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「社員は好きに暴れてくれ」新社長が呼び起こす起業家精神 髙橋英丈 オリックス

髙橋英丈 オリックス

1964年、リース業を手掛けるオリエント・リース、現在のオリックスが立ち上がった。事業を多角化しながら成長を続け、設立時わずか13人だった社員数は、グループ全体で約3万4千人規模にまで達している。新社長の髙橋英丈氏に、オリックスの今と未来を聞いた。聞き手=和田一樹 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2025年6月号より)

髙橋英丈 オリックス
髙橋英丈 オリックス社長兼グループCOO
たかはし・ひでたけ 神奈川県生まれ。1993年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、オリックス入社。2020年に執行役に就任し、22年常務執行役、24年専務執行役、同年取締役兼専務執行役を経て、25年1月に取締役兼代表執行役社長・グループCOOに就任。

特定の「業」に固執せず、常に新しい分野に打って出る

― 2024年に創立60周年を迎え、今年1月、14年ぶりの新社長に髙橋さんが就任しました。オリックスは今どんなフェーズですか。

髙橋 事業ポートフォリオで言えば、現在は法人営業や事業投資、銀行、環境エネルギーなど、10のセグメントを有しています。祖業であるリースに固執せず、その時代ごとにニッチな分野をうまく見つけ出し、常にポートフォリオを組み替えながら拡大を続けてきました。その結果、総資産は約16兆円に達し、純利益も4千億円規模に迫り、時価総額も3兆6千億円ほどにまで成長しています。これが今のオリックスです。

 しかし、ここからさらなる持続的な成長を考えれば、ニッチな分野を探し続けるだけではなく、世の中の本質的な課題に向き合って解決策を提示していくような、ある意味「本流で真正面から」仕事をしていくことも重要になると考えています。

 現会長の井上(亮氏)は、「10%成長を続ける」とよく話しています。純利益4千億円から10%の成長をするためには、税引き前の水準で考えると毎年600億円近い成長が必要になります。この数字は、現在オリックスが持っている10のセグメントの平均的な利益水準ですから、毎年新たなセグメントを作っていくような成長速度ということです。

 となればニッチな分野を嗅ぎ分けるだけではなく、大きな潮流に入っていくことも欠かせません。また、オリックスという企業体に期待される役割は、10年前、20年前とは大きく変わっています。そういう意味でも、社会の本質的な課題を見極めて、そこにソリューションを提供する。そしてわれわれ自身も稼ぐ。これをやっていく必要があります。

―― 社員には何を求めますか。

髙橋 ぜひ好きに暴れてくれと言いたい。井上の社長時代を振り返れば、内部統制や各種審査、リーガルサポートなど、チェック&バランスの機能が格段に強化された時代だったと感じます。もちろん、何かリスクを取る以上は失敗も有り得るわけですが、今のオリックスには大きな失敗が起こりにくいシステムが出来上がっています。だからこそ、社員たちは安心して「これだ!」と思うものにチャレンジしてほしいです。

―― 社員が暴れにくい状況があるとすると、それはなぜでしょうか。

髙橋 会社の規模が大きくなったことはひとつの要因だと感じます。もちろん、世代的な傾向というのもあるのかもしれません。ただ、オリックスという会社を成熟した大企業だと思って入社するのか、成長中のベンチャー企業だと思って飛び込んでくるのかでは、入社後の行動に大きな差が出ると考えています。

 一方で、社員の起業家精神を呼び起こすためには、社員の積極性を求めることだけが答えではないと思っています。私自身のキャリアを重ねて考えてみても、不動産ファイナンス、プライベートエクイティ、環境エネルギー、どれもが市場の創成期だったにもかかわらず、その時々の経営者が「新しい挑戦をする」と決断し、そこに私はアサインされて事業の立ち上げに奔走してきました。 決して社員個人の積極性だけが要因ではなく、経営陣の決断に基づいて人材を配置し、事業を立ち上げてきた結果の10セグメントです。ですから、組織を鼓舞すると同時に、私も社長として新しい分野へ果敢に挑み、社員がチャレンジできる環境を整えていきたいと思います。

千本ノックと投資先経営再建。スキルとマインドが磨かれた

髙橋英丈 オリックス
髙橋英丈 オリックス

―― 髙橋さん自身はどんなキャリアを歩んできたのでしょうか。

髙橋 20代は主にリースなどの法人営業を経験しました。その後、不動産ファイナンス本部が新設されることになり社内公募がありました。もともと不動産の仕事がやりたくて入社した経緯もあり、応募しました。こうして非常に濃い時間を過ごすことになる30代の幕を開けました。

