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「松坂屋に入ったつもりはありません」新人時代のあの一言 橋本尚弥 JFRカード

橋本尚弥 JFRカード

大丸百貨店と松坂屋百貨店の経営統合で誕生したJ.フロント リテイリング(JFR)。グループの決済・金融事業を担うJFRカードは、昨年トップが交代し新たに社長になったのは1986年生まれの橋本尚弥氏。JFRの入社から、16年でグループ会社のトップに上り詰めた30代社長は、どんな新人時代を過ごしてきたのか。聞き手=和田一樹 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2025年5月号「社長が語る入社1年目の教科書」特集より)

橋本尚弥 JFRカード社長のプロフィール

橋本尚弥 JFRカード
橋本尚弥 JFRカード社長
はしもと・なおや 1986年生まれ。東京学芸大学卒業後、2009年にJ.フロント リテイリング入社。10年大丸松坂屋百貨店入社。18年FRカード事業開発部マネジャー。19年同社事業開発部部長、21年同社経営企画部兼加盟店事業部部長、22年 同社ビジネスパートナー本部本部長を経て、24年3月から現職。

率直な物言いで周囲を凍らせたあの日

―― 橋本さんがJFRに入社したのは2009年でした。どんな新人だったのですか。

橋本 ほんとに生意気だったと思います。時代背景として、07年に大丸百貨店と松坂屋百貨店が経営統合することになり、JFRが誕生しました。私はJFRの採用1期生だったんです。

 入社して最初の10日間くらいは、新入社員研修が行われました。私が入社した時点で百貨店業界は10年以上も厳しい業績が続いている状況です。だからこそJFRになって変革をしていくんだということで、大丸と松坂屋の変化の歴史を踏まえながら、基本的な研修が行われました。

 今でもはっきりと覚えているのは、研修のコメントとして「変革だ、変革だって言いますけど、実際に10年以上業界として苦戦しているわけで、ちょっと危機感がないんじゃないですか」みたいなことを書いたんです。そしたら当時の人事部長から、「われわれも危機感がなかったわけではありません」と、めちゃくちゃ赤字が入ったなんてことがありました。自分としては素直に書いただけなんですけど(笑)。

―― 入社10日にしてインパクト抜群な滑り出しですね。

橋本 こんなエピソードはたくさんあります。研修を終えて配属の希望を聞かれ、私は東京の大学に通っていたので第一希望は東京、第二希望は大阪、第三希望は名古屋と、あまり他意なく経済規模の順番で答えました。そしたら、大丸は近畿が地盤で、松坂屋は名古屋が地盤ですから、大丸を希望しているように受け取られたみたいで、「統合したんだから屋号は関係ないよ」と言われました。たしかにそうだな、この際どこでも頑張るぞと思っていたところ、実際に名古屋の松坂屋百貨店の配属となったんです。

 ところがいざ行ってみると、統合から間もない時期でしたし、何より名古屋は松坂屋の創業の地ということもあってか、JFRグループになったという意識よりも松坂屋に誇りを持っている方が多かったんです。そして最初に私が聞かれたのは、「なんで松坂屋に入ったの?」。私はここでも、「いや松坂屋に入ったつもりはないんですけど……」と素直に言ってしまって、まわりは凍り付いていました(笑)。

 後から聞いた話ですけど、すぐに現場のマネジャーから本社の人事に、「とんでもない奴がきた、どういう配置をしているんだ!」と連絡があったようです。今だから笑い話ですけど、周りは大変だったのかもしれません。

 ただ、言い方とか、タイミングはもっと考えるべきだったでしょうし、他者へのリスペクトがなかったと反省していますけど、言った内容は後悔していなくて、ある意味で本質を突いたからこそ怒られたんだろうなとも思っています。この話に限らず、譲れない信念というか、正義感というのか、自分の軸は最初からはっきりしていたので、思ったことはどんどん言ってしまう新人時代でした。

理想と現実のギャップ。埋めるためにはまず成果を

―― 仕事ぶりの方はどうでしたか。

橋本 現場の仕事にはギャップがありました。というのも、就職活動をしている時に、JFRは変革に挑戦するというメッセージを聞いて、大変革の過程に身を置けば自分自身も成長できるだろうと期待して入社を決めた部分がありました。そして、新入社員は定期的に集められて研修が行われます。そこでもやはり変革の話が強調されて、すごく抽象度高く、視座を高め、視野を広げる課題が与えられるわけです。

 でも現場に戻れば、配送伝票がいまだに手書きだったり、納品のパッキンを一つ一つ手作業で外したり。それに対して、これは自分の仕事ではないと、ちょっと斜に構えるような、モヤモヤする感情がありました。

