銀座の地で65年間東映作品を上映し続けてきた「丸の内TOEI」が、今年7月閉館した。東映にとって最後の直営映画館だ。映画の製作、配給、興行だけでない生き残り方を強いられる映画会社たち。業界を取り巻く時代の流れを、吉村文雄社長はどう受け止めているのか。聞き手=小林千華 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2025年12月号より)
吉村文雄 東映のプロフィール

よしむら・ふみお 1965年、鹿児島県生まれ。立命館大学卒業後、88年に東映入社。2016年にコンテンツ事業部長、18年に執行役員、20年に取締役に就任し、ビデオ営業部門を担当。21年4月からコンテンツ事業部門担当兼コンテンツ企画営業部長となり、21年6月に常務取締役、22年7月に映像本部副本部長、23年4月に社長に就任。
満員御礼で迎えた直営館閉館 会社への愛を感じた1日
―― 7月、約65年間親しんだ銀座・東映会館からこの京橋エドグランへ本社を移転しました。同時に、最後の直営映画館である「丸の内TOEI」を閉館。今の率直な心境をお聞かせください。
吉村 新しい本社ビルにようやくなじんできました。私は入社以来、当時の関西支社や東映会館のような昭和のオフィスばかりで働いてきたので、今風のこのビルになかなか慣れることができませんでしたが、だんだんと落ち着いてきました。しかし、先日若手社員たちと話してみると、彼らはすっかりなじんでいて、もう前のようなオフィスには戻れないと言われましたね。
私の代で直営映画館をなくしてしまったことについては、いろいろな思いがあります。私は昭和最後の入社で、当時は直営館と、子会社の運営する準直営館が合わせて160館ほどありました。それがこの30数年でとうとうなくなった。時代の流れによるものでもありますが、かつて東映が満を持して銀座に建てた自分たちの城を閉じたということに、ひとつの歴史の終わりを感じます。
7月27日の閉館日、2つあるスクリーンのひとつ「丸の内TOEI:①」では、最後に1980年公開の『動乱』を上映。サプライズで吉永小百合さんにも登壇していただきました。私も隣に立って最後の挨拶をさせていただきましたが、やはり1階席、2階席ともに満員。その光景を見た時には、自分でもそんなつもりはなかったのですが、こみ上げるものがありました。東映会館前の歩道を埋め尽くすほどの方々が集まってくださり、応援の言葉もたくさん頂戴しました。東映はこれほど愛されているのだということを実感できた良い機会となりました。
―― 『動乱』の裏で、「丸の内TOEI:②」で最後に上映されたのは、2022年公開の『ONE PIECE FILM RED』だったそうですね。
吉村 国内興収200億円以上と、東映の歴代興収1位を記録した作品なので、『動乱』と並べて最後の上映作品とするのにふさわしいと判断しました。こちらも満席状態でした。
当日、私は客席で『動乱』を見ていたのですが、「丸の内TOEIあるある」とでも言うべきか、劇場が古いので音漏れがすごくて。特に『ONE PIECE FILM RED』は全編音楽が鳴りっぱなしの作品なので、『動乱』の静かなシーンの時にAdoさんの歌声が聴こえてきたりもして(笑)。やはり建物の設備は限界だったんだなと思う半面、こうした体験も含めて丸の内TOEIの魅力でもあったのだと感じました。
2033年海外売上目標50% 実写作品へももっと支援を
―― 先ほど「時代の流れ」とおっしゃいましたが、今のエンタメ界を取り巻く環境の変化をどう思われますか。
吉村 ずいぶん置かれる立場が変わってきたと感じています。昨年、岸田内閣がアニメやゲームといったクールジャパン分野を日本の基幹産業と位置付けました。実際今年に入ってから、エンタメ産業主要企業の時価総額が、自動車産業主要企業を抜いたというニュースも出ています。外貨獲得の面では半導体産業、鉄鋼産業とほぼ遜色のないレベルまで来ている。日本でエンタメ業界がこれだけ日の目を浴び、国からバックアップされる機会は今までありませんでした。
韓国では00年代から国策としてコンテンツ産業に投資し、K-POPや韓流ドラマの立ち位置を押し上げてきた実績がありますが、日本も今ようやく本腰を入れ始めましたね。
―― 現在そうした政府の支援は、アニメやゲームなどの領域に特化しています。
吉村 実写作品に対する支援・助成については、業界としても今意見を取りまとめ、政府に対して働きかけている最中です。外貨を稼ぐという意味では作品を海外に売るだけでなく、海外からのロケ誘致もひとつの方法ですが、諸外国と比べてまだ制度が整っていません。
