ゲストは、プロ野球選手として中日ドラゴンズで16年にわたり活躍した藤井淳志さん。2021年に現役を引退し、現在は名古屋で野球教室事業などを手掛けています。「プロ野球選手がユニフォームを脱いだ後も輝ける場所を」と語る藤井さん。プロスポーツ選手のセカンドキャリアについて熱い想いを伺いました。聞き手&似顔絵=佐藤有美、構成=大澤義幸 photo=上山太陽(雑誌『経済界』2025年7月号より)
藤井淳志 元プロ野球選手、ATSH代表取締役のプロフィール

ふじい・あつし 1981年愛知県生まれ。筑波大学卒業後、NTT西日本に入社し、2005年秋の日本選手権で準優勝。05年度大学生・社会人ドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。21年の引退まで外野手として活躍。同年よりATSH代表。
厳しく鍛えられた若手時代 「練習は嘘をつかない」を実感
佐藤 藤井さんは現役を引退して4年ほど経ちますが、現在の中日ドラゴンズをどう見ていますか。
藤井 今も思い入れがあるから言えることですが、チームは直近3シーズンは連続最下位という残念な記録を残しており、立浪和義監督が早期退任しました。今年から井上一樹監督が指揮を執っているので、復活を期待しています。
佐藤 チームは変わりそうですか。
藤井 委縮していた若い選手が伸び伸びとプレーできるようになれば成績は良くなると思います。ただ誤解してほしくないのが、これでチームの成績が上がると、「立浪監督が悪かった」という批判が必ず出ますが、それは違います。「人を育てること」は大変ですが立浪監督は若い選手を起用し続け、成績が出なくても辛抱強くチャンスを与えてきました。なので今年チームが飛躍できたとしたら、立浪監督の功績と言えます。
佐藤 藤井さんが若い頃は試合に出るチャンスは限られていたと。
藤井 そうですね。僕は落合博満監督の頃に入団しましたが、若いという理由で試合に出られることはありませんでした。落合監督の練習はハードでしたが、その分、選手一人一人が何をしたらチームにプラスになるかを考え、やるべきことを理解していました。「代わりはいくらでもいる」と言われる中、僕もワンチャンスをつかもうと必死でした。だからチームも強かったんだと思います。
佐藤 記憶に残る練習は。
藤井 26歳頃のナゴヤ球場のキャンプでは、練習中に1週間に3回意識が飛びました。落合さんからやかんの水を顔にかけられて目を覚ますと、普通は「大丈夫か?」と聞かれますよね。それが一言、「邪魔」と。体の痛みもケガのうちに入らず、今も野球選手は皆、痛み止めを服用して試合に臨んでいますよ。
佐藤 現代ならパワハラと言われそうな壮絶な体験ですね。
藤井 ところが、そんなしんどい体験も続けていくと当たり前になり、次はさらにしんどいことができるようになる。私を含め、これを乗り切った選手たちは皆40歳近くまでプレーしています。「練習は嘘をつかない」を実感しましたね。今の若い選手が現役を長く続けていくために、僕たちがこの厳しさをどう伝えていけるかを常に考えています。
プロ野球を軸にした社会貢献 そのロールモデルになりたい

佐藤 藤井さんは引退後に名古屋でATSHを設立し野球教室事業をされています。一方、現役のプロ野球選手の皆さんはセカンドキャリアをどう考えているのでしょうか。
藤井 日本の野球界では、現役時代に野球以外の物事にアンテナを張ることがタブー視されています。セカンドキャリアの説明会を開いても、誰も聞く耳を持ちません。他方、米国のメジャーリーグでは、「野球選手は不安定な職業なのだから、他に安定した収入がなければ野球に打ち込めない」というのが一般的な考え方で、資産運用や他に事業をしている人もいます。日本でもそれが当たり前になる環境をつくりたいですね。
佐藤 準備がなければ、新しい人生は歩めませんよね。
藤井 はい。毎年10人ほどの選手がユニフォームを脱ぐ中で、きちんと引退できる人は少なくて、大半は戦力外通告です。引退であれば、「元中日ドラゴンズ」の肩書で解説者などの仕事のチャンスがありますが、戦力外では仕事はほぼありません。最近まで球場でファンの声援を受け、人生を捧げて狭い門をくぐってプロ野球選手になった人たちが、戦力外となった途端に中途半端な年齢の世間知らずの存在になる。それで自分の子どもがプロ野球選手を目指したいと言った時に、「頑張れ。応援してるぞ」と言えるでしょうか。プロ野球選手がその価値を残したまま、その後も野球に関わる場を提供したい。そう考えてクラウドファンディングで今の事業を立ち上げました。
佐藤 素晴らしいですね。他にも、御社では福祉事業もされているとか。
藤井 昨年5月に就労継続支援B型事業所となり、障害者の社会復帰のお手伝いとして、中日ドラゴンズからボール磨きの仕事を頂いています。野球は1軍で使ったボールが2軍に渡り、次はアマチュアに、と流れていきます。その時に手作業で奇麗にしたボールを寄付できれば、ボールを受け取る人に喜ばれ、球団も寄付とは違った社会貢献になります。
佐藤 なぜ障害者支援を始めたのですか。
藤井 野球教室に通う子の親御さんから、その子のお兄さんがダウン症で、スポーツ好きだけれども諦めていると聞きました。僕が関わることで障害者とプロスポーツを結び付けて、彼らに単なる居場所ではなく、挑戦する場所を提供できるのではないかと考えたんです。ナゴヤ球場で選手に直接ボールを渡す時に、一緒に写真撮影したりサインをもらったりしますが、健常者のファンでもなかなかできない体験です。それを障害者だからできるとポジティブに受け取ってほしい。個々のプロ野球選手の社会貢献になるので、その好循環をつくれたらと思っています。
佐藤 それが古巣への恩返しになりますしね。
藤井 はい。地域の福祉とプロ野球ががっつり組んで社会貢献になる、そんなロールモデルをつくりたい。これを野球界から他のスポーツ界にも広げていきたいですね。