 ただ、ある時に気が付きました。私はゴルフ売場の配属だったのですが、私以外に若いスタッフがいなくて、取引先の方とかお客さまにすごく可愛がってもらい、仕事もたくさんサポートしてもらっている感じが強かったんです。その状況で満足に仕事もできていないのに、口ばっかり達者で意見を通そうとするのは違うなと思ったんです。だからまずは現場で成果を出そうと決めました。

―― そこから何を変えたのですか。

橋本 何の作業にどのくらいの時間がかかったのか、自分の行動をメモして1日のスケジュールを振り返る機会を増やしました。これ自体はオリジナルなアイデアではなく、少し記憶がはっきりとしませんが、当時の上司が促したことだったように思います。

 一方で、自分の行動を客観視するのは、当時から持っていた気質でもあったと思います。私はもともと大学まで野球をやっていて、プロ志望届を出すくらい本気だったんですけど、もしかするとその時の経験が生きているのかなと思います。

―― 野球とビジネスにどんなつながりがあるのでしょうか。

橋本 野球がというか、たまたま私の大学の野球部には専任の監督がいなくて、同級生が学生監督をやっていたんです。ちょっと余談ですけど、当時、東京国際大学の野球部は元広島カープの古葉竹識さんが監督で、私の東京学芸大学は学生監督ですから、元プロ監督と学生監督の対決が話題になったりもしました。きっちり勝たせていただきました(笑)。

 話を戻すと、そういった環境だったので自分たちで練習メニューを考えたりビデオを撮って動作を客観視したりするようなことはたくさんやりました。やるべきことを自分たちで考えて、その取り組みを客観視する。こういう経験が社会人になっても生きたのかなというのは感じます。

―― 橋本さんは37歳にして社長に就任しました。いつから社長というポジションを意識していましたか。

橋本 もともと経営者にはいつかなりたいと思っていました。JFRには、1年を通して自分自身の人生設計を考えさせるような研修プログラムがあります。2週間に1回、1時間半のワンオンワンで将来どうなりたいのかを徹底的に問われるんです。加えて、宿題としてミッションも与えられて、ひたすら自分と向き合うことになります。

 普通に過ごしていたらじっくりと自分に向き合って人生を考える時間は限られますが、研修で2週間ごとに「お前は人生どうしたいんだ」と突き付けられるので、毎回何とか何とか絞り出します。そうやってストレッチをかけられた中で出てきた答えは、本質的なものなんですよね。私の場合は、22年の研修の中で、「24年にJFRカードの社長になります」と決めていました。それが実現して、24年3月から社長を務めています。

―― 念願叶って経営者として過ごした1年目はいかがでしたか。

橋本 やや語弊がある言い方かも知れませんが、ストレスは少ないです。私は新入社員時代から主張が強いタイプだったので、上から「それはダメだよ」と言われ続けて反骨心を持ちながら過ごしてきました。ですから、そういう意味では社長になって上からストップがかかることはないのでストレスは少ないんです。

 もちろんJFRとの関係もありますし、社内でも周囲から「ちょっとそれはさすがに」というのはあります。でも、まだその方が素直に聞けるんですよ、上から止められるよりも。

どこまでやり切れるかに結果は左右される

橋本尚弥 JFRカード
橋本尚弥 JFRカード

―― 逆に言えば、橋本さんの判断で会社が動いていきます。その怖さはありませんか。

橋本 もちろんゼロではないですけど、経営のジャッジには正解、不正解がないと思っています。法令で定められていることや、やったらダメなことはありますし、当然迷うこともありますけど、経営判断自体はある意味で確率論のようなものだと思っていて、それよりも結果に影響を与える要素としては実行力が大きいと思っています。

 結局、どこまでやり切れるかに結果は左右されるんです。それにもし間違ったなと思ったらそこからやり直せばいいわけですし、判断することに対してあまり怖さは感じません。

―― 橋本さんのように、30代でJFRカードの社長になりたいという新人がいたら、どんなアドバイスをしますか。

橋本 時代が変わっているので難しいですけど、まずはしっかり自分を持つこと。VUCAの時代と言われるように、不確実性と複雑性が大きいですし、入ってくる情報量は膨大です。そういう中でもブレないように、自分をしっかりと持つ。そして、常に本質を見定めようとする努力は必要だと思います。

 そして何より、胆力。ちょっと古く感じるかもしれませんけど、やっぱり歯を食いしばって目の前のことをやることは大切です。いくらすごいビジョンを持っていても、結局は実行の部分が伴わなければそのビジョンは実現できないので、やり切ること。新入社員の時から、目の前の与えられたミッションを必ず諦めずにやり抜く経験が自分を成長させるはずです。