イノベーションとは、技術革新だけを意味する言葉ではない。企業風土、企業文化を変えるのも、イノベーションの一種だ。しかし老舗企業の場合、それまでの歴史があるだけに、文化を変えるのは難しい。そこにチャレンジしたのは八芳園の井上義則社長。その後ろ盾になったのが、同社の企業理念だった。文=関 慎夫 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2024年12月号巻頭特集「老舗とイノベーション」より)
井上義則 八芳園社長のプロフィール
挙式数はV字回復も現場はクレームの嵐
―― 八芳園の最大の売りは何と言っても400年続く日本庭園です。「一木一草も勝手を許さず」という言葉があるほどです。一方で施設は来年リニューアルするため一時休館します。その守るべきもの、そして変えていくべきものの線引きはどこで行うのですか。
井上 この地(東京・高輪)に八芳園として営業を開始して以来、今年でちょうど80周年を迎えました。その歴史の中で、私は初めての創業家以外の社長です。
一貫してブライダル業界で働いていた私が八芳園に中途入社したのは21年前。当時の八芳園は業績が低迷していて、年間の挙式披露宴数はピークの3分の1の1千組程度まで落ち込んでいました。その立て直しのためにスカウトされたのです。そこで私は遮二無二働いた。新参者が突っ走ったわけですから、社内には反発もありました。それでも挙式数を上げることに全力を尽くした結果、4年後には2千組にまでV字回復、ブライダル業界ではちょっとした話題になりました。
ところが、挙式数は増えたものの、現場がそれについていかない。披露宴で料理を出すのが遅れる。あるいは料理の出し間違いが起きるなど、いろんな問題が勃発し、一生に一度の晴れ舞台を台無しにされたと、涙を流して怒るお客さまがたくさん出てくるような状況でした。私は後日、クレームをつけたお客さまのところへのお詫び行脚を続けましたが、中にはまったく許していただけず、塩を撒かれたこともあります。
そんな中、私は業界のセミナーに呼ばれます。八芳園のV字回復について聞きたいというのです。そこで自分のやってきたことを話したのですが、ある参加者の方から、「八芳園の歴史を勉強したほうがいい」と言われたのです。業績は回復した。ところが現場では問題が起き続けている。そんな状況の私に、この言葉は一筋の光でした。そこで歴史を勉強したところ、変えてはいけないもの、変えなくてはいけないものが見えてきたのです。
変えてはいけないもの。それは400年続く庭園です。それ以外の商品やサービス、あるいは企業の文化も時代の変化に合わせて変えていかなくてはならない。問題はそのバランスをどう取るか、そして何のためにこの仕事をやるのか。それが企業理念の中にありました。
―― どんな理念だったのですか。
井上 八芳園の企業理念は「日本のお客様には、心のふるさとを。海外のお客様には、日本の文化を。」というものです。八芳園は80年前に料亭としてスタートしましたが、創業者たちはその時から、単に飲食店として運営するのではなく、食を通じて美しい日本を伝えることを目指してきました。企業理念はその思いを言葉にしたものです。八芳園の歴史を勉強した私には、経営理念が光り輝いて見えた。同時に、単に業績を上げるだけではだめだ。これまでブライダルマーケットの中で勝ち筋を見つけて勝ちパターンをつくり上げることに力を注いできたけれど、そうではなく、どうやったら日本のお客さまの心のふるさとになれるのか、海外のお客さまに日本文化をどうやったら提供できるのだろう、それを追求していこうと、考え方が180度変わったのです。
それまでは社員に対しても数字を上げるよう強く求めていました。そのため社員は、お客さまではなく数字を見るようになっていた。でもそこからはお客さまと一緒になって一生に一度の思い出をつくろう、そのために何ができるかを考えるようになっていきました。
―― 井上さんは歴史を学ぶことで天啓を得て、考えを改めることができたかもしれません。でも社員は大変だったでしょうね。昨日まで数字、数字と言っていた人が、突然経営理念だ、心のふるさとだ、などと言い出したのですから。
井上 そうだと思いますよ。でもその一方で、社員は私が全国のお客さまのところへお詫びに行っている姿を見ています。昼間、お詫びして、夜遅くに会社に戻って仕事をする。社員の中にはそれを待ってくれる人もいる。彼らは私が苦しんでいることを知っていました。だからこそ、これからは数字ではなくお客さまを見よう、要は本物を目指そうという私の言葉を受け入れてくれたのだと思います。そこから会社は変わっていきました。
セクショナリズムを排しチームで最高のウェディング
