東急ハンズに対して特別の思い入れがある人も多いだろう。DIY用品から雑貨まで、特異な商品構成で人気を集めていたが、昨今は低収益に苦しんでいた。そこにコロナ禍が加わり、ついにカインズ傘下となることが決まった。ハンズは日本の小売業に何をもたらしたのか。文=ジャーナリスト/下田健司(『経済界』2022年4月号より加筆・転載)
グループの長期構想から外れた東急ハンズ
DIY(ドゥ・イット・ユアセルフ)・雑貨専門店の東急ハンズ(東京都)が、ホームセンター最大手カインズ(埼玉県)に買収される。東急不動産ホールディングス(HD)が子会社の東急ハンズ全株式をカインズに今年3月末に譲渡、カインズは東急ハンズを子会社化する。
東急ハンズのカインズ傘下入りは業界だけでなく広く話題を呼んでいる。東急ハンズといえば、圧倒的な品揃えと接客販売が特徴だ。都市部を中心に国内外86店舗(FC24店舗を含む)を展開する。一方、カインズは郊外立地の大型店舗運営を得意とし、本部集権型の効率経営で成長してきた。DIYを扱っている共通項はあるものの、経営スタイルを見れば東急ハンズとカインズでは商品政策も店舗政策も異なる。
東急不動産HDが東急ハンズを手放す理由には東急ハンズの業績低迷がある。東急ハンズの単体売上高は2016年3月期に900億円台に乗ると、それ以降はおおむね950億円~960億円で推移してきた。しかし、新型コロナウイルスが直撃し21年3月期は619億円と、前の期に比べて35%も落ち込んでしまった。都市部に店舗が多いため、休業・時短勤務やインバウンド需要の消失といった影響を大きく受けたのだ。既存店売り上げは37%減と急落したほか、三宮店、国分寺店、川崎ダイス店をはじめ低収益店舗6店を閉鎖したことも響いた。
東急ハンズの決算公告を見ると、本業の儲けを表す営業利益は16年9億円、17年1億円、18年3億円、19年7億円、20年2億円(各年3月期)。21年3月期は44億円の営業赤字に転落した。もともと1%に満たない営業利益率という低収益だったところへ大幅な減収が加わり営業赤字に陥ってしまった。財政状態も悪化し、21年3月期末の純資産は32億円(68%減)、純資産比率は前期末の29%から10%に低下した。
コスト改革により店舗の収益力回復を図ったり、ネット通販強化を含むデジタル戦略を強化したりして収益構造の見直しに取り組んできていたが、新型コロナは容赦なかった。東急不動産HDはグループの経営資源活用による東急ハンズの再生はできないと考え、グループの長期構想から外した。
合従連衡進むホームセンター業界
ホームセンター業界に目を転じると、一昨年の大型再編劇が記憶に新しい。11月にアークランドサカモト(新潟県)がLIXILビバ(埼玉県/現ビバホーム)をTOB(株式公開買い付け)によって完全子会社化した。また、10月にDCMホールディングス(東京都/現DCM)が島忠(埼玉県)を完全子会社化することを発表しTOBを開始すると、対抗して家具・インテリアのニトリホールディングス(北海道)がTOBによる島忠買収を表明。DCMとニトリの島忠争奪戦に発展したが、ニトリがこれに勝利し12月に島忠を傘下に収めた。
長らく成長が頭打ちだったホームセンター市場だが、20年は久々に伸長した。新型コロナによる巣ごもり需要を取り込み、業績を伸ばした企業が多かったからだ。しかし、それも一過性に終わり低成長に後戻りするとみられている。まだまだ業界再編の波は収まりそうにない。
「手の復権」のコンセプトが支持を得た東急ハンズ
東急ハンズは小売業界の中で異彩を放つ存在だった。理由はその生い立ちにある。始まりは東急不動産が1972年に現在の東急ハンズ渋谷店の土地を取得したことだ。
この土地取得と同時期に渋谷駅周辺では、67年に東急百貨店本店、68年に西武百貨店、69年に渋谷東急プラザ、73年にパルコと、東急と西武が競うように商業施設を続々と開業していた。
そんな中、東急不動産では取得した土地の利用計画が本格的に検討されるようになる。複合商業施設案もあったが、住宅関連商品を中心に扱う「これまでの世の中にはない物販店」という方向性が固まった。
構想を固めていくにあたっては、浜野安宏氏(浜野商品研究所代表)にアドバイザーとして業務を委託する。その結果生まれたのが「手の復権」というコンセプトだった。そこには、大量生産、大量消費へのアンチテーゼがあった。ちなみに、東急ハンズのロゴはこの「手の復権」を表現したものだ。
70年代は、2度のオイルショックで発生したインフレを抑制するために行われた金融引き締めによって不況が続いた時代だ。既に、モノは行き渡り、消費は成熟していた。オイルショックを機に、それまでのモノの豊かさをひたすら求める消費は変わろうとしていた。東急ハンズは大量生産品を扱うのではなく、消費者の視点にこだわり、どこにもないモノをとことん集めていった。それが消費者の支持につながった。