今は日本の時代劇が海外から注目を集めていますが、われわれには時代劇の撮影に強みを持つ京都撮影所がありますから、ロケ誘致には力を入れていきたい考えです。
実は昨年、当社の社員がロサンゼルスのジャパン・ハウスに招かれてパネルセッションを行ったのですが、現地の方々に「TOEI」の社名は知られていたものの、フィルムメーカーではなく、ただ映画を売っている会社だと思われていました。それではまずいということで、「作る会社」としての東映を知ってもらう場を設ける意味でも、京都撮影所をより有効活用しようとの声が上がったんです。
―― 具体的にどのような売り込みを行っているのでしょう。
吉村 4月には私自身がアメリカへ行き、ハリウッドやロサンゼルスのスタジオ、製作・配給会社などを回りました。京都撮影所のプロモーションムービーも作ったのですが、日本人の目線で作らない方がいいと考え、制作は全て海外のスタッフにお願いしました。
海外行脚は、ちょうどドラマ『SHOGUN 将軍』が脚光を浴びた直後でもあり、皆さんの日本映画や時代劇に対する関心は強く感じましたが、「日本でのロケに対するインセンティブが弱い」「現地スタッフの対応が不安」との声を多く受け取りました。
海外では、国内で撮影された外国映画に対して製作費の一部を補助・還元するなどのインセンティブ制度がある国も数多くありますが、日本ではまだJLOX+(クリエイター・事業者支援事業費補助金)のような補助金制度はあるものの、支援金額の規模も小さいです。こうした点の強化は引き続き政府に訴えかけていきますが、一方でわれわれが撮影所をはじめ現場での受け入れ態勢をいかに整えられるかも課題です。既に外国人スタッフの採用実績もあるのですが、人材採用・育成は今後も強化していかなければなりません。
―― 中長期ビジョンでは、グループ売上の海外比率を、23年の30%から10年間で50%まで上げる目標を掲げています。現実的な数字ですか。
吉村 東映アニメーションのグローバル展開が好調なので、グループとしては達成可能かもしれませんが、実写映画を底上げしないと目指す形での達成にはならないと考えています。実写映画は、出てくる企画はずいぶんよくなってはきたものの、作品を届けるプロモーションの手法にはまだ課題があります。その他にも、伸びしろを感じている分野はいくつか見えているものの、どうもエアポケットに入っているというか、もがいているのが現状です。
―― 今やどのエンタメ企業も海外展開には力を入れています。その中で東映の強みはなんでしょうか。
吉村 われわれには映画、テレビドラマを含めた映像作品のライブラリーが大量にあります。そうした映像作品を映画配給、テレビ放映、配信、イベント化、ゲーム化、舞台化、商品化するなどの「マルチユース戦略」を比較的古くからとっています。つまり、いわゆるIPビジネスを早い段階からやってきた会社です。これは今の時代、大きな強みです。
―― もう「映画会社」という言葉ではくくれませんね。
吉村 中長期ビジョンでは、これからの東映は映画会社ではなくIPの会社、「ものがたり」の会社だと表現しています。IPビジネスと言っても、やはり元となる「ものがたり」がなくては成立しません。IPに内包される「ものがたり」をお客さんは愛するからです。さらに、これまでのマルチユース展開は「映画」をはじめとした映像ありきという固定観念がありましたが、商品発、ゲーム発となるIPの開発も含めて行っていきます。しかし、どのようなメディアが出発点となっても「ものがたり」を作り続けることが東映のアイデンティティーだと思います。そしてその「ものがたり」を、日本だけでなく世界へ届けることが、これからの東映の使命です。世界の10人に1人が東映の顧客となることを目標にしたいと考えています。
よく工業、商業など生産的、経済的な産業が「実業」と呼ばれるのに対し、エンターテインメント産業が直接的には世の中の役に立たない「虚業」と呼ばれることがありますが、私は違うと思っています。今年は戦後80年の節目にあたり、テレビなどで特集番組が多く組まれていますが、それらを見ていてもやはり、非常時に真っ先になくなるのはエンタメなんですね。最近だとコロナ禍もそうで、われわれも映像製作を続けてはいましたが、現場には厳しい目が向けられ、クレームが入ることも多くありました。
しかし終戦の前年、既に敗戦色が濃厚になっていた1944年でも、さまざまな統制をかいくぐって都内の劇場で芝居が行われていたり、映画が公開されていたりと、エンタメの火は完全には消えていなかったそうです。やはりどういう時代にあっても、人はエンターテインメントを欲します。その意味で、われわれの携わるエンターテインメント産業も「虚業」ではなく「実業」であると思います。そうした意識を持って、今後も使命を果たしていきます。

