政治・経済

 衆議院選挙制度改革で超多忙な大島理森衆議院議長。自民党の副総裁まで務めた党務の大重鎮で、閣僚経験も少なくない。それだけに風貌も物言いも重厚だ。私にとっては懐かしい昭和の政治家の雰囲気である。瀬戸内海出身者が目立つ安倍政権時代にあって、東北の政治家は目立たなくなってしまった(菅官房長官は秋田生まれだが神奈川県選出)が、大島議長は青森県から三権の長の座を射止めた。今回は、政治家・大島理森の誕生までの話を聞いた。

政治家の家が嫌だった少年時代

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(おおしま・ただもり)1946年青森県八戸市生まれ。慶応義塾大学法学部卒業後、70年毎日新聞社入社。青森県議(2期)を経て86年自民党公認で旧青森1区(現青森3区)から衆議院初当選。現在11期目。内閣官房副長官、環境庁長官、文部大臣・科学技術庁長官、農水大臣を歴任。また自民党国対委員長、幹事長、副総裁など要職を務める。衆議院予算委員長を経て、2015年第76代衆議院議長に就任。

德川 八戸はもとは津軽藩ではなく南部藩だったということで、同じ青森県でも肌合いが違うといわれています。

大島 ご存じのとおり、われわれ南部藩は明治維新の時は奥羽列藩同盟で会津の皆さんと共に德川幕府側で最後まで戦ったほうでございます(笑)。一方、日本海のほうは津軽藩でございますね。津軽藩は途中で列藩同盟をちょっと外れたという、そういうこともあるんでしょうね。言葉も津軽弁と南部弁というのはかなり違いまして。お祭も違います。それから、気候もかなり違います。北国だから全部同じだろうと思われるかもしれませんが、私どもにはヤマセという偏東風が吹きまして、夏にオホーツクに高気圧が入り込んで、冷たい風が吹くんです。一方津軽のほうは奥羽山脈でそこが切られますので、冷たい風が行かない。そうすると江戸時代の米作中心の経済の中では、津軽のほうが豊かであったかもしれません。そういう地域ですから、農業以外で食べていかなくてはいかん、と。八戸は海がある漁業の町ですが、やはり工業で生きていこうということで、青森県の工業出荷高の4割くらいは八戸です。

德川 お父さまも政治家でいらっしゃいましたか。

大島 県議会が長く、県議会の議長をさせてもらっていました。叔父が実は衆議院議員をやっておりました。そういう政治的環境の中で生まれ育ったことになります。

德川 お父さま、また議長が育った頃の大島家はどういった具合だったでしょうか。

大島 父は寡黙でしてね。わが家はその地域では大きい農家でございまして、父は農業団体の長もやりましたが、家ではあまり喋らない。政治をやっている家ですから、絶えず誰かが来ていました。今のように事務所を構えてという時代ではございませんので、食事をしたり、あるいはお酒を飲んだり。わが家であってわが家でないというところがございました。私は、そういう環境が嫌でしてね。サラリーマンのお家が、家族だけでおられるというのが非常に羨ましかったですね。県庁は青森ですし、昔の県会議員さんは青森に行くと、今のように新幹線があるわけではないので、なかなか帰ってこないわけです。家に父がいる時には誰かが来てわいわいやっている。食事をする所も父は別なような感じですから、父と話したのは大学になってからじゃないですかね。

時代の大きな変化を感じた新聞社時代

德川 慶応大学に行こうと思われたのは。

大島 高校は地元でしたが、早稲田か慶応に行きたいと漠然と思っておりました。残念ながら早稲田は入れなかったんですが、慶応に入って非常に良い友だちもできましたし、雰囲気も良くて、神様が「お前は慶応のほうが良かったんだ」と、言って下さったように思いましたね。