 まず、2000年代前半を過ごした不動産ファイナンス本部では、不動産の証券化業務が中心でした。時代的に金融機関が淘汰されるタイミングでしたので、バルクとして売却される不動産などが対象です。当時は日本市場に外資ファンドが入ってきて、キャッシュフローで不動産価値を評価する手法が標準化されるなど、大きな市場の変革が進んでいました。

 そうこうしていると、小泉純一郎政権が進めていた金融再生プログラムが最終年度を迎えていました。メガバンクの不良債権処理に注目が集まる中で、オリックスとしても商機を見いだし、不動産部門で不良債権投資を行っていた私に声がかかったのです。

―― それが30代半ば頃ですね。

髙橋 そうです。そこから私は、不動産評価の手法を企業価値の評価に応用し、今でいうプライベートエクイティの仕事が中心になりました。

 本当に「千本ノック」のように次から次へと仕事があって、法務や会計、税務など、基礎的なビジネススキルを身につけました。当時は時代的にもワークライフバランスのような発想はありませんから、まさに不夜城。長く濃い時間を会社で過ごしました。

―― 経歴を見ると、10年に株式会社大京の執行役とあります。

髙橋 プライベートエクイティ業務で投資した会社のひとつが、ライオンズマンションを手掛けていた大京でした。大京は経営が不安定になっていて、当時のメーンバンクである三和銀行が産業再生機構に支援を申し込み、スポンサーに選定されたのがオリックスです。

 そして、もともと投資をした縁もあり、私が3年間ほど出向して財務のサポートにあたりました。企業が生きるか死ぬかの瀬戸際で経営再建に奔走した経験は、経営にあたる心持ちの面で非常に鍛えられたことを覚えています。

 こうしてプライベートエクイティ業務で培ったスキルセット、大京再建で培ったマインドセット、この両輪はその後の私のキャリアに大きく影響を及ぼしたと感じます。

―― 怒涛の30代を過ごして以降、キャリアはどうなったのでしょうか。

髙橋 ようやく大京の業績が少し上向きになったなと思った頃、オリックスに戻ってきました。そして次に担当することになったのが環境エネルギー事業です。しかも、海外も同時に事業展開することがミッションでした。

 ここまで話をしてきたように、ずっと国内事業を担当していたので外国人と交渉するような英語力はありません。あの時は、英語を真剣に学習してこなかったことを後悔しました(笑)。

社長の通信簿は株式価値をどれだけ高めたか

―― 短期間で実践的な英語力を身につけるためにどんなことをしたのでしょうか。

髙橋 毎日の通勤電車に英文法の本を2ページずつコピーして持ち込んだり、英語のプレゼン番組やラジオを聴いたり。海外に行く飛行機の中では英語雑誌を読んだり、新聞は英字新聞を読むようにしたり。とにかく泥臭いことを毎日やっていましたね。そして何より、たくさん恥もかきながら実践で慣れていきました。

 そうやって自学と実践で鍛えられ、英語で不自由なくコミュニケーションできるようになるとビジネスチャンスの広がりを実感しました。環境エネルギー事業を日本という単一のマーケットで展開するのか、全世界を市場だと捉えるのかでは、戦略の幅が全く異なるわけです。

 これは今後のオリックスグループの戦略を考える時にも重要な視点です。冒頭で毎年新しいセグメントを作っていくような野心的な成長が必要だと言いました。ただ、これは完全に新しい事業を創ることだけを意味するのではありません。例えば日本で展開している事業を海外に持っていく。これも新しいセグメントに成り得ます。

 実際、オリックスはそれをやってきました。約60年前にリース業をアメリカから輸入して日本で手掛け、そこから10年もたたないうちに香港やインドネシアなどアジアを中心とする国々に展開した。今のオリックスに置き換えても、既存の事業を異なるマーケットで展開していく余地は非常に大きいと考えています。

―― 前社長の井上さんは、「社長の通信簿は業績と株価だ」と言っていました。髙橋さんにとって社長の通信簿は何でしょうか。

髙橋 定量的な面ではまさに井上が言っている通りで、株価、株式価値を増大させていくことだと考えています。そして、そのために特に重要なのはROEを改善させていくこと。ここ数年、10%前後で推移していますが、これをより引き上げていくことに挑戦します。

 株主からお金を預かって事業を行う以上は、資本効率を極限まで高めなければいけない。だから私の成績簿をつけるとしたら、やっぱり株式価値の推移だと思います。