはいうものの、注目が集まるのは仕方のないところ。そんな注目の中船出した「鳥取丸」の半年は、最初は旅客機の翼同士が接触するなどの相次ぐトラブル、後半はパリオリンピックでの社員の活躍と、ある意味、波乱万丈。これから先、鳥取社長はJALをどう導いていくのか。直撃した。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2024年12月号より)
鳥取三津子 日本航空社長のプロフィール
パリ五輪で獲得した2つの金メダル
―― 7月に開かれたパリ五輪にはJALのアスリート社員3人が参加していました。皆さん活躍して、加納虹輝選手がフェンシングのエペ個人で、北口榛花選手が女子やり投げで揃って金メダル。村竹ラシッド選手も、男子110メートルハードルで入賞を果たしました。
鳥取 とてもうれしいです。加納選手は世界ランキング1位で金メダルの有力候補でしたが、「自分が自分が」というタイプではなくて、内に秘めたる闘志を持っている方です。その人が大会前に、「絶対金メダルを取ります」と言ってパリに行き、本当に取ってくれました。まさに有言実行、素晴らしいです。北口選手も、国民の多くが金メダルを期待している中で、1投目に大投擲をして金メダルを決めたのですから、本当にすごい。ラシッド選手も日本人としてはこの種目初めての入賞です。
彼らの活躍は社員にとって大きな励みになりました。長く続いたコロナは昨年5月に5類に移行し、ようやく日常が戻ってきましたが、私どもはまだ回復途上にあります。やらなくてはならないこともたくさんある。その勇気と勢いを彼らからもらった気がします。
JALのアスリート社員は全部で10人います。五輪に行ったのは3人ですが、他の7人もみんなを支えてくれました。このチームJALのメンバーに本当に感謝しています。
―― 今回の五輪は、決勝が明け方になる競技が多く、ライブ観戦するにはとても厳しいものがありました。社員はどうやって応援していたのですか。
鳥取 集まって見ることはできませんでしたが、各自、自宅で見ながら、Zoomでつながって、みんなで同じ空気を感じながら応援していました。このZoom設定をしてくれたのもチームJALの人でしたが、社員の一体感がとても高まったようです。
―― 選手たちに会いましたか。
鳥取 皆さんお忙しくて、まだ会えていません。でももうすぐ(インタビュー後の9月17日)報告会があるので、そこで会うことになっています。会ったらまず、感謝を伝えたいですね。勇気をもらっただけでなく、最後まで諦めないでしっかり自分の目標に向かっていく。その姿を見せてもらったことは、社員の成長にとっても大きな意味があったと思っています。そして、JALがこの素晴らしい選手たちを支えている会社であることを多くの方々に知っていただくことができたことへも感謝したいです。
―― 社長に就任したのが4月。最初の五輪でこの結果ですからうれしい誤算だったのではないですか。五輪以外で、いざ社長に就任してみて想定外だったことはありますか。
鳥取 今から思えば社長になる前は限られた部分しか見ていませんでした。例えば、こうした取材を含め対外的な仕事でも知らないことが結構あります。会社の課題にしても、これまでもある程度把握はしていましたが、社長としては今まで以上に広く、重く把握しなければなりません。その意味でやはり大変な職責だと思います。
―― しかも就任直後に複数のトラブルもありました。
鳥取 航空会社にとって安全は最も優先するべきことです。ですから不安全事象については本当に反省していますし、再発防止のための対策も取ってきました。ただ業務では、いいことも悪いことも、毎日たくさんのことが起きています。そこに一喜一憂することなく、真剣に仕事に向き合っていきたいと考えています。
想像以上に騒がれた「JAL初」の新社長
―― 鳥取さんはJALにとって、女性として初、CA出身として初、そしてJAS出身者として初という初物尽くしの社長です。その分、注目が集まります。
鳥取 経歴について、ここまで話題になるとは想定していませんでした。別に隠していたわけではなく、自分としてもそれほど気にしていませんでした。女性初といっても、多様性の中の一つの要素にすぎないですし、一人の人格という意味ではこれまでの社長と変わるところはありません。
―― 1月の社長交代会見でも、「女性だからということは特段思っていない」と言う一方で、「女性社員はライフイベントもたくさんあり、次のステップに悩んでいる人もいる。自分が社長をやることで勇気を与えたり、次のステップの後押しになればうれしい」とも語っていました。
鳥取 もちろん、そういう思いはあります。家庭があり、お子さんをお持ちの女性社員も数多くいますし、今後はそれが普通になってきます。その中で、彼女たちが次のステップに進むために少しでもいい環境を整え、周囲の理解も進むようになればと考えています。それと同時に「やっぱり女性だとね」と言われないようにしなければいけない。その責任は非常に感じています。
プロダクトアウトなサービスへの反省
―― 幸い、今期の業績は好調なようですね。
鳥取 8月に入ってから週末に台風に見舞われたりもしましたが、インバウンドが過去最高で推移していることもあり、国際線、国内線ともに順調です。ですが足元はよくても、国内市場に限れば、今後人口減少はさらに進むわけですから、長期的に見ると楽観視できる状況ではありません。しかもコロナ禍もそうですが、航空会社はイベントリスクに左右されるところもある。その中でどうやって成長していくのかといえば、要は社会にとって必要とされる会社になることです。