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德川 お姉さまが東京で、すんなり順応できた。

大島 兄たちも東京の私大を出ておりまして、姉は嫁いで東京にいましたし、そういう意味ではすっとなじめました。

德川 慶応大学を卒業後、毎日新聞社に入られます。この進路はどう決まったのでしょうか。

大島 われわれの時代はちょうど全共闘とベトナム戦争の時代、団塊の世代の一番最初の時代です。激動の時代でしたが、学生時代には遊んでばかりいましたので、少し真面目に勉強したいと考えまして、それで新聞社に入ったというところもありました。私は広告局に入ったんですが、毎日新聞は当時、経済と外信が強いという評判で、先輩にスター的な記者が大勢いました。それから、中庸を行く新聞だと感じていましたね。

德川 毎日時代については。

大島 普通の新聞ではだんだん弱くなっていくのではないか、ということでコミュニティー新聞を作ろうという方針になりましてね。東京は大都会で、読者はそれにふさわしい記事を求めるわけですが、地域コミュニティーに合わせた30万部くらいの週刊新聞を地域区画を決めて作ろうということになったわけです。ちょうど量販店が郊外にどんどん出て来た時代で、それと協力してできないかと。編集、広告局、あるいは部外から人が集められた中に私も入って、全く新しい仕事を2年目からさせられました。例えば、二子玉川に高島屋がございますが、あのエリアで『リバー』という、新聞なのか雑誌なのか分からない媒体でしたが、それを作れと。ちょっとした取材をしたり、広告を集めたり、選挙運動の戸別訪問みたいなこともやったり、楽しかったですよ。われわれが入社した時には三島由起夫さんが割腹自殺をしたり、成田闘争があったり、時代の変わり目ということでしょうか。高度成長が爛熟しかかって、大阪万博があって、よど号事件もありました。

選挙に出たいと父にだけ打ち明けた

德川 政治家を志したのは、いつ頃でしたか。

大島 意識の中にはあまり政治の道というのはありませんでした。ただ大学に入って父の選挙を初めて手伝ったんです。そうしたら、落選しちゃった。その姿が非常に気持ちの中に残っていましたね。大学に行かせてもらって、遊びほうけて今日まできて、父が落選したな、と。悔しいという思いもありました。その一方で、三島事件から全共闘から世の中の激動は強く感20160524KOU_P03じていました。しかも東京都の美濃部亮吉知事、横浜の飛鳥田一雄市長、それから大阪、京都は共産党の首長が生まれて、「世の中、どうなっていくんだろう」と思いました。父の影響もあるとは思います。政治の世界に生まれ育って染み付いた感覚として、世の中の動きに直接コミットしていきたいという思いが徐々に出てまいりました。

 それで1975年が統一地方選だったんですが、前年の2月に休暇を取って父のところへ行きまして、父に「来年4月の選挙に出たい」と言いました。10年近く地元にいなかったわけですから、無謀ですよね。父は「4月になったら結論を出そう」と言いました。どこか私に期待していたところがあったのかもしれません。ところが4月のはじめにぽっくり亡くなっちゃったんです。選挙をやるとしても、私はサラリーマンだったから金があるわけでなく、物心両面で父の世話にならなくてはならなかったので、さてどうするかと。母には全く相談していない、父にだけ打ち明けていたんです。

 ところが父の葬儀になると、昔の支持者の皆さんが集まって、誰かを出したいという話になったわけです(笑)。灰の中に残り火があるという、これが日本の政治です。古い連中は私のことを「タダモリ」とか「タダちゃん」と呼んでいましたが、「あんた、やれよ」と言いだすわけです。

 結局9月30日に毎日新聞に辞職願いを出しまして、青森へ帰りました。ですから今まで私は「父の遺志を継いで政治をやります」と言ったことは一度もありません。ただ、相談した時に父は「お前が考えているほど選挙は甘くないんだよ」と言いました。私の志を打ち明けられた時、たぶん父はうれしかったんだと思いますが、結論を4月まで伸ばそうと言ったのは、それまでに息子が政治をやるための環境をつくれるかを考えたんだと思います。

 一方、母は大反対です。「何で帰って来た。世のため人のために尽くすのは毎日新聞だってできるではないか」と。でも、いざ私が「辞めてきたんだ、俺は」と言った時に、一番心配してくれたのは母であり兄だったかもしれません。(後編に続く)

文=德川家広 写真=幸田 森

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