文化・ライフ

二宮清純の「スポーツ羅針盤」

打撃の神様、川上哲治が教えられなかった王貞治

 一見、理不尽に映ることが、実は理に適っている――。スポーツの世界では、よくあることだ。

 去る12月4日に他界した荒川博が巨人のコーチ時代、王貞治に対して行った指導は、その典型と言っていいだろう。

 荒川が巨人の打撃コーチに就任したのは1962年。当時の監督・川上哲治から「王を榎本(喜八)みたいにしてくれ」と頼まれた。

 榎本といえば弾丸ライナーを売り物とする毎日オリオンズの好打者で、60年には打率3割4分4厘で自身初の首位打者に輝いていた。

 この榎本を手塩にかけて育てたのが荒川である。

 荒川、榎本、王とともに早実の出身である。榎本を育てた荒川なら伸び悩んでいる王も一本立ちさせてくれるだろうと、川上は考えたようだ。

 「打撃の神様と呼ばれた人(川上)でも、王を教えられなかった。それをオレに“教えろ”と言うんだから……」

 当時を思い出し、荒川は苦笑を浮かべて語ったものだ。

 荒川が王に授けたのが、今では伝説と化している“一本足打法”である。

 荒川は王をパンツ一丁にしてバットを振らせた。これを荒川流のパフォーマンスと受け止めるものもいたが、事はそう単純ではなかった。

 「要は姿勢なんだ。バットをピュッと振った時に余計な力が入っていたら、すぐに背中や腕の筋肉に表れるんだ」

 また荒川は王に真剣を使っての“たんざく斬り”も命じた。これもパフォーマンスじみていたが、実はそうではなかった。

 王は語っている。

 「新聞紙でつくったたんざくは、横っ面を叩いても斬れません。運動の方向に刀の刃が向いていなければダメなんです。刀を使うことでボールの中をバットが通り過ぎるように振り抜く感覚が掴めました」

 荒川はダウンスイング論者だ。「上から打ったら、(ボールは)下に落ちらぁ」と青田昇にバカにされたこともあったという。

 荒川の論理はこうだった。

 「それまでの選手は皆、インパクトの瞬間、掌が上を向いていた。それじゃバットの横か裏側に当たっちゃいますよ。上からボールを潰しにいかなくちゃいけないんだ。でも、いろいろと筋道立てて説明したって、実際に打たせてみなければまわりは信用しない。種明かしをするより、打たせるしか方法はないんだ」

 王との“二人三脚”で荒川は自らの論理の正しさを証明しようとした。

 再び王。

 「角度に関しては、よく“上から叩き斬れ”と言われましたが、実際にそれは無理。バッティングも同様で、上からボールを叩くのがダウンスイングだと考えている人もいたようですけど、ヘッドの重みでどうしても(バットは)下がってしまう。

 だから僕が常に意識していたのは、必要以上にバットのヘッドが下がらないこと。だから、上からボールを叩くくらいの感覚で打ちにいくのがちょうどいいわけです」

「スイングとは何か」を人生を賭して問い続ける

 荒川は野球人にしては珍しく多趣味の人だった。交友関係は歌舞伎から武道にまで及んだ。

 「一本足の基本は武道です。合気道の植芝盛平先生から“合気野球”を教わった。大切なのは臍下丹田を意識すること。座禅と一緒。目とボールの間にバットを入れる。その時に気が入っていなくてはならない。

 もっといえば不動心かな。一本足で大事なのは微動だにしないこと。オレは今でも一本足で立っていられる。力じゃなくて気。これに齢は関係ない。気は鍛錬すればするほどいいんです」

 荒川は東京・浅草の出身。近くに宮戸座などの芝居小屋があり、4代目澤村國太郎などの芝居を見るのが少年の頃の楽しみだったという。

 「海老蔵のじいさんの11代目團十郎もよく見たなァ。これは最高の男前で、今の海老蔵よりも、もっといい男だったよ。助六や切られ与三をやらせたら抜群だったな」

 歌舞伎からもヒントを得て、荒川はそのエキスを一本足打法に注入する。

 「僕が一番目を凝らしていたのは王の肩と腕だね。余分な力が入ると筋肉にそれが表れる。鏡の前でも素振りをさせたけど、実はこれも6代目菊五郎の稽古からヒントを得ているんだよ」

 人脈の広さと見識の深さ。荒川に限らず昔はこういうコーチが少なくなかった。

 プロ野球とはいっても、まだ「職業野球」の趣が残っていた時代にプロになった人たちからは、理論や知識の面で、部外者の後塵を拝するわけにはいかない、との矜持が感じられたものだ。

 ユニホームを脱いだ後はゴルファーの指導にもあたっていた。片山晋呉もそのひとりで「気の大切さを学んだ」と語っている。荒川は人生を賭して「スイングとは何か」を問い続けた。(文中敬称略)

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