ではどうしたら必要な会社になるか。これは時代によってどんどん変わっていくでしょうから、それに合わせて柔軟に対応していかなければなりません。ただ、その一方で絶対に変えてはならないこともあります。それが先ほども言ったように安全です。安全こそが事業の目的です。これが揺らいだのでは事業は絶対にうまくいきません。それを社員に対しても強く訴えています。
―― JALは123便の事故(1985年)があり、毎年、御巣鷹山で慰霊行事を行っています。その分、安全に対する意識は強いでしょう。
鳥取 私も今年の8月12日には御巣鷹山に行ってきました。でも、今や全社員の中で、あの事故を知っているのはわずか0・5%しかいません。しかも毎年減り続けていきます。だからこそ、これをしっかりと継承していく必要があります。
その上で、さまざまなことにチャレンジする会社でありたいと思います。これまでにも「チャレンジJAL」などの取り組みをやってきましたが、社員がいろんなところでチャレンジして、失敗することがあっても楽しそうに仕事をしている。それがお客さまにも伝わって、「あんな会社だったら乗ってみたい」と思ってもらえるような会社でありたいですね。
ただし気をつけなければならないのは、プロダクトアウトになってはいけないということです。
―― メーカーでもないのにプロダクトアウトになることがあるのですか。
鳥取 サービスでも同じことです。私たちはこんなサービスを提供しますけれどいかがですかではなく、お客さまがどんなものを求めていらっしゃるか、どんなことに幸せを感じるのか、に基づいてサービスを提供していく。そしてそのサービスでお客さまに喜んでいただけることが、私たちにとっても喜びです。そういう考え方へともっとシフトしていかなければなりません。この1年でその意識をさらに強く持ちました。
―― 何かきっかけがあったのですか。
鳥取 昨年度、「スマイルキャンペーン」を行いました。4月から6月まで、全国一律6600円で搭乗できる、とてもお得なキャンペーンでした。ですが、予想以上にアクセスが集中したことでシステム障害を起こしてしまいました。
―― 魅力的なキャンペーンだったということではないですか。
鳥取 それだけではありません。キャンペーンのアプリが非常に使いづらく、お客さまには大変なご迷惑をかけてしまいました。その根底にはプロダクトアウトの発想があると思います。航空会社の人間は、お客さまの使う予約システムを使っていません。社員用のいろんな制度がありますから。そのため、自分たちがお客さまに提供しているサービスを冷静に見ていないのではないか。あの時、そう感じました。本来であれば、社員がまず試してみて、これは使いづらいという声が上がってくるべきです。でもそれができていなかったように思います。
自分の最大の強みはCAで得た現場感
―― 最後に鳥取さんのこれまでの足跡をお聞きしたいと思います。昔からCAを希望していたのですか。
鳥取 実はそうではありません。大学卒業後は、入社したいと思う企業はありました。その会社のポリシーや理念に共感できる部分が多かったのが理由です。ただ、同時にほかの可能性も試したく、東亜国内航空(TDA=JASの前身)を受け、迷いましたが、CAの道を選び、今日に至っています。
―― 初フライトのことは覚えていますか。
鳥取 入社から3カ月後くらいのことだったと思います。まだ訓練生ですが、お客さまにとっては一人の乗務員です。緊張して緊張して、そのためどの路線だったかは、まったく覚えていません。
―― では最後のフライトは。
鳥取 2019年に客室安全推進部長になって現場を離れましたが、それでもCAの資格は持ち続けたいと思い、半年に一度の乗務を続けるつもりでいました。それで2回ほどフライトをしたところで役員に選任されました。自分としてはそのタイミングで役員になるとは思っていなかったので、最後のフライトとの自覚がないまま、CAを引退することになってしまいました。そのため、最後のフライトについても何も覚えていないというのが本当のところです。
―― 今でもCA時代の夢を見ることはあるんですか。
鳥取 見ます。そして多くの場合、めちゃくちゃ焦っています。例えばサービスが終わらないのに着陸態勢に入っている。どうしようどうしようと思っているところで、ベッドから落ちそうな状態で目が覚める。今でもそんなドキドキする夢を見ています。これはCA経験者のあるあるだと思います。
―― 鳥取さんはTDAに入社し、その後、国際線に進出したためJASとなり、さらには2004年にJALと統合します。社名が変わっただけでなく社風や企業文化も大きく変わったと思います。とまどいはありませんでしたか。
鳥取 経営統合の時の思い出は、資格を取るために必死になったことですね。CAには搭乗する機種ごとの資格が必要ですが、JASとJALでは使用機種が違っていました。そこで777や767の資格をとるためにJALの方々に教えてもらいました。本当によくしていただきました。
でもそれ以上に統合の意味を実感したのは、2010年に経営破綻した時です。大変な思いもしましたが、それ以上に、社員がこの難局を乗り切ろうとひとつになることができました。これを乗り越えることができれば、ものすごくいい会社になれる。現場で働きながらそう思ったことを覚えています。
―― CA以外の人生を考えたことはありますか。
鳥取 入社以来、考えたことはないですね。途中でカウンセラーの資格を取ったりしましたが、それも乗務員の方々と接する中で役に立つのではないかとの思いからでした。先ほど話したように、もともとそれほどCAに興味があったわけではありませんが、いつの間にか好きになっていました。
―― 社長になりながらも、気持ちの上では生涯一CAですね。
鳥取 本当にそうだと思います。CAで得た現場感が、自分の最大の強みです。それを忘れたら意味がありません。