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関西財界最大のイベントを「井戸端会議」と批判した関経連会長

年に一度、関西財界にとって最大のイベントとも言えるのが関西財界セミナー。関西および日本の未来について話し合うのだが、今年は「井戸端会議」との批判が出た。しかもそれを言ったのが関西財界のトップとも言える関経連会長だったことから大きな話題を呼んでいる。文=ジャーナリスト/小田切 隆(雑誌『経済界』2023年5月号より)

関西財界の「分裂」か。あえての「叱責」か

 2月9、10日の2日間、関西の企業トップらが集まり国内外の経済情勢などについて話し合う「関西財界セミナー」が京都市左京区の国立京都国際会館で開かれた。共同で主催したのは、経済団体の関西経済連合会と関西経済同友会。新型コロナウイルスの感染拡大で昨年と一昨年はオンラインで行われたが、今回は3年ぶりに実際に顔を突き合わせるリアル開催で、関係者の期待も高かった。だが、関西同友会がテーマ設定した分科会に対しては、関経連の松本正義会長(住友電気工業会長)が「井戸端会議だ」と厳しく批判する場面も。「関西経済界の『分裂』か」ともささやかれたが、財界セミナーは久しく「形骸化」が叫ばれてきただけに、松本氏の苦言を「あえての叱責」と、前向きにとらえる向きも多い。

 「あんな井戸端会議ではだめだ。ニコニコしていて真剣さがない。えらい高い金(参加費)を払ってきているのに、課長や係長が話すようなことを財界セミナーでやってもらっては困る。今回は同友会がいっぺんやってみればということでやったが、見ると真剣さがなかった」

 松本氏が厳しい表情を隠さず不満を爆発させたのは、財界セミナーの最後に開かれた10日の記者会見でのことだった。松本氏が批判の矛先を向けたのは、関西同友会がテーマ設定した「第4分科会」「第5分科会」だ。

 「第4分科会」のテーマは「30年間、我々は何を間違ってきたのか」、「第5分科会」のテーマは「30年後、私の『カイシャ』はどうなっているのか」。

 チャレンジングで目新しいテーマ設定といえ、「どんなことが話し合われるのか」と、メディアの間でも事前の期待は高かった。形式としては、ほかの分科会のように「議長」でなく「モデレーター(司会役)」を置き、参加者をいくつかの机ごとにグループ分けして議論を行う「グループディスカッション方式」がとられた。

 松本氏は各分科会を次々と回って、それぞれの議論のやりとりを聞いて回ったが、このグループディスカッション方式や話し合っている内容が、甘いものに聞こえたようだ。

 記者会見で松本氏は「過去30年、何が間違っていたかというのは物すごいテーマだ。テーブルごとのような井戸端会議ではまとまらない」と批判。「生駒さん(関西同友会の生駒京子代表幹事=プロアシスト社長)が、あれが有意義というならそれでもいいが、高い金を払って参加しているのだから、そう言ってもらっては困る」と苦言を呈した。

 これに対し、松本氏と並んで記者会見にのぞんだ生駒氏は「みんなで話し合いたいテーマだったが、時間が足りなかった。進め方や議論のしかた、テーブル(ごとの議論)でレベルが下がったどうかは分かりかねるが、(間もなく予定されている生駒氏の退任後も)やっていただきたい」と、唇をかみしめるような表情で応じた。

 また、同じく記者会見に出ていた関西同友会で共同代表幹事をつとめる角元敬治・三井住友銀行副頭取も「井戸端会議とおっしゃったが、テーブル、モデレーターといった仕掛けはした。経済人は、ああいう議論の場を欲しているのだなと感じた」と助け船を出した。

 さらには、会見の進行役の男性が生駒氏に同調するような発言をすると、松本氏が「越権ではないか。あいつ、腹が立つな」と怒りをあらわにするなど、終始、ピリピリムードが消えなかった。

関経連と関西同友会。性格の違う2つの団体

 報道陣が集まる場で松本氏がここまで感情をあらわにするのは、きわめて異例のことだ。松本氏の今回の財界セミナーへの不満のポイントは、「和気あいあいで友好的すぎ、真剣さが足りない」というその一点につきる。久々の顔を突き合わせてのセミナーでもあるのだから、「もっと口角泡を飛ばしての議論があってもいいのではないか」と思ったのだろう。

 また、関西同友会が関経連とは組織としての性格が違う点も、松本氏が「ぬるさ」を感じる原因になった可能性がある。

 関経連は、企業単位で参加し、利害関係の調整に走り回る「行動する集団」だ。最近では、松本氏を中心に、2025年大阪・関西万博の資金集めに奔走してきた。

 これに対して、同友会は個人単位で参加する、あくまで「政策提言集団」。いわば「書生論」でも良しとされる雰囲気があり、関経連のトップである松本氏の目からすれば、同友会のありようは日頃から、甘いものに映っていたのだろう。

