セゾンカードを発行するクレディセゾンに1月、新社長が誕生した。水野克己社長は北海道生まれの北海道育ち。クレジットカードの営業を皮切りに、ベンチャー投資や海外事業など幅広いビジネスを担当してきた。数多くの失敗もあったというが、「それでも辛くはなかった」という水野氏のモチベーションとは――。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(『経済界』2021年11月号より加筆・転載)
水野克己・クレディセゾン社長プロフィール
札幌で鍛えられた新人時代の6年間
―― 北海道出身で大学も北海道です。なぜ就職先としてクレディセゾンを選んだのですか。
水野 入社は1992年ですが、当時のキャッシュレス比率は10%以下。それでも北海道、特に札幌には強い信販会社もあり、それもあってカード会社に興味を持っていました。同時に当時、札幌には五番館西武や札幌パルコがあるなど、セゾングループにはなじみがあった。ただ決め手となったのは、面接官だった当時の北海道営業所長がとてもユニークな人で、その人に惹かれたことです。
―― では最初は札幌採用だったのですか。
水野 本社採用でしたが札幌で面接を受け、配属先も北海道でした。ここで6年間、ずっと営業でした。
―― 90年代の北海道は北海道拓殖銀行が破たんするなど、バブル崩壊の影響を大きく受けていましたし、セゾングループ自体も坂道を転がり落ちていました。大変だったのではないですか。
水野 そうでもありません。西武百貨店も西友も販売力がありましたし、カード会員は増え続けていましたから、バブル崩壊の影響はほとんど感じませんでした。当時の会社の方針は、とにかくカードの発行枚数を増やそうという非常に分かりやすいもの。ですから平日は郵便局などに行って提携カードの受付をやり、土日は五番館やパルコの店頭でカード開拓をしていました。それを終えて会社に戻ると営業所長から毎日説教です。これで業務回りのことを含めたくさんのことを教えていただきました。そんな生活が6年間続きました。
その次は本部でゴールドカードの担当です。これを提携先にも広げようということで、名古屋の名鉄百貨店さんに行きました。最初2カ月と言われていたのが、結局、7カ月いることになりました。この時は、外商の方がお得意先に行ってゴールドカードを勧めるにあたり、申込書の書き方から、トークの仕方までレクチャーしました。それまでは自分でお客さまにカードを勧めていましたが、今度は、人にカードを勧めてもらう立場です。この経験は本当に貴重でした。その後もそごうさんや髙島屋さんなど、いろいろな提携先と一緒に仕事をさせていただきましたが、この時の経験が大きく生きています。
―― ゴールドカードの担当は自ら手を挙げたのですか。
水野 いいえ。前任者が辞めたあと、当時のゴールドカード部長から指名されたそうです。部長が札幌に来た時に食事を一緒にしたことがあって、「こいつは面白い」と思ってくれたようです。ちょうど6年でローテーションのタイミングでもありました。
楽しくなければ仕事は続かない
―― 自分で手を挙げた異動はありますか。
水野 ベンチャーへの投資はそのひとつです。今クレディセゾンは多くのベンチャーに出資や協業をしていますが、一番最初は2013年のことです。スマホ決済サービス「Coiney」の提供を始めたコイニー(現hey)というベンチャーに出資したのが最初でした。当時、当社のシステムのリプレースを行っていて、新しいサービスの開発などができなかった。それで何かやろうと考えた結果がベンチャーとの付き合いにつながりました。
海外事業もそうですね。ベトナムでの事業検討を始め、取りあえず現地に行ってみました。そこで現地調査を行い、戻って3カ月後には駐在事務所をつくりたいと役員会に答申してOKをもらい、その3カ月後には人を派遣しています。12年のことでした。
―― どこが魅力だったのですか。
水野 当時のハノイ空港は日本のローカル空港のような簡素な空港で、タクシーに乗って市内に向かうと、途中の畑を牛が耕している。でも市内に入るとバイクがたくさん走っていて、乗っている人たちがものすごく若い。それを見てこれはいけると思いました。しかもブラックベリーの携帯電話を持っている。当時のベトナムの所得からしたら相当高いはずですが、無理をしてでも手に入れている。それだけ消費意欲が強いわけです。
しかも走っているバイクの多くは日本製だから日本への信頼も厚い。これなら商売ができると確信し、ベトナムだけでなくASEANにフォーカスした海外事業を立ち上げれば面白いことになりそうだと考えたのです。これが今の当社のグローバル事業の土台になっています。
