アジア最大級を誇る第34回東京国際映画祭(TIFF)が、アフターコロナへ向けた映画界の勢いを示すかのように華やかに開催された。長い歴史の中でもひとつの転機になる今回を成功に導いた最高責任者の安藤裕康チェアマンに、コロナ禍の協賛金集めなど舞台裏の苦闘を聞いた。聞き手=武井保之 Photo=逢坂 聡(『経済界』2022年2月号より加筆・転載)
安藤裕康・東京国際映画祭チェアマンプロフィール
コロナで資金集めに苦難も1.5億円のマイナスをカバー
―― コロナの真っ只中だった2020年は、世界中の映画祭が軒並み中止になるなか、TIFFはコンペティションをなくすなど縮小しながらも開催にこぎつけました。そして21年は、オープニングセレモニーやレッドカーペットも実施し、華やかな開催となっています。
安藤 映画祭にはビジネスと文化の2つの側面があります。世界中の素晴らしい作品を集めて観客にお見せすることと、世界各国の映画人が集まって交流することです。その交流から議論が深まり、新しいアイデアや作品が生まれてくる。しかし、コロナでとくに後者の方が難しくなっていました。
映画祭のメイン部門であり、賞を競うコンペティションは、国際映画製作者連盟の規約で審査員の3分の2が外国人でないといけないため、前回は状況的に難しく断念しました。しかし、今回は厳しい感染防護措置を講じたうえで、外国籍で日本在住の審査員を入れるなどの工夫もして実施にこぎつけています。また、オープニングセレモニーの華であるレッドカーペットも、例年とは異なり、参加ゲストとマスコミの間を5メートル空けるなど感染対策を徹底しました。
本来、国際映画祭は海外からいろいろな映画人を呼んで、日本の映画関係者と交流してもらわないといけない。しかし、コロナによる政府の入国制限や隔離期間などがあるなか、そもそも観客もゲストも映画人も外国からの参加者が非常に少ない。映画祭の機能としての交流が難しく、多くの困難があるなかでしたが、プログラムを変えることでなんとか開催できました。
20年は世界中で映画祭が中止になりましたが、21年は各国で例年とは異なる形式ながら再開しはじめています。TIFFもその過程で迷うことは多くありましたが、なんとか開催すべく進めてきました。
―― 今回もコロナが長引くなかの開催でしたが、多くの協賛企業のサポートを得ています。
安藤 コロナ禍のこの2年間は非常に苦労しました。前回は多くの業種において経済活動がストップしているなか、新規スポンサーがほとんどつかず、コロナ前より協賛金はトータル1.5億円ほど減りました。これは運営にとってとても大きな数字であり、なんとか挽回しようとがんばりました。しかし、コロナは依然として長引き、加えて夏には東京オリンピックもありましたから、協賛を得るのがより難しい。そこをなんとか前々回くらいの規模まで盛り返すことができました。今回の開催にあたっては、やはり資金面の苦労が大きかったです。
―― 昨年に続いて厳しい状況のなか、どう協賛企業を口説いたのでしょうか。
安藤 それぞれの企業にとって映画祭と組むメリットは違います。そこは個別に丁寧に話をしてきました。
1980年代は、企業利益の一部を文化活動に寄付するメセナが社会的な流れとしてありましたが、昨今はそうではなくなってきています。具体的なメリットが明確でないと企業としてはお金は出せない。そうしたなか、映画祭と企業がお互いにフィフティフィフティで話し合って、何ができるか、どう企業の利益に貢献できるかをかなりきめ細かく一緒に考えていかないといけない。それをやってきた結果です。
東京国際映画祭主催者と協賛企業の相互メリット
―― 世界的な映像配信プラットフォームであるAmazonプライムビデオがオフィシャルパートナーに名を連ねています。
安藤 今回初めて協賛していただきましたが、優れた才能の発掘を目的とする新人監督賞の「テイクワン賞」を新設しました。この賞は商業長編映画をまだ撮っていない若手監督に15分の短編作品制作で競い合ってもらい、優秀賞受賞者には賞金100万円とプライムビデオと組んで長編作品を制作する権利が贈られます。1回目にして223作品の応募があり、TIFFとの連携に非常に満足されました。
プライムビデオの担当者はTIFFに協賛するメリットを、映画界とのネットワークを構築できること、そこからビジネスが生まれること、そして、配信ビジネスにおいても映画が大事なコンテンツだと示すことを目的として挙げていました。
―― 映画と直接的には関わらない業種の企業も多く協賛していますね。
