新浪剛史氏は1959年横浜市生まれの60歳。慶應義塾経済学部を卒業し三菱商事に入社。ハーバード大学でMBAを取得後、給食事業を手掛けるソディックスコーポレーション(現LEOC)社長を務めたあと、2002年から12年間にわたりローソン社長を務め、14年5月に会長に就任したが、5カ月後、サントリーホールディングス社長に就任し世間を驚かせた。
新浪氏を招聘した佐治信忠会長は、その直前にサントリーが買収した米ビーム社(現ビームサントリー)との統合を新浪氏に託した。その際、佐治会長は新浪氏に「悠々として急げ」と伝えたという。
これはかつてサントリー宣伝部にいた作家・開高健氏の言葉だが、結果は求めるがけっして慌てるなという意味が込められている。
実際、新浪氏は、まず創業精神の共有という、根っこのところから統合作業を進めていった。それがいかなるものだったのか。新浪氏のインタビューをお読みいただきたい。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(『経済界』2020年2月号より転載)
新浪剛史氏プロフィール
創業精神の共有から始めた米ビーム社との統合作業
サントリー大学とやってみなはれ大賞
―― サントリーが米国のビーム社を買収して5年がたちました。最近では共同開発したウイスキーを販売するなど買収効果も出てきました。しかしここまで来るには苦労も多かったのではないですか。
新浪 ビーム社には、サントリーとは違う歴史や文化があります。これは尊重しなければなりませんが、それ以上に重要なのは、価値観を同じにすることです。
その価値観とは、創業者の鳥井信治郎が提唱し、代々受け継がれてきた「やってみなはれ」の精神です。これは単にチャレンジするだけではなく、あきらめず、へこたれず、しつこくやりぬく、ということです。
競争相手のやらないことをやる。つくらない商品をつくっていく。そして「利益三分主義」。私たちは社会に生かされている。この創業精神を徹底的に植え付けてきました。
―― 具体的には何をやってきたのですか。
新浪 そのためにサントリー大学をつくりました(2015年4月開校)。私が学長になってサントリーグループの人材開発・研修活動を行うもので、ここにビームサントリーの幹部社員や中堅社員も呼んで、サントリーの社員と一緒に学んでもらっています。
座学だけではなく、例えば私たちが大切にしている「水と生きる」を学ぶために、「天然水の森」に行き、サントリーが天然水を涵養するためにどれだけの努力をしてきたかを体感してもらう。サントリーホールやサントリー美術館に出掛け、利益を社会に還元することがどれだけ大切かを知ってもらう。こうやって創業精神を学んだ海外の社員がそれぞれの職場に戻り、伝道師として他の社員にも広めていく。
サントリー大学開校と同じ年に、「やってみなはれ」を実践したチームを表彰する「有言実行やってみなはれ大賞」も創設しました。これには世界中のグループ会社から応募がありますが、中でも一番件数の多いのがビームサントリーです。このようにさまざまな機会を通じて創業精神の浸透を図っています。
サントリーの精神はビーム社にどう伝わったか
―― 価値観を変えるのは大変ではないですか。
新浪 5年間、それを最優先でやってきましたし、彼らも受け入れてくれました。
というのも、「やってみなはれ」は、彼らがこれまでやりたくてもやれなかったことだからです。ビーム社は上場企業でしたから、四半期ごとに結果を出すことを求められてきました。そのため長期的な視点で経営することや、無駄になるかもしれないチャレンジは許されなかった。
でも、イノベーションを起こすにはハンドルでいえば「遊び」がなければできません。自由な発想で新しい価値の創造に挑戦し、やり切る。そういう中から新しいものが生まれ、人が育つ。ビームサントリーになってから、そこを繰り返し伝えてきた結果、両者の距離はどんどん近くなってきました。
社会との共生についても、ビームサントリーでは工場の敷地周辺の森を守るため、「ナチュラル・ウォーターサンクチュアリ」プロジェクトを開始し、水源保全に取り組んでいます。こうした活動は日本からの指示ではなく、彼らが自発的に始めています。このことからも創業精神の浸透ぶりが分かります。
―― 「やってみなはれ」は英語で何と言うんですか。
新浪 「Yatte Minahare」です。英語にすれば「Go for it」となるのでしょうが、それでは伝わらないものがある。ですからそのまま日本語を使っていますし、「水と生きる」もそのままです。
サントリーとビーム社双方に現れた統合の効果とは
米国でも起き始めたハイボールブーム
―― ビームサントリーの社員の働き方も随分と変わったでしょうね。
新浪 ビーム社時代は短期的利益を求め、今あるものをできるだけ早くお金にするという考えでした。その結果として本社のファイナンス部門が圧倒的に力を持っていました。その一方で高品質な製品をつくる生産の現場や、収益を稼ぐ営業の現場の人たちの立場が非常に弱かった。社長をはじめ本社の人たちは現場に行くことはほとんどありませんでした。
そこで、私は本社と現場の立場をイコールにすることから始めました。私自身現場に行き、現場の人の声を聞く。また現場の人たちには、もっとエンドユーザーの声を聞くことを求めました。
例えば営業の人は、以前は卸店のところにしか行かなかった。お客さまについての興味もなかった。そこでスーパーマーケットや料飲店など、直接お客さまと接している人たちのところへ足を運び、コミュニケーションを図る。こういうことを通じて出てきたのが、米国でのハイボール展開です。
―― 米国にもハイボールはあったでしょう。
新浪 ありましたが、営業としてはボトルをできるだけ売りたいから、グラスに半分くらいウイスキーを入れるハイボールが主流でした。しかも炭酸も弱い。これではアルコール度数が強すぎるため、女性はほとんど頼みません。そこでわれわれは、新しい飲み方を提案して、お酒はグラスの4分の1、さらにレモンやオレンジピールを入れて飲みやすくしたハイボールを提供するようにしたのです。