―― 手探りで始めたわけですから、失敗もあったでしょう。
水野 たくさんありました。インドでは、現地企業が金融のパートナーを探していた。手を挙げたのは当社だけではなかったのですが、最終選考まで残り、われわれは選ばれると自信をもっていました。ところがインドの金融政策で予期せぬことが起こり、最終的には選ばれなかった。これはショックでした。インドネシアでは現地のコンビニと組んで事業を始めました。コンビニで使う冷蔵庫やPOSレジをリースする会社を立ち上げたのです。ところが途中でコンビニでの酒類販売が禁止されてしまった。このコンビニにとってお酒は稼ぎ頭でした。それが売れなくなったため、結果的に店はすべて閉店してしまいました。このように挫折も多々ありますが、すべてが勉強です。
こうした経験を積みながら、昨年8月にはベトナムでカード事業を始めました。これまで海外ではカードを発行してこなかったのですが、いよいよ踏み切りました。カードを発行するにはシステムも整えなければならないし、与信方法も日本と違うなど、けっこう大変です。時間はかかりましたが、ようやくここまでたどりつくことができました。
―― なんでこんな苦労をしなければならないんだと思ったりしませんでしたか。
水野 海外にしてもベンチャーにしても、面白いなと思ったからやりたいと思っただけで、苦労とは思わなかったですね。楽しそうだからやってみる。仕事って楽しくないと続かないじゃないですか。クレディセゾンは面白いと思ったらやらせてくれる。その意味で環境には恵まれていると思います。
数年後「昔はカード会社だった」と言われたい
―― いつ頃から自分が社長になるのでは、と思うようになりましたか。
水野 思ったことはありません。林野(宏会長)からなんとなく伝えられていたようにも思いますが、林野はしょっちゅうそういうことを言うので、「また言っているよ」ぐらいにしか受け止めていませんでした。
―― 社長として何をしたいですか。
水野 クレディセゾンのカードビジネスの歴史は約40年になります。この間、ずっとカードビジネスを中心に続けてきましたが、やはり一つのビジネスモデルの寿命はだいたい30年ぐらいではないかと思います。
ですから今は「第二の創業」で、会社が変わっていかなければならない時期にあたります。そのタイミングで社長をやるわけですから、今までいろんな新しいことをやらせてもらった経験を生かしながら、会社の形を変えていくというのはとてもやりがいがあることです。
当社は決済以外にもファイナンスビジネスや、これから大きくなるだろうグローバルビジネスなど、成長分野を持っています。それに並ぶ成長分野を、僕も一つはつくりたいと思って、種を蒔いています。われわれにはグループ全体で3500万人の会員がいらっしゃいます。この会員をうまく活用しながら次のビジネスにつなげていきたい。6月にサイバーエージェントと共同出資で新会社を立ち上げましたが、この会社は当社のカード決済データと、サイバーエージェントのAI技術などを活用したマーケティングを行う会社です。こういう新しいビジネスを今後も立ち上げていく。そのために、いろんなベンチャーとお話しをさせていただいています。
―― 林野会長もベンチャー投資に熱心でしたが、手法に違いはありますか。
水野 林野の場合、テクノロジー素人ですから、感覚的に面白いか面白くないかが判断基準です。もっとも僕も似たようなもので、面白いと思ったら、「ちょっとやってみよう」となる。お陰で当社のベンチャー投資の意思決定は非常に速い。例えば東南アジアで配車サービスを展開するグラブとの資本業務提携は、1カ月で決まりました。この速さは他社にない強みかなって感じがしています。
―― 成功する確率がどのくらいあればゴーサインを出しますか。
水野 5割あるなら行っちゃおうかという感じです。
―― 7割でゴーサインという経営者は多いですが、5割ですか。
水野 7割だと遅いと思います。意思決定をする時に、机上でいろいろ考えることも大切です。でもベンチャー企業の場合は、経営者の思いが事業を成功させるかどうかのカギを握っています。ですから、事業を精査するより、この起業家と一緒にやったら面白そうだ、と思えるかどうかです。
そうやってベンチャーの力を借りながら新しいビジネスを起こしてく。今年度の経営ビジョンでは、「生活総合サービス企業グループへの転換」を掲げています。今まではセゾンカードの会社のイメージが強いですが、いろんな顔のある会社にしていく。その意味では、昔のセゾングループのイメージに近いかもしれません。
何年後かに、「クレディセゾンって昔はカード会社だったね」と言われたい。それぐらい会社を変化させたいと思います。