日本一のカレー専門店チェーン「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者であり、現在はNPO法人代表としてクラシック音楽の普及に力を入れる宗次德二氏。壮絶な生い立ちから、クラシック音楽との出会い、事業家として独立を果たすまでの歩みなどについて、神田昌典氏が聞く。本誌/吉田 浩 写真=上山太陽
クラッシック音楽と出会い衝撃を受ける
神田 宗次さんといえば、一代でCoCo壱番屋を成長に導き、今では、NPO法人イエロー・エンジェル代表として、クラシック音楽専門ホールである宗次ホールの運営に携っていらっしゃいます。以前から「夢を持つな、目標を持て」と発言されていますが、この宗次ホールも目標の一つだったのでしょうか。
宗次 そんな意識をしたことはないんです。会社を引退した後、それまでお世話になった数多くの方々に少しでも感謝の気持ちをお返ししたいと思ってNPO法人を立ち上げました。その一環として、昔から好きだったクラシック音楽の普及にも努めたいと思ったわけです。最初は、岐阜県の自宅の一角にピアノを置いて、小規模ですがサロンコンサートを開いていました。3年間で25回ほど開催し、そろそろ交通の便が良い名古屋市内でも開催したいと考え始めた時に、たまたま良い土地が買えそうだという。それで、どうせなら本格的な音楽ホールを造ろうという話になったんです。
神田 クラシックを普及させたいという気持ちはどんなところから生まれてきたのでしょうか。
宗次 初めてクラシック音楽に出会ったのは、15歳の頃でした。私はもともと孤児で、3歳まで尼崎の施設にいました。そこで養父母に引き取られたのですが、養父がギャンブル狂で夜逃げをしたこともあり、住居を点々としていたんです。まともな生活費もなく、生活保護を受けたり、それが打ちきられたりといった状況でした。養母はそんな生活に嫌気が差して出て行ってしまいましたが、養父が病気で入院したため、逃げていた養母との生活が始まり、やっと貧しいながらも生活が安定しました。
高校に入学して、何とか人間らしい暮らしになっていったころに、クラスメートから中古のテープレコーダーを買いました。養母が知人から譲り受けてきたテレビがあったので、「そうだ、音楽を録音しよう」と思い立ちました。ところが、当時、ちゃんとした音楽番組は、NHK交響楽団の「N響アワー」くらいしかなかった。そこでクラシックを聴いたんです。特にメンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトのメロディーが胸に突き刺さったのを覚えています。
神田 想像を絶する極貧生活から脱したところで、クラシック音楽と出会ったのですね。しかし、それほど苦しい生活だったら、人によっては道を踏み外してもおかしくないと思います。その頃から、いつかは音楽ホールを造りたいというイメージはあったのでしょうか。
宗次 全くなかったです。その後、仕事をするようになっても、私は基本的に行き当たりばったり、成り行き任せでやってきました。行き当たりばったりというと言葉は悪いですが、その時その時を一生懸命生きるんです。夢なんて恥ずかしくて人前で言えません。着実に達成可能な目標を持つだけです。
喫茶店を開店して10分で感じた楽しさ
神田 創業者の多くは店頭公開するとか、全国に何店舗展開するというような大きな夢を持っていて不思議はないと思うのですが、それさえもなかったということでしょうか。
宗次 私が喫茶店「バッカス」をオープンした時の目標は、せいぜい2号店を出そう、でした。正確には、開店時にはそれさえも考えていなかった。
そもそも、私は不動産業をしていたんです。ところが、妻が社交的な人で喫茶店をやってみたいという。それで、たまたまいい物件があったので、バッカスを開店しました。すると開店10分で「なんて楽しい商売だろう」と。不動産ではチラシを打っても電話1本かかってこなくてふて腐れて帰るような毎日でしたが、喫茶店ではお客さんが来てくれる。それだけで楽しい。そこで人生が一変したんです。夢中になって働いていて、ある時業界誌を読んでいると、コーヒー専門店がブームだという記事を見つけました。そこで、二号店でコーヒー専門店を出したいという目標ができたんです。
神田 遠い将来の目標ではなく、目の前の目標なんですね。
宗次 そうです。売り上げにしても、今月の少し積み増しくらいで設定してその達成のために頑張って、それを毎月繰り返していけば、右肩上がりになりますよね。
計り売りの珈琲豆はどの銘柄がどれだけ売れたのか、時間帯別の来店数や売り上げ、お客さまの男女比、どの時間帯にどんなお客さまが来たか、何を注文されたか、そういうことはすべて記録していました。
