ホンダとの経営統合に失敗した日産自動車。その責任を取る意味もあり、内田誠社長は3月31日付で退任する。しかしそれだけでは問題は解決しない。根底には、一時は鳴りをひそめていた、日産の伝統ともいうべき病巣があるためだ。その一掃なくして日産再建は難しい。文=ジャーナリスト/伊藤賢二(雑誌『経済界』2025年5月号より)
ゴーン放逐後に激化した日産社内の派閥争い
昨年表面化した経営危機の中、ホンダとの経営統合交渉が決裂した日産自動車。業界内からは交渉があまりに拙劣だったという声が漏れ聞こえる。
「両社の最初の会見では昨年3月の技術提携から経営統合に話が発展したという話でした。それなら持ち株会社の下に両社がぶら下がるという構想や日産のリストラの状況といったことくらいトップ同士で話がついていたはずです。日産をホンダの子会社にするという日産が絶対呑まないような条件が飛び出したり、日産のリストラが不十分という批判が出たりという時点で、外資による買収を嫌っての緊急避難措置でしかなかったというのが見え見えです」(自動車メーカー幹部)
提携交渉失敗の原因は他企業との連携がうまくないホンダ側にもあるが、主因はやはり日産側にある。根底にあるのはカルロス・ゴーン元会長が日産から放逐されたのを機に社内が派閥争いの絶えない状態に戻ってしまったことだ。
1999年にルノー傘下入りする前、派閥争いは日産のお家芸のようなものだった。80年代に激化した日産の経営陣と労働組合の激しい対立、いわゆる「石原(俊・元社長)︱塩路(一郎・元自動車総連会長)戦争」はその象徴として語り継がれているが、スケールは違えど形の似た派閥争いは日常茶飯事だった。
そういう事象を生み出したのは正面から議論をぶつけ合うのではなく、権謀術数で対立する有力者を潰し、味方は企業経営に害する者であっても利用することで統治を進めていくという、まるで経営小説のような企業体質だった。
その体質はルノー傘下入りするまで変わることはなかった。そんな社内を何とかまとめ、ルノーの出資を受けるところまで話を持っていったという点は、当時の塙義一社長の唯一最大の偉業と言える。
日産の派閥抗争体質はルノー傘下入り後、急速に影を潜めた。筆頭株主となったルノーから派遣されてきた剛腕経営者、カルロス・ゴーン氏が敷いた”独裁体制〟の正の効果である。ゴーン氏は言うなれば聞く耳を持つ独裁者だった。
「ゴーンさんは幹部の人事を掌握するだけでなく、人材登用についても自ら乗り出していました。社内で有能そうな人材を見つけると、ポジションの高低にかかわらず食事に誘うんです。話をしてその人材が向いていそうな少し大きな仕事をさせてみる、それが成功するともっと大きな仕事をさせてみる、出世させたほうが成功しそうなら出世させる、自由にさせたほうが成果が出るなら自由にさせる等々、変幻自在でした」
ゴーン氏のこうした人材のダイバーシティ登用はよく知られたことだが、その様子を日産の元社員はこのように回想する。
ところがゴーン氏が2012年にルノーの会長を兼任したのを境に、その独裁統治が崩れ出す。いくら剛腕、有能な経営者でも、2つの巨大企業の経営をみるというのは無理があった。自分を有能と考えるゴーン氏は、それを認めようとしなかった。
振り返ると、ここで後に日産のお家芸である派閥抗争が再燃する種が撒かれた。
「ゴーンさんはコミットメントの達成を何より強く要求していましたが、大事なのは数値目標を本当に達成しているかどうかです。日産の経営に専念している時は中身が重視されていましたが、ルノー会長になってからはそこまでの余裕がなくなったのか、数字しかみなくなった。社内でこうすれば数字が良くなるといった見せかけの実績作りが徐々に増え始めました」(前出の元日産社員) 数字のメイキング自体は、不正会計を伴うようなものでなければコンプライアンス違反ではない。が、どこかの数字を良く見せれば、そのツケは必ず他のセクターに回ってくる。当然ツケを回されたほうは責任を負わされてはたまったものではない。その部署もまた、他にツケを回すようなことをやらざるを得なくなる。こうして社内の連携は徐々に崩れ、派閥抗争再燃の元になった。
ホンダとの経営統合を破談に追い込んだ情報漏洩
独裁的経営者が往々にしてやってしまいがちなことのひとつに、自分が御しやすい人材を側近につけてしまうというものがある。ゴーン氏は人材登用では日本企業では珍しい手法で大きな成果を上げたが、経営陣選びは上手いとは言えなかった。
ゴーン氏の下で長年COO(最高執行責任者)を務めたのは志賀俊之氏。社内の人望があり、調整役として大きな役割を果たしたが、自らが事業の隅々に目を配り、辣腕を振るうタイプではなかった。日産の経営がゴーン氏と志賀氏の二枚看板だった時代はそれが好作用したが、ゴーン氏の目配りが甘くなった時に自らがその代役を演じるのには不向き。日産の中で再生されつつあった派閥抗争の芽を摘むことはできなかった。
