2023年、茨城県の中高一貫校・専門高校の校長を教員免許不問で公募するプロジェクトで、下妻第一高等学校(下妻一高)・附属中学校の校長に選ばれた生井秀一氏。花王でECビジネス、DXを推進してきたマーケターだ。会社の外でマーケター思考を生かす生井氏のストーリーを聞いた。聞き手=小林千華 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2025年6月号より)
生井秀一 茨城県立下妻第一高等学校・附属中学校のプロフィール

なまい・しゅういち 1976年、茨城県生まれ。大学卒業後、99年に花王入社。営業部門を経てヘアケアブランドのマーケティングを担当。2021年、DX戦略推進センターを設立。花王のEC戦略をリード。茨城県内の中高一貫校の校長公募プログラムで選出され、23年4月、茨城県立下妻第一高等学校・附属中学校副校長就任。24年4月、校長就任。
人生100年を見通してキャリアもマーケティング
―― この3月で、着任から丸2年がたちましたね。
生井 副校長1年、校長3年と計4年の任期で、2023年4月に着任。つい先週、校長として初めて卒業生を見送ったばかりです(取材実施は3月中旬)。
僕は花王の販売会社に営業職として新卒入社しました。現場で経験を積んだ後、12年に花王本社へ。ヘアケアブランド「メリット」のマーケティング担当になりました。他社の商品がヒットしていて厳しい状況だったのですが、結果としてシェアを大きく伸ばすことができました。
そこでの知見を別の分野で生かすべく、EC担当に異動。ECマーケティングがまだ発展途上だった中、社内での仕組み作りをしてきました。
最後にはDX戦略推進センターの立ち上げメンバーとして加わり、担当部長に。当時45歳で、部門内では最年少での部長就任でした。
当時はこのまま花王で経営層を目指すことを視野に入れ、早稲田大学ビジネススクールに通ってリスキリングもしていました。
―― 何を学んだのですか。
生井 アントレプレナーシップです。周りには起業家志望の学生もいましたが、僕は社内での新規事業開発や、新規チャネルの拡大に生かせればと思って学んでいました。
その他、起業家やビジネスパーソンを応援する為に、ラジオパーソナリティもやっていました。自分でビジネス番組の企画書を作って、スポンサーも集めて、ラジオ局に出したんです。それがきっかけで、吉本興業の文化人枠で、事務所にも所属することになりました。
人生100年時代において今後の生き方を設計する中で、自分のキャリアもマーケティングしてきたような感じです。花王は当時副業が解禁されるなど、社員の活動に寛容になり始めたタイミングだったので、その環境を存分に生かしてきました。
―― 社内での昇進を目指していた中、「校長」という道に転じたきっかけはなんでしょうか。
生井 花王でトップを目指すのか、もしくは複数仕事を持つポートフォリオワーカーとして自分の強みを外部でも生かすのか、悩んではいたんです。花王は大好きでしたが、自分にしかできないこと、社会のために貢献できる仕事をした方が、より満足感があるんじゃないかと。
そんな時、地元・茨城県で民間出身の校長公募プロジェクトが始まることを知り、応募しました。候補者1600人と聞いて無理かと思っていたのですが、採用していただけた。戸惑いもありましたが、スキルを外で生かせるうれしさも感じました。
―― 実際学校現場に入ってみて、率直な印象はいかがでしたか。
生井 やはり非常に閉ざされた社会だな、ということは強く感じました。特に先生方は、チームというより個人事業主の集まりのような感じ。授業のやり方も各々のセンスに一任されている印象でした。トップがしっかり戦略を作って発信しないとうまく回らないと感じました。
下妻一高は、下妻エリアのトップ校。創立127年の歴史を持ち、花王で言えばまさに「メリット」のようなロングセラーブランドです。そこに僕が突然飛び込んで、下手をすれば水と油でとんでもないことになる。でも逆に、伝統を守りながらうまく新しい風を吹かせられれば、すごくいい学校になると思いました。
会社員経験をフル活用し学校の顧客満足度を上げる
―― 下妻一高での具体的な取り組みについて教えてください。
生井 花王時代によく「顧客満足No.1企業」を目指せと言われたので、同じく顧客が満足する学校づくりを意識することにしました。顧客というのは生徒、保護者、先生といった全てのステークホルダーです。
まずは先生方と話し合った上で、学校経営の指針を示しました。3C分析(※)を徹底的にやって、3年間の中長期計画を立てたんです。校長は基本的に2、3年で代替わりするので、そのスパンで未来を描くというのは新しいことです。
策定には、ビジネススクールで学んだ「両利きの経営」を取り入れました。新しい取り組みとして、「アントレプレナーシップ教育の推進」、「広報活動の徹底強化」、「DX推進」の3つを開始しました。
―― 「顧客」の反応はどうですか。
生井 まず生徒ですが、僕が元マーケターだとか吉本所属だと聞くと、みんな気になるのかよく校長室に来てくれるんです。進路相談をしてくれたり、僕もそれに対して自分の人脈からサポートしたりもします。
すでに卒業した生徒で一人、行動経済学の本を持ってきて「将来マーケティングがやりたいから、どうすればいいか教えてほしい」と言ってくれた子がいて。それをきっかけに、昼休みに「マーケティングゆるゼミ」を開講しました。僕がマーケティングの知識を解説する他、人脈もフルに使って、楽天クリムゾンハウスやサイバーエージェント本社などの見学も行いました。
こうしたイノベーター的な生徒が出てきたおかげで、他の生徒にも自分の将来の選択肢がよりクリアに想像できるようになってきたのではないかと思います。
―― 校長先生が生徒を実業界につないでくれるというのは、確かに普通の学校だとなかなかないことです。
生井 続いて保護者。まずは保護者が学校に求めるものを正確に把握するため、座談会などを開いてリサーチしました。
僕も意外でしたが、偏差値アップや進学実績の優先順位は思ったよりずっと低かった。むしろ子どもが夢に近付けるように導いてほしい、社会で通用する人材になるように教育してほしいといった声が大きかった。それまで大学合格者数ばかりをKPIに掲げてきたけど、顧客は本当にそれを求めているのか、という疑問が出てきたんです。この結果を先生方に見せ、保護者のニーズと現状にギャップがあることを理解して、教育に生かしてもらっています。
先生方に対しては、探究授業を通して外部の人々と交流を持ってもらうことも、教育の一環になっていると思います。学校以外の社会を知らない方が多いので、そのままだと生徒に有効な進路指導ができない。先生方の育成という意味でも、この挑戦がもたらしたものは大きいです。
―― 今後輩出される生徒さんがどんな将来を歩むか楽しみです。
生井 そうですね。今後どこの企業でも、人をマネジメントできるリーダー、アントレプレナーシップを持った人材が求められるはずです。僕自身のスキルと経験を存分に生かして、学校教育の現場からそうした人材育成に貢献していきます。
※3C分析:「顧客(Customer)」「自社(Company)」「競合他社(Competitor)」の3つを軸に、市場環境を分析するフレームワーク。