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コンテンツ開発へと乗り出す百貨店。地域の魅力をキュレーションする 大丸松坂屋百貨店 澤田太郎

澤田太郎 大丸松坂屋

世界で猛威を振るう新型コロナウイルス。百貨店もその影響を大きく受けたが、ようやく2022年から回復の気配が広がりつつあった。23年は完全復活への期待が膨らむ。コロナ禍の20年5月に社長に就任した澤田太郎氏は、事業と組織の変革を強調する。百貨店の未来はどうなるのか。聞き手=和田一樹、Photo=山内信也(雑誌『経済界』2023年3月号より)

澤田太郎・大丸松坂屋百貨店社長のプロフィール

澤田太郎 大丸松坂屋
澤田太郎 大丸松坂屋百貨店社長
さわだ・たろう 1960年、神戸市生まれ。83年に滋賀大学卒業後、大丸入社。大丸神戸店でバイヤーや企画などを経験し、2011年に大丸神戸店長に就任。12年に大丸心斎橋店長に就任し、同店本館の建て替えを指揮。18年にJ.フロント リテイリング取締役兼執行役常務経営戦略統括部長に就任、20年から大丸松坂屋百貨店社長。

人流のせいにはしないコロナ禍で見えてきた強み

ーー 2020年2月のコロナウイルス感染拡大後、政府から休業要請を受けるなど、百貨店は特に苦戦を強いられました。それが22年になってようやく回復の兆しが見え始めました。このまま人流さえ戻れば、23年は好調な1年となりそうですね。

澤田 人流が業績に大きな影響を及ぼすのは間違いありません。実際に、行動制限が緩和された22年10月11日以降、特に新幹線を中心に東京駅は非常に賑わいを取り戻しました。それに伴って、10月中旬以降の大丸東京店は急激に売り上げが伸びています。

 しかし、人の流れは私たちがコントロールできるものではありません。業績の好不調の原因を人流に求めすぎては、思考停止に陥ります。ですから、私は20年5月に社長に就任してから、人流の推移は冷静に見守りつつ、人流に左右されない部分で仮説検証を繰り返してきました。

 コロナ禍は非常に厳しい思いをしましたが、試行錯誤を重ねる中で好調な領域がはっきりとしてきました。例えば、ラグジュアリーブランドの商品は、日本市場においてやはり百貨店というのれんの力は強いですし、高級時計、宝飾品、アートなどもそうです。これらの強みになる領域では、アートの魅力を発信するメディア「ARToVILLA」(アートヴィラ)を始めたり、松坂屋名古屋店の時計売り場を全面改装したりするなど、積極的に投資を行いました。既にこうした分野では、コロナ以前の売り上げ水準を超えています。

ーー 22年10月に発表した22年3〜8月期の決算でも、外商販売が19年比で10%以上増えるなど高級品は好調のようですが、それ以外の部分で成長の芽など見えてきましたか。

澤田 実用的な商材でありながら素材へのこだわりや安全安心が担保されている商品(クラフト軸)や、実用性は低くても心の充足に寄与する商品(アート軸)など、大量消費を前提とした大量生産品とは一線を画する商品を、当社は狙っていきたいと考えています。ファッションでも、こうしたクラフト軸とアート軸が融合した市場が生まれています。百貨店アパレルは長らく苦しい思いをしてきましたが、こうした新たな軸を意識することで目指すべき姿のヒントをつかんだように思います。

 アパレルカテゴリーの興隆は百貨店全体の業績推移と呼応する部分があります。1986年に雇用機会均等法が施行され女性の社会進出が進むと、キャリアファッションや婦人服の売場面積をどんどん広げていきました。80年代から2000年代前半ぐらいまでは、アパレルが百貨店の収益を支えていたといっても過言ではありません。当時は、強いブランドがフロアに入っていれば自然と売り上げが確保できた時代です。ところが、アパレル市場が細分化する中で、そうしたモデルが通用しなくなり、百貨店全体も苦戦の時代を迎えました。

 新たな時代の潮流をとらえ、クラフト軸やアート軸の面で特徴を持つブランドをそろえることで、大丸松坂屋が取り扱うアパレルを特徴化できないかと考えています。同時に百貨店各社、各店舗が独自性を発揮できれば、百貨店全体、アパレル業界全体にとっても良い影響を及ぼすはずです。

全国15店舗を生かした地域コンテンツ発掘の可能性

澤田太郎 大丸松坂屋2
澤田太郎 大丸松坂屋2

ーー 大丸松坂屋百貨店は「新百貨店モデル」を以前から掲げています。百貨店の未来に向けて重要なポイントは何でしょうか。

澤田 冒頭で申し上げたような、既に得意とする領域については今後も百貨店業界の中で切磋琢磨しながら市場を成長させていくことは必須です。その上で、新百貨店モデルの成否を左右するのは、いかに魅力的なコンテンツを開発できるかだと考えています。これまでの当社の事業を単純化すれば、商品に代表される価値のあるコンテンツを、組織化されたお客さまに、店舗・外商・オンラインという3つのメディアを使って伝達してきたモデルと言えます。今後は、コンテンツ開発にまで乗り出すことが、成長には欠かせません。