もちろん、言うだけではなく、炭酸を強くしておいしいハイボールが提供できるサーバーを開発し、それを料飲店に置いてもらう。そこまでこだわって初めて「やってみなはれ」です。そのお陰で今では米国でもハイボールを飲む人が増えていますし、他のウイスキーメーカーも似たような取り組みを始めています。私たちにしてみれば、それによってハイボール市場が広がりますから、むしろまねされることを歓迎しています。
このように現場を重視することでビジネスも拡大していきます。
ビーム社からサントリーが学んだこと
―― 今までは本社の言うことを聞いていれば良かったものが、現場の判断が求められるようになったわけですね。どうやって意識を変えていったのですか。
新浪 よく海外企業を買収すると、トップクラスの人材を送りこみますが、ビームサントリーに対してはそういうことをしていません。監視役も送っていません。私が向こうのCEOと直接、話し合っています。その代わり、30~40代の中間クラスの人間を派遣しています。彼らや、サントリー大学で学んだ社員が現場に入っていき、創業精神に基づく働き方を伝えていく。それによって現場が活性化していきました。
―― 一方、サントリーが、ビーム社から得たものはなんですか。
新浪 もともとファイナンス部門が強かった会社ですから、キャッシュの管理は非常に細かくやっていましたし、そこから得るものはたくさんありました。買収したことで借り入れも増えました。それをどうやって返済していくか、彼らの仕組みは参考になりました。売り上げや利益よりもキャッシュフローを重視する経営も彼らから学んだことです。
またロジカルな考えをはっきりと伝えることもそのひとつです。日本人同士なら、曖昧なままでもコミュニケーションが取れる。しかし外国人相手には通じません。ビームサントリー社員との交流が深まることで、自分たちの考えを論理的に伝え議論することができるようになりました。グローバルスタンダードにおける当たり前のことが、この5年間でできるようになったのです。
サントリーが目指す方向性と今後の展開
世界市場におけるサントリーの価値が向上
―― 世界のリカー市場におけるサントリーの位置付けはどう変わりましたか。
新浪 以前からサントリーのウイスキーの評価は高いものがありました。しかしこれまでは、「山崎」や「響」というブランドは知られていても、サントリーという社名はあまり知られていませんでした。それがビーム社がビームサントリーになったこともあり、かなり知られるようになりました。また競争相手からの評価も高くなったように思います。
同時に、日本の文化やクラフトマンの評価が高いというのも新しい発見でした。日本ではウイスキー人気が高まった結果、原酒不足になり、十分な供給ができていません。でもそれなら、向こうの原酒と、日本のクラフトマンシップを組み合わせることで、新しい価値が生まれてくる。
先ほど「やってみなはれ大賞」について話しましたが、2017年の大賞は「ROKU」というクラフトジンを開発したチームが受賞しました。「ROKU」はビームサントリーとの共同開発商品で、煎茶や山椒、柚子など日本ならではのボタニカルを使用しています。私にしてみれば、こんなジンが売れるのか疑問だったけれど、世界で高い評価を受けています。
また、19年3月に発売した「リージェント」というウイスキーにも、日本のクラフトマンシップが詰まっています。
リージェントは、ビームサントリーで製造されたバーボンウイスキーを、サントリーのチーフブレンダーである福與伸二がブレンドして誕生した、日米合作のウイスキーです。ラベルには、福與と、ビームサントリーの7代目当主のフレッド・ノウ氏の横顔が描かれています。
海外の人から見たら、日本はプレミアムなものが数多くある。「East meets West」で、これを融合させることで新しい価値が生まれ、成長のきっかけになる。これもビーム社と一緒になったことで気づかされました。
目指すのは規模よりプレミアムな会社
―― 現在、蒸溜酒メーカーとしてサントリーは、イギリスのディアジオ、フランスのペルノ・リカールに次いで世界第3位です。ビーム効果が出たことで、さらに上を目指すのですか。
新浪 規模ではなく、「プレミアムならサントリー」と言われるようになりたいと思っています。「ジムビーム」はスタンダードウイスキーですが、「メーカーズマーク」など、クラフトバーボンと呼ばれるプレミアムウイスキーもあります。そういった商品をどんどん出していく。
もうひとつ忘れてはならないのは、サントリーは世界で例を見ない会社であることです。ウイスキーだけでも、世界5大ウイスキー(日本、アメリカ、スコットランド、カナダ、アイルランド)の産地すべてに蒸溜所を持つ唯一のメーカーです。ウイスキー以外にもビールもあればソフトドリンクも健康食品もある。これらの商品を通じて社会と共生していくことがサントリーの役割です。
ですから、われわれはディアジオを目指しているわけでもコカ・コーラを目指しているわけでもありません。グループ内にいろんな会社があり、それぞれの技術や商品を組み合わせ、融合させることで新しい商品を開発し、それを世界で販売していく。それができるのはサントリーだけです。そしてその際に求心力として必要なのが、創業精神です。
日本で開かれたラグビーワールドカップは非常に盛り上がりました。日本代表チームの選手の国籍は多種多様ですが、日本を代表して戦うという根っこの意識を共有している。その上に各選手の個性がある。それが「One Team」です。
サントリーの場合、共有するのは創業精神です。それに基づき「Global ONE SUNTORY」を実現していきます。
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