カレーと一緒に牛丼を出す構想もあった
神田 目の前の目標を達成し続ける秘訣はあるのでしょうか。
宗次 それは一生懸命やるしかないですよ。脇目も振らず、お客さま本位でやっていく。私は現場主義、お客さま第一主義を徹底してきたつもりです。その結果、目標を達成してきたんです。
神田 「目標を設定して、それを一つひとつクリアしていく」という考え方はいつ頃から持っていたのでしょうか。
宗次 あまり意識はしていませんが、経営者になって自覚したのは「私には経営者としての能力がない」ということでした。驚異の三流経営者なんです。だからこそ、目の前の目標に一生懸命取り組んでいくことしかできない。ひた向きにやっていくしかない。私レベルの経営者がちょっとうまくいったからといって、よそ見をしてはダメです。
神田 喫茶店経営からカレーチェーンのカレーハウスCoCo壱番屋につながるのはどのような経緯でしょうか。
宗次 喫茶店の売り上げを伸ばそうと出前に力を入れるようになり、そこで出していたカレーの評判がとても良かったんです。そこで3号店はカレー専門店にしようと考えたのですが、カレーだけだと飽きられそうな気がして不安もありました。また、カレー専門でおいしいと評判の店もあるので、どうしたものかと。
神田 開店するときに市場調査はしないと聞いているのですが、当時はいろんなカレー店や牛丼屋なども見に行かれたそうですね。
宗次 当時、吉野家さんが話題になっていたので、食べに行きました。するとご飯があって大鍋で調理したものをその上にかけている。カレーと似ている。だったら、カレーと牛丼を一緒にやったらいいんじゃないか、とも考えました。東京へ視察に行くと、やはりカレーと牛丼を一緒に提供している店はいくつかある。考えは間違ってないと思ったのですが、そこでお客さまの姿を見ると、ドンブリを持って牛丼をかきこんでいる。それを見た瞬間に、「自分がやりたい店はこうじゃない」と感じました。さらに、何店かカレー専門店で食べてみたのですが、うちのカレーが一番おいしいと感じました。帰りの新幹線では「カレーならここが一番や」から「カレーハウスCoCo壱番屋」と心が決まっていました。
経歴や条件ではなく徹底して人柄にこだわる
神田 多くの創業者の方のプロフィールを見ると、親や親族に経営者がいて、小さな頃から経営を意識したり、商売を肌で感じていたというケースが多いのですが、宗次さんはそうではないですね。
宗次 そういう意識は私も妻もなかった。でもお客さまや従業員、仕入先、地域の方々など関係者すべてに喜んでほしいという気持ちは強く持っていました。
神田 フランチャイズの経営者たちにもそういう資質が必要ですよね。
宗次 やはり人柄が一番大切です。よく、「ものすごくいい立地を抑えてあります」「開店資金は自己資金で十分にあります」「過去にお店を何店も成功させました」といった話はありますが、そういう条件は二の次です。それよりも人柄で納得できなければ、どんな好条件の話でも断ってきました。最初は誠実な人だったけれど儲かったら、よそ見してしまう人もいます。条件にとらわれず、人柄にこだわってきたからこそ、いい経営者にたくさん出会えてきたと思います。
神田 経営の技術や知識はビジネススクールで学べても、人柄を見抜くのは難しいと思います。今までに見間違えることはなかったのでしょうか。
宗次 たくさん見誤りました。人は基本的には分からないものと実感しています。
神田 社員からの独立制度「ブルームシステム」なども整備されていますが、社員として何年か一緒にやられていれば、その人のことがよく分かっているということもあるのでしょうね。
宗次 一般の加盟店を募るよりも、分かっているという面はあります。それでも、独立するまで頑張った、開店時の借金を返しおわった、そんなタイミングで多くの人はよそ見をしてしまいますね。仕方ないのかもしれませんが、そこでなぜ次の目標を追わないのかなと疑問には感じてしまいます。(後編に続く)
(かんだ・まさのり)経営コンサルタント、作家。1964年生まれ。上智大学外国語学部卒。ニューヨーク大学経済学修士、ペンシルバニア大学ウォートンスクール経営学修士。大学3年次に外交官試験合格、4年次より外務省経済部に勤務。戦略コンサルティング会社、米国家電メーカー日本代表を経て、98年、経営コンサルタントとして独立、作家デビュー。現在、ALMACREATIONS代表取締役、日本最大級の読書会「リード・フォー・アクション」の主宰など幅広く活動。
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