安藤 地域のディベロップメントを担う三井不動産や、SDGsに熱心に取り組んでいる大和証券は、日比谷・銀座地区で映画祭を開催し、ジェンダー平等の実現をテーマのひとつに掲げるTIFFに関心を持っていただき、協賛いただいています。また、美容や化粧品メーカーのタカラベルモントは本社が大阪の企業ですが、銀座の街中に立てられたTIFFフラッグに会社ロゴが入ることで、地域の知名度とブランドイメージが向上したことをとても喜んでくださいました。
映画祭への協賛は、ただメディアに載るだけでなく、一緒にイベントを作ることでリアルな場でのアプローチが可能なこと、映画界とつながれることが大きな特徴です。もちろん業種や企業によって考え方は違いますから、お互いの共通点をいかに見つけるか、ビジネスに映画祭をどう利用できるかを一緒に模索していくことが必要です。
映画祭といってもエンターテインメント業界だけではなく、幅広い業種と結びついていけるんです。むしろわれわれは幅広い業種の方々と積極的に連携していきたい。既に来年から参加したいというお話をいただいている企業もありますが、もっとそれを拡大していきたいと思っています。
―― 今回から会場を映画・演劇の街である日比谷・銀座に移しました。映画祭にとって大きな変化になります。
安藤 チェアマンに就任した当時から準備をはじめ、2年以上かかってようやく実現しました。会場が分散するため、運営スペースの確保や会場費など予算は増えますが、映画の街としてなじみがあり、歴史があるこの地で映画祭を開催することにより、観客層を広げられるという意義があります。街との一体感の醸成、経済振興への寄与といった形で銀座を盛り上げていく観点からすると、これではまだまだ足りない。来年以降に持ち越していることがたくさんあります。
会場は千代田区と中央区にまたがっており、両区長と話し合いましたが、お互いの良いところを利用する地域との協力関係をもっと築いていかないといけないと感じています。映画祭が外国映画人の交流の場になるのと同時に街と一体になることで、それが世界へのPRになる。まだ時間はかかりますが、そういうふうにしていきたいと考えています。
安藤氏が黒澤、小津映画から学んだ公務員の精神と生き方
―― TIFFチェアマンとして今の日本映画界をどう見ていますか?
安藤 世界を見渡したときに、日本映画はクオリティが高いうえに、年間制作数は600本ほどと、質・量ともに申し分ない。それでも世界的に広く知られているのは、1950年代の黒澤明、小津安二郎、溝口健二といったほんの一部の監督だけ。80年代には今村昌平、大島渚、吉田喜重なども出てきましたが、それでもまだまだ日本が知られていない。日本映画を世界に発信していきたいです。
今回のTIFFでは、田中絹代の監督作品を特集上映しました。彼女は日本を代表する女優としてこそ海外でも有名ですが、女性映画監督の草分けであったことは日本でも海外でもほとんど知られていません。しかし今回、カンヌ国際映画祭のプログラマーが彼女の作品を観て絶賛しました。当時の女性監督としてはフランスのアンナ・カリーナやジャンヌ・モローが有名ですが、田中絹代も負けてはいない。上映後のシンポジウムは大いに盛り上がりました。映画祭はそういうことを世界に発信する絶好の機会です。
―― この先、TIFFをどうしていきたいと考えていますか?
安藤 TIFFが世界三大映画祭(カンヌ、ヴェネチア、ベルリン)になるのは難しい。そこを目指して真似するのではなく、アジアに位置する日本ならではの独自性を見つけていくべき。世界中の映画人が、TIFFに行けばアジアの映画人と交流できる、アジアのことがよく分かると言っていただけるような映画祭にしていきたいです。
―― 安藤さんは外務省の出身ですが、映画にお詳しいですね。
安藤 その話を始めると1日では終わらない(笑)。子どもの頃から映画が大好きで、学生時代は演劇部でしたが、映画ばかり観ていました。銀座並木座やシネマ新宿で1日中映画を観まくっては、帰りの電車賃がなくなって、下宿まで歩いて帰ることがよくありました。
大学卒業後、なぜか外務省に入ってしまったんですけど(笑)、安全保障問題や経済局でG8のサブシェルパを任されたりしながら、芸術文化の対外発信でもできることをやらせてもらっていました。その後、日本文化を海外へ発信する国際交流基金のトップを9年務め、世界各国で映画に関わっていくなか、TIFFに声を掛けていただきました。
―― ご自身が影響を受けた映画はありますか?
安藤 好きな映画はたくさんありますが、やはり黒澤明、小津安二郎ですね。小津作品からは、高邁な政治論議などよりも、日々の平凡な生活をどう生きていくかがいかに大切かを教えられました。黒澤作品の「七人の侍」では、百姓たちのたくましい生き方とそれを助ける浪人武士の無償の奉仕、「生きる」の余生を公園建設に捧げる主人公からは、公益のために尽くさなければならない公務員の精神を学びました。それらは今のTIFFでの使命感にもつながっています。