ゲストは、ロイヤルホールディングス相談役の冨永眞理さん。同社創業者の江頭匡一さんの長女です。創業者の娘という特別な立場で会社に入社し、経営者として会社を成長させてきた父親をどう見てきたのか。同じ立場の娘だからこそ知る、創業者の素顔を語り合いました。聞き手&似顔絵=佐藤有美、構成=大澤義幸、Photo=市川文雄(雑誌『経済界』2025年1月号より)
昭和時代を築いた親世代。創業者の娘として入社
佐藤 御社の創業者・江頭匡一さんの長女の眞理さんと初めてお会いした時、同じ立場の女性として、一度お話ししたいと思っていました。
冨永 私も有美さんにお目にかかれてうれしかったです。父を通して、経済界創業者の正忠さんのお話はよく伺っていましたから。
佐藤 私たちの親は昭和の経済成長を築いた世代ですよね。父は当時、「バカヤロウ!」と怒鳴るのが挨拶代わりでしたが、そういうパワー溢れるリーダーがいたからこそ日本は発展できたのだと思います。
冨永 あの頃は自分の儲けのためだけでなく、日本を良くするために事業を、という高い志を持っていましたね。父も飲食を産業にしたいとよく話していました。産業とは国民生活に寄与すること、飲食業であれば楽しく食事をしてもらいたいと。昔は皆の幸せのためにという社会の共通の目標がありました。
佐藤 何事にも一丸になりやすい時代でしたね。眞理さんは創業者の娘として入社されていかがでした。
冨永 私がロイヤル(当時)に入社したのは、男女雇用機会均等法も女性の総合職もなく、女性は寿退社までという頃でした。社長の娘だからと特別視されないよう、一般社員として入社し、身勝手な振る舞いに気を付けていました。ありがたいことに、ベテラン社員の皆さんが優しくて気遣ってくれたのでなじみやすかったですね。
佐藤 私は逆に入社直後は誰も口を利いてくれず、仕事の流れが分からなくて困りました。その中で当時の女性編集長だけが会社のことや、文章の書き方を教えてくれました。最初は原稿が赤字だらけで絶望しましたが、その反省を踏まえた次の原稿が褒められ、雑誌づくりの面白さを知ったんです。眞理さんはもともと飲食に興味があったのですか。
冨永 私は『若草物語』や『赤毛のアン』など女の子が主人公の物語に出てくるチキンパイやクリスマスプディングにあこがれていたのと、父の影響で飲食サービスに興味があったんです。多店舗展開中に入社し、課長、部長となり、部下を持つようになった時、物事の本質をストレートに言う社長の言葉を咀嚼して社員に伝えたり、逆に他の社員の意見を代弁する責任を負うようになりました。社員は生活もあり、言いたいことも素直に言えない立場ですからね。
佐藤 一族である以上、その役目は避けられませんよね。
父親は仕事では厳しくも溢れる愛情を持つ存在
佐藤 多忙なお父さまと一緒にプライベートで食事をされた記憶は。
冨永 家族で稀にロイヤルホストの店舗で食事をすると、店長や店員さんを注意するんです。「これは誰が作ったの」「ここが汚れている」とか。これを自社だけでなく他社のお店でもやるのが本当に嫌でした(笑)。
佐藤 嫌ですよね(笑)。私の父は気が短かったので、外食をしていると私が兄弟の世話をしていて何も食べていないうちに、「もう帰るぞ。早く食べろ」と急かされました。
冨永 どこかていますね。ご自宅ではお父さまとよく話されましたか。
佐藤 忙しい父が数週間ぶりに帰宅すると、うれしさと緊張感がありました。脱いだ革靴を磨くのと、晩酌用のウイスキーの水割りを作るのが私の役目で、父から作り方を習い、「有美さんの水割りは世界一おいしい」と褒められたのを覚えています。
冨永 微笑ましい光景ですね。有美さんを可愛がっていたのが伝わってきます。私の家は随分違っていて、私が物心付いた頃の父は仕事に全てを注ぎ込んでいて、疲れ果てて帰ると母・憲子に仕事の話をしていました。母は父の仕事のパートナーのようでした。ただ、父は母への愛情を隠さない人でした。新聞のコラムで、「私の宝物、江頭憲子」と書いたり。誕生日にレストランを貸し切りにして友人の前で母に高級車を贈ったり、海外出張にはよく連れて行っていました。「あなたの両親が一般的な夫婦だと思ったら不幸になるから。あれは特別だからね」と周りからよく言われました。
佐藤 素敵なご夫婦ですね。
冨永 父は職場でも頑張る女性を尊重し労っていましたね。私も髪を振り乱して仕事をしていた時期がありましたが、「冨永くん、レディでいてね」とよく声を掛けられました。父が亡くなって20年近く経ちますが、私たちが本質的に大切にするべきことを厳しく教えてくれた人です。
佐藤 それが現在のロイヤルの食とサービスにも生きていて、お客さまの満足にもなっています。
冨永 そう感じてもらえていればありがたいです。全てをお客さまに合わせるのではなく、どうしたらお客さまに喜んでもらえるか、お客さまが求めていることを私たちなりに解釈して提示し、それを受け入れてもらっています。父は「『ありがとう』は数ある飲食店の中から私どもを選び好きだと言って来てくれることへの感謝だ」と。これも創業者の想いとして、今も変わらない私たちが大切にしている価値観です。