70年前後に開業した商業施設の中でも、パルコが渋谷という街に与えた影響は大きかった。9階に開設されたパルコ劇場は文化発信の役割を果たし、地元商店街が、区役所通りと呼ばれていた通りをパルコの語源である公園にちなんで渋谷公園通りと名づけると、スペイン坂、オルガン坂、SING通りなどさまざまな名称の通りが生まれていった。東急系、西武系以外の商業施設や文化施設も開業し、若者を呼び寄せていった。東急ハンズ渋谷店も情報発信地の一つとなった。
失われた「東急ハンズらしさ」
東急ハンズは、76年に1号店の藤沢店(神奈川県)、77年に2号店の二子玉川店(東京都)を開業(いずれも現在は閉店)。その後78年に開業した渋谷店を牽引役に東、大きく飛躍していった。84年には池袋店、96年には新宿店と都心部の旗艦店を開業している。
素人目線による効率を度外視した品揃えと接客販売で人気を博していった東急ハンズは、90年代から全国の中核都市への出店を始めた。その一方で90年代から2000年代にかけてさまざまなライバルが台頭し拡大期を迎えた時代でもあった。
1970年前後に誕生していた郊外立地のホームセンターは、DIYに家庭用品や日用品を加えた品揃えと低価格販売を武器に80年代から90年代にかけて大きく成長を遂げる。87年には西武百貨店が渋谷店の別館としてロフトをオープン。生活雑貨を中心に揃えた店舗を各地に出店していった。
100円ショップのダイソーは90年代に拡大期に入る。西友のPB(プライベートブランド)として80年に誕生した「無印良品」は、89年に良品計画が設立され店舗網が広がっていった。家具・インテリア店のニトリは2000年代に全国展開に乗り出し出店を加速。86年に日本から撤退していた家具店のイケアは06年に再進出1号店を開業し出店を開始した。そして、00年にはネット通販のアマゾン・ドット・コムが日本で事業を開始している。
こうした新たな小売勢力が消費者の需要を取り込んでいった。東急ハンズの独自性は陰りを見せ始める。小売の素人であることを逆手に取り、消費者目線でつくり上げていった売場や挑戦的だった品揃えもマンネリ化が指摘されるようになり、東急ハンズらしさは失われていった。
東急ハンズ自身も客の変化に気づいていた。近年はとくに、若者客を呼び込むことができなくなり、東急ハンズをよく知る40~50代以上の客が中心になっていた。そこで、取り組み始めたのが「Hi! Tenshu」プロジェクトである。東急ハンズの持ち味はスタッフ自らが商品を発掘し、仕入れ、販売することだったが、店舗数が増え本社主導の商品政策が強まっていたため、その持ち味が生かされなくなっていた。プロジェクトは個人商店的な売場を復活させ、スタッフが店主として商店を演出することで若者層の支持を取り戻し、ブランド力の向上を図ろうというのが狙いだ。しかし、このプロジェクトでも若者層の支持を取り戻すには至っていない。
カインズ傘下での東急ハンズの行方
東急ハンズ再建役を担うカインズは、北関東を地盤とするスーパー、いせや(現ベイシア)のホームセンター部門としてスタートしており、売り上げ1兆円を超えるベイシアグループの中核企業の一つだ。1号店のオープンは東急ハンズ渋谷店と同じ1978年。日本のホームセンターでは後発だが、M&A(合併・買収)を手掛けることなく、業界トップに上り詰めた。全国に225店舗を展開し、売上高は4854億円に達する(2021年2月期)。
カインズは売り上げ規模もさることながら高い収益力で知られる。17年2月期の決算公告によると営業利益率は7%を超える。その源泉が収益性の高いPBの開発力だ。カインズはDIYの概念を日曜大工に限定するのではなく家事やクラフト、キャンプ、ガーデニングなどにまで拡張した商品開発を行っており、全売り上げの4割をPBが占める。
東急ハンズはカインズが強みとする商品開発をはじめ、デジタル、物流といった事業基盤を活用するとしている。カインズのPBには都市部の消費者にも支持される商品が数多くあり、東急ハンズ導入で増収効果も期待できる。一方、デジタル戦略においても、カインズは新たな開発拠点「カインズイノベーションハブ」を都内の表参道に開設するなど先進的な取り組みを見せる。東急ハンズとしてもデジタル戦略のオプションが広がる。
もっとも、こうしたカインズの経営資源活用で効果を生み出すのは簡単ではないだろう。東急ハンズの22年3月期通期業績は売上高が600億円を割り込み、営業損益は引き続き赤字の見込みだが、新型コロナの影響でさらに下振れする可能性もある。収益改善のため、21年10月には池袋店を閉鎖した。関東地区の旗艦店の一つだ。今後さらなる旗艦店の閉鎖が必要になるかもしれない。
カインズは、新型コロナが収束すれば、東急ハンズの業績は回復に向かうとみるが、低収益体質を脱するには抜本的な経営改革は避けて通れない。初の大型買収でカインズの経営手腕が注目される。