1985年にアメリカでベンチャーキャピタルを始めた原丈人氏は、欧米やイスラエルの企業で会長職や社外取締役を数多経験。株主の利益だけでなく社会全体への貢献を重視すべきだという主張は、安倍内閣や岸田内閣の政策にも大きな影響を与えた。原氏は米国型の株式資本主義に追随する状況に警鐘を鳴らす。(雑誌『経済界』2025年6月号より)
原 丈人 デフタ・パートナーズのプロフィール
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はら・じょうじ 1952年、大阪府生まれ。27歳まで中央アメリカ考古学の研究を行う。枯渇した研究資金を稼ぐため渡米、スタンフォード大学経営学大学院、国連フェローを経て同大学工学部大学院を修了(工学修士)。在学中に光ファイバー事業を創業。90年代には、いくつものユニコーンを作った実績を持ち全米第2位のVCの経営を行った。2000年からは政府の政策策定に関与。海外では、欧米や途上国の要職を歴任。12年に父のために原鉄道模型博物館を創設、現在、国連経済社会理事会の特別協議資格を有する合衆国非政府機関のアライアンス・フォーラム財団会長など務める。Photo=北山宏一
ファンドを儲けさせるなら社員の給料を上げるべき
ここ数年で、東証改革・企業統治改革が加速度的に進んでいます。ただ、私は数十年後に振り返った時、「日本を貧しくし、経済格差をもたらした改革だった」となってしまうことを危惧しています。これらの改革に通底する考え方は、会社は株主のものだという理屈です。これは間違っています。
例えば、あなたがある会社の株式を100%所有するオーナーだったとします。この場合、会社の建物、備品は、すべて会社のものですから、会社は株主のものだということが正しければ、会社ごと株主のものになるので、建物は当然のこと、玄関に飾った彫刻も含めて会社の資産はすべてこのオーナー株主のものということになります。しかし、この100%オーナーが、彫刻を勝手に持ち出したとすれば、このオーナーは窃盗罪で逮捕されます。なぜなら、会社は株主のものではないからです。株主は株券の持ち主であっても、会社の持ち主ではありません。
では、いったい会社は誰のものなのか。「会社は社会の公器」これが正しい解釈です。ですから経営者は、会社は株主のものだなんて思ってはいけません。会社は事業を通じて社会を良くするために存在しているのです。そして、実際に社会を良くする活動を担っているのは株主ではなく社員です。社員が努力して生み出した製品やサービスを顧客が買ってくれることで会社の利益が上がります。仕入れ業者の存在も欠かせませんし、物流業者の協力もあるでしょう。地域社会の協力も不可欠ですし、もっといえば水や空気を使うわけで地球のおかげでもあります。あるいは、最初にお金を出してくれた中長期の株主もいるはずです。
こういった存在が会社を成功に導いてくれるわけですから、会社の利益は、「会社を成功に導いてくれた仲間(社中と呼びます)」で分けることが重要です。このように、「会社を社会の公器」と考え、上げた利益を社中全体に公正に分配していくことを、中長期にわたって行う経営を、「公益資本主義経営」と呼びます。この経営を行う社会全体のシステムを「公資主義システム」と呼びます。
2024年の日本企業の自社株買いは17兆円に達しました。この金額を仮に正社員全員に分配したら、一人当たりの年収が2千万円増加したはずだという試算があります。分配先を契約社員、非正規雇用やアルバイトまで含めても、一人当たり200万円増加させられるのです。(アライアンス・フォーラム財団研究部門の試算)
東証改革も企業統治改革も、利益の分配先が株主に偏りすぎています。日本企業の株主は、約3割が外国人ファンド株主です。海外ファンドに株主還元を行う資金があるのなら、未来への投資に使うか、働く社員を豊かにするために使う方がいいでしょう。今の日本に必要なガバナンスは株主還元を強化する方向ではなく、日本の会社で働く庶民を豊かにするために使われているかどうかを検証する仕組みです。投資家に対する総合的還元総額であるトータル・リターン・ツー・シェアホルダー(自社株買い総額+配当金総額)を高めることよりも、はるかに重要な会社の使命がなんであるのかを、社外取締役を含めた役員会で議論することが重要です。
また、株主の中でも、新規事業へ出資してくれるリスクテーカーの株主や、中長期的に企業の成長を応援してくれる株主は大切にしなければなりません。ヘッジファンドやアクティビストのように短期で利鞘を稼ごうとしている株主とは、利益還元のルールを変えるべきです。例えば、会社法を改正して、重要案件に対する議決権は3年以上株主であり続けた真の株主に限るとか、中長期株主への配当還元率を高めるとかです。投機的な株主に対しては議決権に制限を加えないと、豊かな社会を生み出すための会社をつくることは不可能になります。
最も大事なことは普通の日本人を豊かにすること
今年の3月、香港の投資ファンドであるオアシス・マネジメントがDICに対して、DIC川村記念美術館で保有する美術品を売却して株主還元や中核事業への投資に充てるべきだと要求しました。この主張は会社の公器性を無視し、会社の社会への貢献に対して挑戦的です。
美術館の設立者である川村勝巳氏は、創業家の2代目社長で、絵と向き合う時間を大切にした人物だったそうです。その喜びを世の中の人たちと分かち合いたいという思いから美術館構想が始まりました。創業者の言葉に『進取・誠実・勤勉』があります。会社の伝統や社風に関わる創業家の遺産を大事にせずに、何でも金、金、金の世の中になると人々の心が荒みます。
国連経済社会理事会の特別協議資格を有するアライアンス・フォーラム財団は国際機関と協力してアフリカの乳幼児の栄養不良問題解決に07年から取り組んでいました。この時もDICは意気に感じて、自社で生産するタンパク質の含有量が非常に高いスピルリナ藻を数年にわたって提供してくれました。この行為自体は、資本効率を上げるためではなく、会社の公器性を実現するために重要な役割を果たしました。
「とにかく米国型の株式資本主義を追いかけなくてはならない」と思っている市場関係者は、いったい何が大事なのかをよく考えるべきです。最も大事なことは、「資本効率を高めるために企業改革をすること」ではなく、一般社員に代表される普通の日本人を豊かにすることでしょう。会社は株主のものであるという主張は、1997年のビジネスラウンドテーブル以降に強まり、その考えを実現するために作られてきたのが、株主の利益を最大化するために設計されたコーポレートガバナンス・コードであり、訴訟対策のために作られたのが社外取締役制度です。
ですから、こうした形式を整えれば整えるほど、得をするのは投資家、ファンドだけです。そして、証券会社は、海外ファンドに日本の富を流出させることを手伝えば自社も儲かるでしょうが、少しクリエーティブに考えて、自社を設けさせると同時に日本の庶民を豊かにする方法を考えて実行してほしいのです。日本政府、経済産業省、金融庁は、経済安全保障の制度設計の一環として日本企業が貯めた内部留保や利益は海外に吐き出すのではなく、日本に住む庶民を豊かにするという観点から証券取引制度や会社法、コーポレートガバナンスを見直してほしいです。
どうすれば分厚い中間層を生み出せるかを示した公益資本主義理念の重要性は、欧米だけではなく中国共産党でも重要視されています。それだけ世界中で貧富の格差、分断が深刻化しているからでしょう。できれば日本が率先して公益資本主義経営を実践できるような法体系やガバナンスコードを作り、未来への投資、社会への貢献や、社員を豊かにすることを目指す経営者で溢れるようになれば、世界中の国や地域の国民が、日本のようになりたいと思うことでしょう。(談)