2023年に大規模な事業再編・社名変更を行った東急ホテルズ&リゾーツ。外資系ホテルがシェアを伸ばす中、国内の老舗ホテル企業として、他社とのアライアンスを組みつつ健闘してきた。コロナ禍の21年に就任した村井淳社長が推進する「負けないための戦略」とは。聞き手=小林千華 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2025年7月号より)
村井 淳 東急ホテルズ&リゾーツのプロフィール

むらい・じゅん 1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学卒。都立産業技術大学院大学修了。85年、東京急行電鉄(現東急)に入社。東急労組執行委員長を経て、2009年、グループ事業本部へ。18年、取締役人材戦略室長、20年、東急バス副社長。21年、東急ホテルズ社長に就任。ホテル事業・リゾート事業の再編に尽力し、23年4月から東急ホテルズ&リゾーツ社長。
雇用調整より人に投資 元人事ならではの生存戦略
―― 1960年の銀座東急ホテル開業から始まり、東急グループのホテル事業は60年以上の歴史を持っています。
村井 現在、国内で北海道から宮古島まで67ホテル(運営受託57、フランチャイズ4、提携6)、海外で3ホテル(提携)を展開しています。現在の東急はまちづくりの会社を標ぼうしていますが、かつては鉄道会社としての性格が強かった。沿線地域の外にも大きなネットワークを展開するホテル、リゾートといった事業は異色かもしれません。
私はグループ内で何度か異動を経験していますが、東急本社で人事に携わっていた期間があり、その後、コロナで非常に厳しい時代を迎えた20年4月、東急バス副社長に就任しました。お客さまの数は最盛期の7割くらいになり、路線の再編などさまざまな対応を迫られました。そこから1年もたたず、21年2月、東急ホテルズ社長に任命されました。いつかグループ会社の代表を目指したいとは思っていたのですが、まさかこの局面でホテル会社の代表とは、という思いはありましたね。
―― どのように切り抜けましたか。
村井 コロナ禍、多くのホテル会社が雇用調整やオペレーションの見直しなどに追われましたが、われわれはもっと根本的に、完全に事業構造を変えないといけないと考えました。その結果が23年の事業再編です。
ホテル事業を担う東急ホテルズと、会員制滞在型リゾート事業を担う東急シェアリングを統合し、オペレーションに特化した新会社として東急ホテルズ&リゾーツを設立。ホテル経営は東急本社が担うという役割分担を決めました。オペレーションに集中することで、人材力とホスピタリティというわれわれの強みをより強固なものにできると考えての戦略です。
コロナ禍では大きな打撃を受け、客室の稼働率も30%ほどに落ちましたが、いずれ景気の波が戻り拡張期は来ると考え、その準備をするよう従業員にも呼び掛けていました。結果、雇用調整もほぼしないで済みました。
私はさまざまな企業の事例を見てきましたが、人にお金を払って辞めてもらって、良い結果につながることはあまりないと思います。事業を立て直し、その後も中長期で長く続くように再生させていくには、先に人に投資をすることが大事だと。それが当社の強みであるオペレーションの差別化にもつながると考えたので、そちらにかじを切りました。
―― 現在はコロナ禍が明け、インバウンド需要が大きく戻りを見せています。
村井 国内のお客さまを中心に22年の下期から大きく稼働率が戻り始めました。そこに23年以降のインバウンドの戻りが重なり、より業績が上向きました。ブランドや個々の立地によって差はあるものの、この3月も、お客さまの約半数が訪日外国人のお客さまです。その恩恵もあり、当社グループの24年度の宿泊事業の収益は1千億円を超え、19年の961億円を上回っています。
コロナ禍後の大きなプロジェクトとして、新宿で23年5月にオープンした東急歌舞伎町タワーにおいて、「BELLUSTAR TOKYO」、「HOTEL GROOVE SHINJUKU」の2ホテルを開業しました。従来の東急ブランドではなく、シンガポール発の国際ホテルチェーン、パン パシフィック ホテルズ グループとのソフトブランディング契約によって誕生したホテルです。特に「BELLUSTAR TOKYO」は、1泊100万円以上の客室も備えた国内最上位クラスのラグジュアリーホテル。歌舞伎町という立地で、利便性を評価いただき、お客さまのほとんどが海外の方です。
―― どういった戦略で開業したホテルなのでしょう。
村井 23年の事業再編の際、当社のホテルブランドも再編し、従来の東急ブランドのほかに「DISTINCTIVE SELECTION」というブランド群を新設しました。ブランドの幅を広げ、お客さまにもオーナーさまにもより喜んでいただける展開を進めています。歌舞伎町の例もこの一環です。
われわれはオペレーターとしての認知度を国内外でもっと高め、「東急に頼めばこんなホテルができるんだ」ということをもっと知ってもらわなければなりません。
だからといって、外資大手のマリオットやヒルトンと同じ土俵でガチンコ勝負しても意味がない。われわれは、海外とはしっかりアライアンスを組むこと、それから日本のホテルとして国内での社会的役割を果たしていくことが、長く生き残るためのポイントだと考えています。
特に日本のおもてなし、ホスピタリティの力は海外に誇れるものだと思いますから、それを軸に戦略を立てています。私はこれを「負けないための戦略」と呼んでいます。
波のあるホテル業界での持続可能な経営とは
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―― 今の課題をお聞かせください。
村井 現在はホテル業界全体が非常に活況ですけど、やはり波のある業界ですから、今の調子も長続きはしないと捉えている人が多いと思います。だからこうして多くの収益を生み出せている間に、改革は進めておかないといけない。コロナ禍では業界から離れてしまった方もたくさんいたので、次また不況が訪れた時は持続可能な経営をしていけるよう、待遇や職場環境の改善を進めていきます。
あとは、もともと人手不足の時代ですから、外国人の就労やDXなどの面で規制緩和に国がもう少し力を入れてくれればありがたいですね。観光業界は、外国人の方が自分の母語で働ける数少ない業界でもありますし、そもそも雇用の流動性が高いので、メリットが大きいはずです。
ともかく業界が潤っている今が収益構造を変えるチャンスなので、ここで今後に向けた投資をしっかりして、ホテル業界にとっての持続可能な経営とは何なのか考えながら取り組みを続けていきます。