中外製薬は、2022年に同社初の売上高1兆円を突破し、24年11月下旬時点で時価総額は10兆円を超えている。長らく日本の製薬業界をリードしてきた王者・武田薬品は苦戦が続き、業界の構図はここ10年で様変わりした。中外製薬の強さの秘密と、今後の製薬産業の行く末を、奥田修社長CEOが語る。聞き手=和田一樹 Photo=小野さやか(雑誌『経済界』2025年2月号より)
奥田 修 中外製薬社長CEOのプロフィール
圧倒的な創薬力の源泉は技術ドリブンにあり
―― 奥田さんが社長CEOに就任したのは2021年でした。そこから22年、23年と売り上げが1兆円を超え事業は好調です。ここまでをどう振り返りますか。
奥田 売り上げ1兆円達成は中外製薬の歴史でも初めてのことでした。24年も3期連続の達成に向けて着実に進めています。数字というのは、結果が端的に表れているということで励みになりますが、なにより実際にどれだけ多くの患者さんに中外製薬の薬を届けられたかという指標でもあります。
改めて数えてみると、CEO就任から3年半強で国内外において新製品と適応拡大で33の治療薬を世界の患者さんに届けることができました。創薬を支える研究開発の面でも、9つの新薬候補が臨床試験入りし、後期開発でも30以上のプロジェクトが進行中です。私が社長CEOに就任した21年は、30年に向けた長期成長戦略に取り組み始めた年でしたので、そういう意味でも順調なスタートが切れたと感じます。
―― 中外製薬の高い創薬力の源泉はどこにあるのでしょうか。
奥田 技術ドリブンであること。そして、クオリティを追い求める企業文化。大きくはこの2つの要素が混ざり合うことで強い創薬力を実現できていると感じます。
創薬のプロセスを端的に説明すると、病気の原因となる生体内の疾患関連分子と、薬の元になる化合物のマッチングを行います。多くの製薬企業は注力する疾患領域を定め、その疾患関連分子を探し出すことに力を入れ、そこに抗体や低分子など汎用化された化合物を組み合わせて創薬を進めることが一般的です。
対して中外製薬は、化合物の技術開発に強みを持っています。疾患領域を定めず、アンメットメディカルニーズ(有効な治療法がない疾患に対するニーズ)があるのであれば、通常ではなかなかアプローチが難しい疾患関連分子にも、技術を開発することでユニークで画期的な創薬を実現しています。
例えば、抗体を改変して、がん組織の近くでのみスイッチオンするような新たな機能を持たせることができます。すると、体内のそれ以外の場所ではあまり作用せず、がんへの有効性は維持したまま安全性も確保できるようになるわけです。これは一例ですが、汎用的な化合物と疾患関連分子の組み合わせを探るだけでは薬にならないようなケースでも、技術力を磨くことでアプローチが可能になる。これが技術ドリブンの創薬です。
―― もう一つの強みであるクオリティセンティックな企業文化とはどのようなものですか。
奥田 技術ドリブンであることと関連しますが、中外製薬は今ある技術の中で最高品質の薬を作ることに常にこだわり続けてきました。薬の元になる化合物は、有効性や安全性、体内動態、物性など、それぞれです。これを徹底的に研究し尽くし、臨床試験に進める前の段階で薬として最高の品質を追い求める。こうした細部にこだわる文化が受け継がれています。
―― 社長として、特に手応えを感じる瞬間はいつでしょうか。
奥田 研究開発を進める中で臨床試験の結果が出てくるわけですが、進捗の報告を聞くと確かな手応えがあります。単純に数が多いことだけが手応えにつながるわけではなくて、とてもユニークなアイデアの新薬研究が会議で説明されたりすると、なるほど! と驚かされることもありますし、あるいは先ほど技術ドリブンが中外製薬の強みだと言いましたが、創薬技術の進化も手応えになったりと、これはもう言い出したらきりがないくらいです(笑)。
設備面の投資も充実 AI創薬新時代へ
―― 創薬力へのこだわりは、30年までの長期戦略「TOPⅠ2030」の中でも、「R&Dアウトプットの倍増」と「自社グローバル品毎年上市」として掲げられています。実現には設備投資も重要です。
奥田 そちらも着実に行っています。23年4月には、約1700億円を投じた研究施設「中外ライフサイエンスパーク横浜」が稼働しました。ここは国内の創薬研究に関わる機能を集約しており、国内製薬企業で初導入となる「クライオ電子顕微鏡装置」や先端的なロボティクス技術を導入するなど、研究開発機能を最大限に発揮できる体制を整えました。海外の研究開発拠点についても、研究子会社がシンガポールにありますが、もともと26年までの時限措置があったところ恒久的な創薬研究拠点として整えることも決定しました。
こうした研究施設から、次から次へと新薬候補が出てくることを期待できる体制が整いつつあります。また、治験薬を作ったり、薬を大量生産したりするような生産技術の強化にも力を入れていくために、3年間で約1400億円の設備投資を決定しています。
―― 昨今、デジタル化によって事業の効率性を向上させる取り組みが業界を問わず生まれています。
奥田 当社も全社のビジネスプロセスをデジタルによって変革し、効率性・生産性を追求する施策はもちろん進めています。加えて、より重要だと感じるのは、中外製薬の価値創造エンジンの中心である創薬研究開発の領域にもデジタル技術を取り入れ、新たな価値創造に取り組むことです。
例えば先ほどの横浜の研究拠点でも、汎用性のある自走式のロボットを導入し、人間の研究者と共同で研究を行うことを目指しています。また、昨今は「AI創薬」にも注目が集まっていますが、中外製薬の典型的な事例として、MALEXA(マレキサ。Machine Learning x Antibody)というAI技術を独自に開発し、「機械学習×抗体」で創薬プロセスを変えることを期待しています。
