ついに開幕した大阪・関西万博。大阪での万博は55年ぶり。コロナ明けのインバウンド需要の回復と相まり、旅行業界の期待は高まる。日本旅行もその1社。奇しくも同社は今年創業120年。その記念すべき年にどう向かうのか小谷野悦光社長に聞いた。聞き手=関 慎夫 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2025年6月号より)

こやの・よしてる 1958年生まれ。82年慶應義塾大学卒業後、日本国有鉄道(当時)入社。分割民営化に伴い87年西日本旅客鉄道入社。2001年日本旅行に入社し、経営管理部長、営業企画本部長を歴任。15年常務、16年専務、20年副社長を歴任し21年3月社長に就任。日本旅行業協会副会長も務めている。
愛・地球博から20年続いた逆風
―― いよいよ万博が始まりました。1970年の大阪万博の時、小谷野さんは小学校6年生でした。万博の思い出はありますか。
小谷野 一度だけ行きました。長い行列に並んでアメリカ館の「月の石」を見たのを覚えています。でもどこにでもある石と何が違うのかわからなくて、とにかく疲れたという記憶です。それでも、今も残る「太陽の塔」の奇抜なデザインのインパクトは忘れられません。
万博といえば、2005年に愛・地球博がありました。日本旅行100周年の年でしたが、私は万博担当を務め、大きな手応えを感じていました。それから20年がたち、日本旅行は設立120年を迎えました。
この20年間、旅行業界には逆風が吹き続けてきました。08年にはリーマン・ショック、11年には東日本大震災、そして20年からのコロナ禍です。特にコロナ禍では人の動きが全面的に止まり、旅行自体が成り立たなくなりました。でもそれを乗り越えて今年の万博に何とかたどりついた、というのが正直なところです。
同時に、当社は一体何を強みとしたらいいのかを模索しチャレンジをしてきた20年間でもありました。この間に私は国内営業担当から経営管理役員、営業全体の統括責任者を経て、コロナ禍の中、21年に社長に就任、とにかく生き残るために、必死に駆け抜けてきました。
―― 就任直前の20年12月期には赤字に転落しています。最悪の状況下でのスタートでした。
小谷野 それ以前の危機の時は、何とか工夫のしようがありました。ところがコロナの時は本当にすべてが止まってしまった。海外旅行も国内旅行も、それ以前に移動そのものができなくなってしまいました。しかも終わりが見えなかった。ここがそれまでとは大きく違うところです。
旅行需要が消滅してしまったので、このままでは社員への給料も払えない。そこで始めたのが、コロナワクチン接種のお手伝いです。国や地方自治体が実施するワクチン接種をパートナーとして支えました。中でも防衛省が大手町に設置した「大規模接種センター」では、1日1万人の利用者を対象にした大規模接種会場および300回線の予約コールセンターを運営し、1800人以上のスタッフを動員しました。そこでわかったのが、これまで旅行で培ってきた、複数の関係者の方々と交渉・調整する機能に大きな価値があるということです。誰もノウハウを持ってないことに対しても、ネゴをしながら試行錯誤するスキルを持っている。そこに気づいたことで、今のソリューション事業が本格化しました。
今後はその領域を増やしていく。例えばインバウンドを対象にした地域の観光地づくりや、外国人人材の活用に関するさまざまなご提案、あるいは地方自治体やパートナー企業さまと一緒に認知症予防などを手掛けています。日本旅行は各都道府県に最低1つは支店がある。その支店を通じて地域と一緒に社会課題を解決する機能を強化していきます。
―― 話を万博に戻せば、日本旅行にとって大きなチャンスです。
小谷野 日本旅行の筆頭株主は、約80%を持つJR西日本です。大阪・関西万博はその地元で開かれます。ですからJR西日本と連携しながら取り組んでいます。一例を挙げれば「万博プラスワン」という企画です。関西圏以外から万博に来る方の多くは大阪で一泊します。でもそれで終わらずに、和歌山や福井などにも一泊していただく。しかも大阪に到着後、荷物を持って万博会場に行くのはものすごいストレスです。ですから荷物を預かってホテルにお届けする。あるいは人気のパビリオンは入場予約が抽選です。それを、日本旅行のツアーに参加していただければ、入場を確約する。そんな付加価値を提供しています。これは日帰りツアーでも同様です。
50回目を迎えるジャパンウィーク
―― 先ほど120周年の話が出ましたが、現存する旅行会社としてはもっとも古い歴史を持つそうですね。
小谷野 1905年、明治38年、滋賀県で、お伊勢参りや善光寺参りなど、神社仏閣の参詣のために設立されました。開業3年後には善光寺を参拝するために国鉄の臨時列車を貸し切って募集団体旅行を実施しています。これにより誰もが旅行ができる時代が始まったように思います。その時からお付き合いが続いている長野の旅館があります。このように、お客さまや旅館・ホテル、交通機関などを創業以来大事にしてきたのが日本旅行の120年です。
これは創業者の南新助からの伝統です。創業者はひたすらお客さまのために、そしてお客さまのご満足を得ることを第一のモットーとしてきました。コース旅行では「鐡道旅行案内」という観光名所を紹介する、今でいう旅のしおりのような冊子を作製して配布する。そうやってお客さまに寄り添ってきました。それがわれわれのDNAになっています。
―― 明治時代に臨時列車の貸し切りができたのですか。
小谷野 全く前例のない、リーディングケースだったらしいです。そういう新たなチャレンジもわれわれが大事にしているところです。そしてもう一つ大事なのは、鉄道との縁です。1966年に日本旅行は国鉄の出資を受けています。そして先ほど言ったように、国鉄分割後、JR西日本のグループ会社になっています。先ほど、何が強みか考えた20年だったと言いましたが、やはり、鉄道を最大限生かすべき。それを意識して経営してきました。そして今後もそれを強化していきます。
―― インバウンドはコロナ前を超えました。この背景には、日本旅行が深く関わってきた「ジャパンウィーク」もあるそうですね。
小谷野 ジャパンウィークは86年から始まった日本の伝統芸能や創造的な文化の魅力を海外で披露・紹介する国際交流イベントで、今年で50回目を迎えます。毎年開催都市を変えていますが、今年は9月にイギリス・マンチェスターで開きます。
ジャパンウィークにより、世界の日本文化に対する理解は深まったと思います。ただ、残念なことに、活動があまり日本では知られていない。クリエーティブディレクターを務めていただいている大﨑洋・前吉本興業会長にも、「せっかくの取り組みなんだから、もっと世の中に知ってもらいなさい」と言われています。今年は50回の記念すべき年ですから、これまで以上に積極的に発信していこうと考えています。