16年に西川廣人氏が社長兼CEO(最高経営責任者)となり、企業統治へのゴーン氏の影響力が弱まると、抱えていた矛盾が悪い形で出始めた。国家でも独裁者が去った後には必ず権力を巡って混乱が起こる。自分にも将来的にチャンスありとみた人物が、上の役職の場合は社内スパイを利用し、下の役職の場合は自らが敵を追い落とすための情報収集者として暗躍するようになった。
18年に日産会長となっていたゴーン氏を失脚させた〝西川クーデタ
ー”は、まさにその流れの中で起こった。ゴーン氏の罪状の核心である役員報酬の実質水増しについては今のところ結論は出ていないが、その情報も社内スパイの暗躍によって得られたものだった。
翌年には西川社長自身が役員報酬の実質水増しが発覚したことで退任を余儀なくされた。この水増しは法令違反ではなかったのだが、マスメディアの報道合戦によって突き上げられた取締役会が西川氏にゴーン氏の不正を見抜けなかった責任との合わせ技一本での辞任を迫るという格好となった。
このゴーン氏放逐~西川社長辞任という流れの中で急激に増えたのが社内からの情報漏洩である。報道合戦が成立したのもそれがあったからだ。当時西川氏の早期辞任はガバナンス強化の成果ともてはやされたが、それを実現させたのは敵対派閥を蹴落とすための情報漏洩。スクープが欲しいメディアに情報を流し、報道させることで外堀を埋めたのだ。本当にガバナンスが強化されたのではなく、派閥抗争の余禄で結果的に強化されたように見えただけだったのだ。
ライバルの落ち度をどんな手を使ってでも見つけ出そうとしたり、外部に情報を漏らして自分に有利な状況を作り出そうとしたりといったことが横行する今の日産は、ゴーン氏が日産に来る前とほとんど変わらない。それはホンダとの経営統合の失敗や、それによる内田社長の進退にも色濃く出ている。
まずはホンダとの経営統合交渉だが、交渉の最中から秘密であるはずの交渉の過程がなぜこんなにマスメディアに漏れるんだとホンダは驚きと不振の念を抱いたという。
今回の経営統合交渉における情報リークは、ルノーが日産に買収された時よりひどい。当時は独ダイムラー・クライスラー(現ダイムラー)が出資元の本命といわれていたが、交渉の内容は外部にほとんど漏れなかった。
ホンダとの経営統合交渉ではホンダから日産の子会社化が提示された、リストラが不十分と批判された等々、統合潰しのような話が百花繚乱の感ありだった。
通常、そんな経営の奥の院の話がリークされたら誰が漏らしたかすぐ特定されてしまうもの。日産では誰が漏らしたかが判然としなかったか、漏らした人物が特定されてもその責任を問えない状況だったかのどちらかで、コーポレートガバナンスがすでに崩壊状態にあると非難されても反論できないだろう。
経営統合協議の打ち切りが発表されてからは、〝内田社長無能説〟であふれかえった。内容をみると人物に関する誹謗中傷のようなものも多分に含まれていることから、これもリーク情報と簡単に推察することができる。
日産再建に必要なのは鴻海それともルノー?
このようにゴーン氏前の体質にすっかり先祖返りしてしまった日産。当面の危機を乗り越えるためには他社の出資を仰ぐのが最も話が早いため、冒頭で述べたように今後も他社との提携交渉は続くであろうが、ここで窮地を脱したとしても、ゴーン氏独裁後の今の社内状況を変えない限り、日産が劇的にリバイバルすることは難しいだろう。
果たしてどこと組むのが日産にとって良いのか。有力視されているのは再交渉経てホンダ傘下入りすることだが、日産にとって最も馴染みが良いプランは、1999年以来アライアンスを深化させてきたルノーとの関係を再び構築することだ。日産はルノー支配で思うように経営できないと主張していたが、経営指標の推移をみるかぎり、自分の経営のまずさによる苦境をルノーに責任転嫁していたふしがある。
日産とルノーの関係は決して円滑な局面ばかりではなかったが、一方でアライアンスは劇的な成果も上げつつあった。日産車とルノー車は基幹となる部分が共通化されているが、コモンモジュールアーキテクチャというその基幹部分は両社がクルマをそれぞれの考えで作り分けるのに非常に適したものになっている。
「通常は一方のメーカーが基本となるクルマを作り、それを元にもう一方のメーカーが作り変えるというプロセスを取ります。車体の基本部分やサスペンションなどの部品が共通でもサイズの作り分けが簡単で、エンジン、電動部品などは自社のものを使うなど自由にクルマ作りができる共通化ができたこと自体、すごいことだと思う」(ライバルメーカーのエンジニア)
こうしたクルマの基幹部分や部品の共通化をはじめ、部品調達・購買、生産技術など、さまざまな面で大きな成果を出せつつあった協業を捨てて別の相手と手を組むということは、20年以上の歳月を無駄にするようなもの。果たして日産がどのような判断を下すのか目が離せないが、誰と手を組もうが日産の悪しき伝統であった〝寝技〟を捨てるべき時が来ているのだけはたしかだろう。