中身は少し複雑ですので簡単に説明します。抗体医薬品を開発する際、初期の段階でアミノ酸の配列を変えて薬の種を探る工程と、その種の性質を薬として最適化していく2つのステップがあります。この両ステップにマレキサを活用しています。その結果、人間の研究者では思いつかないようなアミノ酸配列で薬を作り上げることができ、先行する新薬候補が24年9月に臨床開発を開始しました。創薬の歴史において、画期的な出来事だと感じます。
これらは一例に過ぎませんが、デジタルトランスフォーメーションには「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」というロードマップを定めて着実に進めているところです。
世界とのギャップ克服へ 掲げた2つの高い目標
―― 「TOPⅠ2030」では、中外製薬の目指す姿を「ヘルスケア産業のトップイノベーター」と表現しています。どうしてこのフレーズになったのでしょうか。
奥田 中外製薬は13年から、「日本のトップ製薬企業」を目指してきました。18年、19年時点で、その目標はある程度達成できたのではないかとの総括があり、次に目指すは世界だろうという議論がありました。そこで、まずは2030年近傍のビジョン設定から取り組みました。その中で出たのが「ヘルスケア産業のトップイノベーター」というイメージだったのです。
実際にここからバックキャストして経営戦略に落とし込んでいきました。まず、目指す企業像を分解して考えると3つの姿が浮かびました。世界の患者さんから期待される企業。世界中の人財から、中外製薬に入社したり一緒に仕事をしたりすることで新しいものを生み出せると感じてもらえる企業。そして、社会課題解決をリードし世界の模範になるような企業。
その姿をより事業に落とし込んで出てきたのが、「R&Dアウトプットの倍増」と「自社グローバル品毎年上市」という目標だったのです。日本のトップ製薬企業から世界のトップイノベーターを目指すためのギャップは大きく、このぐらい高い目標を掲げなければ目指す姿は実現できないと考えました。
―― 世界のトップを目指す立場として、人口減少が続く日本において、製薬産業はどうなっていくと考えていますか。
奥田 日本の医薬品市場はかつて世界第2位でした。それがまもなく第4位になろうとしていて、今後についてもほぼ成長しないという予測もあります。一方で、薬の研究開発費は高騰していて、あるデータによると新薬ひとつを作るのに約3500億円が必要だといわれています。しかしながら、多額の費用を投じて開発した薬が生み出す売り上げは減少している。こうした状況を照らし合わせると、製薬は難しいビジネスになってきていると言わざるを得ません。ただ、そうは言っても日本は革新的な新薬を作れる数少ない国のひとつです。日本の製薬産業には、世界の患者さんに新たな薬を届ける使命があるはずです。
また、医薬品業界は日本の産業構造の観点からも大きな重要性があります。少子高齢化が進む日本経済が直面しているのは、生産人口の減少です。そうした状況でも日本経済を維持、発展させていくためには、できる限り健康で長く働ける人を増やすことと、より付加価値の高い経済を実現することが重要ではないでしょうか。医薬品産業はこの両面に寄与できるため、日本の基幹産業の一つとして位置づけるべきだと感じます。実際に、24年の骨太の方針にも創薬力の強化や医薬品産業を基幹産業にするという趣旨が盛り込まれました。
―― GDPに対する寄与率を見れば、最大の基幹産業である自動車・自動車部品産業は1・7%。対する医薬品業界は0・7%です。同水準まで高めるポテンシャルがあるのでしょうか。
奥田 われわれの試算では、いま日本の製薬会社が年間に作る新薬は6個から7個。同水準まで高めるには2・5倍の16個、17個の新薬を生み出す必要があります。これが実現できれば日本の産業全体への波及効果も大きくなりますし、薬を通じて健康な人が増えればよりウェルビーイングな社会も実現できる。社会からも医薬品産業が基幹産業だと認められるはずです。そのために中外製薬としても、創薬力を磨き革新的な新薬を生み出し続けることで貢献していきたいと考えています。
創薬エコシステムを育て、製薬産業を基幹産業に
―― 新薬数を2・5倍にするのは民間企業の努力だけで到達できる水準ではないはずです。政府に求める支援などはありますか。
奥田 世界の製薬産業に共通しているのは、製薬企業だけで開発できる薬は徐々に減少していることです。創薬エコシステムと呼んだりもしますが、今の製薬産業はアカデミア、スタートアップ、ベンチャーキャピタル、あるいは臨床研究や動物実験を受託する企業、治験や製造を請け負う企業など、多様なプレーヤーが複雑にネットワークを構築しています。日本は創薬エコシステムの成熟が遅れていますので、そういう面では国が果たす役割は大きいと感じます。
とはいえ、ここでも民間企業の努力も欠かせません。世界ナンバーワンの創薬エコシステムがあるのはアメリカのボストンだといわれますが、中外製薬も23年にそのボストンで「Chugai Venture Fund(CVF)」というCVCを設立し、24年から創薬スタートアップへの投資を始めました。
中外製薬は元々自分たちの中だけで創薬をすることが得意でしたが、これから外部の知見も積極的に吸収してよりユニークで価値の高い新薬開発に挑戦していきます。CVFがその最初のステップになると期待しています。
いずれにせよ、中外製薬の使命はイノベーションを生み出すこと。足元の好調さに油断することなく、高い目標に向けて進んでいきます。