―― 具体的にはどのようなことを進めていったのですか。
井上 八芳園で働く人たちが経営理念を自分のものとするためにも、彼らが納得できるパーパスやビジョン、テーマを設定しようと考えました。そこで外部の人たちに入ってもらい、社員にインタビューしてもらった中から出てきた言葉が「チーム・フォー・ウェディング」です。スタッフが一丸となって2人の結婚式を最高のものにしようという思いです。
この言葉が浸透し始めると同時に、社員の間でこれはチーム・フォー・ウェディングっぽくないね、これはチーム・フォー・ウェディングっぽいね、という言葉が使われるようになりました。それまでは、プランナーはプランナー、調理場は調理場で自分たちの立場でサービスを提供していたのが、共通言語ができたことによって、セクショナリズムを排してチームとしてお客さまを喜ばせようという意識に変わっていき、お客さまの満足度も上がっていきました。
―― それによって他の結婚式場では提供できないサービスも生まれたのですか。
井上 「はじまりのストーリー」という本になりましたが、お客さまとわれわれが一緒になって、唯一のドラマをつくり上げています。
予約されたお客さまがキャンセルをしてきた場合、他の式場では「キャンセル料はいくらです」と答えるケースが多いそうです。でもわれわれは、「差し支えなければ事情をお聞かせください」とお聞きします。その中に、「父が余命3カ月のため挙式できない」というケースがありました。そこで当社のウェディングプランナーは「お父さまにウェディングドレスを見せませんか」と提案して、前撮りの写真を見せるだけでなく、ドレスで病室に行って父親と写真を撮っています。病院の許可を取るだけでなく、父親に余命が短いと悟られてもいけない。苦労もありましたが、新郎新婦やご家族の方には大変喜んでいただきました。
あるいはコロナの時期、地方の方は東京に出てくるのをいやがりました。そこでオンラインでご自宅で参加できるサービスを始めたところ、正装でモニターの前に座る方も多かった。そこでどうせなら食事も一緒に楽しんでいただこうと、前日夕方に料理を届け、当日、シェフから調理方法をお伝えして式に合わせて食べていただくサービスも始めました。こういうアイデアが、社員の中から出てくるようになりました。
八芳園でブライダルを考えているお客さまにもこうした話をさせていただきます。するとみなさん、人の話なのに涙を流して聞いてくれる。そして八芳園のファンになってくれて、挙式してくださいます。こうした方々が増えています。
来年のリニューアルで強化する「生涯式場」
―― とはいえ、日本の人口、特に結婚適齢期世代は大きく減っていきます。それに挙式しないカップルや少人数ウェディングも増えています。市場としては間違いなく縮小します。今後どうします?
井上 そこで今、目指しているのが「生涯式場」というものです。結婚式を挙げたらそれで終わりでなく、生涯にわたってお2人をサポートしていく。きっかけになったのは2009年の「サンクスパーティ」です。過去に八芳園で結婚式を挙げた人を招待して、改めて感謝を示す試みでした。招待したのは2千組。地下鉄の駅から延々と行列が続きました。これこそまさに心のふるさとです。
来年、八芳園はリニューアルのために半年間、休館します。その目的のひとつが、生涯式場をさらに強化することです。チャペルも新設しますが、2人の始まりの場所という位置づけです。そこから生涯にわたってサポートし続けますし、ライフイベントをお手伝いするコンシェルジュを配置、人生の節目で八芳園をご利用いただく。そしてスタッフは「お帰りなさい」とお迎えします。結婚式に比べ一度に使う金額は少ないですが、生涯にわたってご利用していただければ、2回、結婚式をしてくれるようなものです。
もちろんその一方で、結婚式以外の需要も増やしていきます。その一つがMICE(国際会議や展示会などのイベント)です。イベントスペースを大改造し、日本文化を凝縮した空間に生まれ変わらせます。また正面玄関から入ることなくイベント会場に行ける動線を新たにつくります。現在、結婚式の売り上げが7割ですが、他を伸ばして6割まで下げたいと考えています。
日本庭園は、いじりませんが、今まで以上に建物の中からよく見えるようになりますから、お客さまにも喜んでいただけると思います。でも、私は「八芳園の庭は素敵ですね」と言われると、なぜだか悔しい思いになる。それよりも「八芳園の料理はおいしい」と言われると、とてもうれしい。そして「八芳園のスタッフはとても素敵ですね」と言われたらものすごく誇り高い気分になる。その意味で、われわれにとっての最大のライバルは競合相手ではなく、実は庭なんです。