 私たちがコンテンツ開発を強化していくときに、武器になるのは各店舗です。大丸松坂屋百貨店は北海道から九州まで15店舗を展開しています。それぞれのお店がそれぞれのエリアで、長い歴史を持って地域に根付いてやってきました。その中で培ってきたネットワークを生かして、例えば生産者さんと加工業者を組み合わせるような、キュレーター的な役割を果たすことが可能です。こうした、地域の魅力をバリューアップしていく機能をもっと各店舗に持たせることができれば、ローカルコンテンツの発掘・開発に関与することができます。

ーー いくら歴史やネットワークがあっても、百貨店がローカルコンテンツを開発するというのはハードルが高いように感じます。

澤田 既に好例が生まれています。博多大丸のメンバーが中心となって立ち上げた「九州探検隊」です。これは、九州119市の行政と協力して、それぞれの土地の魅力ある情報を収集・発掘するプロジェクトです。最初は情報発信がメインでしたが、今ではクラウドファンディングやふるさと納税のスキームも組み合わせるなど、地域の活性化に取り組んでいます。

 こうした事例を全国の店舗で生み出し、15店舗をネットワークすることができれば、地域社会にも大きな価値を提供できます。私たちはラグジュアリー商品に代表されるようにグローバルコンテンツの扱いには長けています。そこにローカルコンテンツを掛け合わせることができれば、新たな日本の魅力を生み出せる。ここに大きな可能性を感じます。

事業と組織の変革で10年先へギフトを渡す

ーー これまでにない事業領域を切り拓くためには、組織風土も大きく変わることになりそうですが、人や組織には無意識に変わりたくない力も大きく作用します。変化が大きいほどハレーションも大きくなりそうです。

澤田 いきなり従業員全員がクリエーティブになってほしいと言っているわけではありません。最初は1人、2人のスターターがいて、それが組織の10%、20%へと広がり、やがて様子見の人たちにも影響を及ぼしていく。こうなれば必ず風土は変えられるはずです。

 繰り返しますが、コンテンツを開発する人たちだけで会社が回っていくわけではありません。実務家も必要ですし、決められた事を愚直にやりきる人たちがいなければ会社は成立しません。いろんな役割があるので、そこはうまくミッションを組み合わせてやっていきます。

ーー 風土改革を促すにあたって、トップとしてはどのように働きかけていきますか

澤田 今の経営環境を考えますと、あんまり強いリーダーシップでグリグリ締めつけていくよりも、現場の創意工夫を引き出せるような形であるべきだと考えています。

ーー 商品を仕入れて販売したり、不動産としてテナントに場所を提供したりするモデルとは、また異なった姿になりそうですね。

澤田 これまでの大丸松坂屋百貨店は、いかに良い商品を仕入れ無駄なく販売できるかというオペレーションの部分を磨いてきました。言ってみれば「How」に見識や経験値を持つ企業です。これからは、「What」の部分でも強みを磨いていく必要があります。それがコンテンツ開発です。

 もちろん、これまでの取り組みを否定するものではありません。オペレーションに磨きをかけて筋肉質な財務構造を追求し、コストコントロールなどにより利益の最大化を図ることで、大丸札幌店の開業や大丸東京店の増床へ再投資するという成長戦略を実現してきたことも事実です。

 けれど、多種多彩なプレーヤーが小売業界に参入している現在の環境を考えますと、コストを下げて利益を確保するというマインドだけでは成長が見えません。投資による成長という意志をより強く持たなければ、私たちに未来はありません。そのためにもマーケットに向き合い、成長できるコンテンツを探す時期なんです。

 個人的な話をすれば、私は神戸出身で1983年に大丸へ入社しました。95年に阪神・淡路大震災があって、その2年後に大丸神戸店がグランドオープンしています。神戸店は、立地や広さも魅力ですが、外観やコリドールという回廊など建築意匠やデザイン面でも優れた店舗です。いまだに神戸店が当社の業績を支え、店舗そのものが輝き続けているのは、震災後にもかかわらず神戸店への大型投資を決断した当時の経営陣の英断です。その資産で私たちは食べさせてもらっていると思っています。神戸店は当社の象徴的な事例と言えます。

 そういうことを考えれば、現在の私たちも10年後の後輩たちにギフトを残せるような新しい資産を積み上げていかないといけないわけです。ただ、あんまり未来の話ばかりしていると他の役員から「社長、足元の状況も見てください」と言われてしまうんですけどね(笑)。でも、誰かが先のことを考えて投資をしていかないと、未来の後輩たちにギフトは残せないと思っています。