 松本氏の会見での発言は、関西経済界が決して「一枚岩」でなく、「不協和音」があることを内外に印象付けた。

 ただ一方で、近年の財界セミナーは「丁々発止」の議論がおこなわれず、「本当に集まって話し合う意味があるのか」という批判が集まっていたのも事実だ。松本氏の苦言は、こうした財界セミナーの在り方を痛烈に批判するものであり、「本来の狙い通り、より真剣な議論の場にするべきだ」という意識を関係者らに呼び覚ましたといえる。

 もっとも、大勢の前で「叱られる」形となった生駒氏は、少し気の毒だったが……。

 なお、今回の財界セミナーの開催内容は、次のようなものだった。

 期間は冒頭述べたように、2月9、10日の2日間。5つの分科会を置き、参加者が議論を行った。

 第1分科会のテーマは「企業経営を取り巻く国際情勢と今後求められる企業戦略」、第2分科会は「次世代の国土と関西のデザイン」、第3分科会は「アジアのオープンイノベーション拠点をめざして」。第1〜3分科会はいずれも関経連の担当だった。

 第4分科会のテーマは「30年間、我々は何を間違ってきたのか 」。

 この30年間、日本は低空飛行を続け、1人当たり国内総生産(GDP)は伸び悩んで賃金も上がらなかった。DXの取り組みは周回遅れで、抜本的な産業構造の変革も進まず、国家財政は悪化の一途をたどっている。なぜこのような状況にいたったのか、経済人は何を間違ってきたのかについて、議論を交わした。

 第5分科会のテーマは「30年後、私の『カイシャ』はどうなっているのか」。

 この30年間、日本経済は実質的なゼロ成長を続け、今も停滞から抜け出せていない。現在の延長線上にある未来はディストピア(暗黒世界)かもしれない。そうした状況認識を踏まえ、30年後の「カイシャ」はどうなっているのか、どんな事業や人材活用、経営を行っているのか、会社をどう変えていくべきかについて話し合った。

 第4、5分科会の担当は、関西同友会だった。

 2日間の日程で、出席した経営者らの数は約500人にのぼった。「米中対立を経済人はチャンスとしてとらえる考え方が必要」といった、今の経営環境の悪さを逆手にとるしたたかさを求める声から、「企業は結果を求めすぎ、失敗を恐れて萎縮している」「社長の任期が短すぎる」など自己批判的な声まで、さまざまな意見が出て議論が盛り上がった。

セレモニー化した財界セミナーへの警鐘

 61回目となる今回のセミナーで特徴的だったのは、冒頭で述べたように、松本氏からの苦言が出て、「ガチンコ」の緊迫感が出たことだ。松本氏の苦言は、近年、「セレモニー化している」「茶飲み話となっている」「形骸化している」と出席者からも批判する声が出ていたセミナーのありようへの危機感の発露といえる。

 せっかく対面開催が復活したのに、このままでは、最近叫ばれるようになった「地盤沈下した関西経済の復活」への財界セミナーの貢献など、とうてい不可能だという怒りもあったのだろう。

 だが、そうした「ガチンコぶり」は、本来の財界セミナーの姿といえる。過去、有名なのは、1980年の財界セミナーでの「徴兵制」をめぐる議論だ。

 当時の関経連会長の日向方齊氏(住友金属工業=現日本製鉄会長)が「徴兵制を研究することが必要だ」「若者に祖国を守る気概を持たせなければならない」と発言。これに対し、ダイエー創業者の中内㓛氏が「戦争になっても軍需産業として儲かるから、あなたの会社はいいだろう」と猛反発して、大論争となった。

 当時は冷戦まっただ中で、旧ソ連がアフガニスタンに侵攻したタイミングだ。日向氏の狙いは、そうした世界情勢の緊迫化から目をそむけず、当事者意識をもって臨むべきだという考えがあったとみられる。しかし、当時はまだ国民の中にも、実際に徴兵されるなどして第二次世界大戦を体験した人が多く、軍事化や憲法改正に触れることは、ある意味、タブー視されていた。

 そうした時代に「徴兵制」を提案することはあまりに刺激的で、当然、世論は大騒ぎになった。だが、財界セミナーが本音で真剣に意見をぶつけ合う場であることを世の中に示したことは間違いない。このように火花が散る議論があってこそ、財界セミナーは、関西経済の活力を生み出す原動力になっていくだろう。

 「井戸端会議ではいけない」という今回の財界セミナーでの松本氏の苦言は、そうした財界セミナーの在り方を思い出させるための「ショック療法」になったともいえる。

 25年の万博の開催が刻々と迫るタイミングで、万博も起爆剤にしながら、関西経済の復活・発展をはかるためには、どんな手を打っていけばいいのか。その真剣な議論を行う場として、今回のできごとも教訓に、財界セミナーが来年以降、どんな形で開催されていくのか。