文化・ライフ

二宮清純の「スポーツ羅針盤」

男子マラソンで日本国内初の2時間3分台

 男子マラソンの世界記録はデニス・キメット(ケニア)の持つ2時間2分57秒である。2014年9月に行われたベルリンマラソンで叩き出したものだ。

 これに約1分及ばなかったものの、先の東京マラソンで国内初の「2時間3分台」が出た。

 2時間3分58秒。まるでジョギングでもしているかのような軽快な足取りでゴールテープを切ったのは、元世界記録保持者でロンドン五輪銅メダリストのウィルソン・キプサング(ケニア)だった。

 初めて走った東京の感想を聞かれたキプサングは、満足気な表情で、こう答えた。

 「非常にいいコースだった。またぜひ戻ってきたい」

 今回のレースではペースメーカーが7人も投入された。記録を良くするため、一定距離までハイペースを持続しながらレースを引っ張るランナーをペースメーカーと呼ぶが、7人は極めて異例である。

 参考までに言えば、7人のペースメーカーには、それぞれ3段階のタイムが設定されていた。

 第1グループは1キロ2分54~55秒。世界記録更新を狙ってのものだ。第2グループのそれは2分58秒ペース。狙いは国内最高記録(2時間5分42秒)の更新である。

 そして第3グループは1キロ3分ペース。こちらの狙いは日本記録(2時間6分13秒)の更新。ランナーにすれば至れり尽くせりである。

 07年にスタートした東京マラソンは、13年大会からワールドマラソンメジャーズ(WMM)に認定された。

 優勝者には1100万円の賞金が支払われる。さらに世界記録を出せば3千万円、大会記録には300万円のボーナスが与えられる。

 WMMは〈マラソン競技の発展と競技者の意識向上を目指すと同時に、ランニング愛好家の間におけるエリートレースへの関心を高める〉(東京マラソン2017オフィシャルサイト)ことを目的に06年に創設された。いわばマラソン版グランドスラムである。

 東京は13年大会から加入した。これによりボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークと共にシリーズ王者を決める大会のひとつとなった。シリーズ王者に輝けば6千万円近い賞金を手にすることができる。

 今大会、キプサングに加え、09年福岡国際マラソンで日本国内最高記録をマークしたツェガエ・ケベデ(エチオピア)、東京マラソンの大会記録保持者ディクソン・チュンバ(ケニア)ら自己ベストが2時間5分を切るランナーが5人もエントリーしたのは、そうした理由に依る。

「オリンピックでメダル」がはばかられる日本の男子マラソン

 好記録を生み出すための仕掛けはペースメーカー以外にもあった。

 11回目を迎えた今大会、記録の出やすいコースに変更した。これまでの42.195キロは都庁前から東京ビッグサイトを目指すものだった。それを大幅に変えた。臨海部を走るコースがなくなり、両国や清澄白河のエリアが新たに加わった。注目の集まるゴールは東京駅になった。

 コース変更の理由を、早野忠昭レースディレクターは〈他国のレースディレクターから「東京マラソンはスタートは最高に華やかだけど、フィニシュが寂しいね」という意見が多かったんです〉(メトロミニッツ2017年2月号)と説明している。

 他のWMMはどうか。ベルリンはブランデンブルグ門、ロンドンはバッキンガム宮殿、ニューヨークはセントラルパークだ。

 WMMが国際都市のステータスと化し、有力な観光資源になっている現状を踏まえれば、東京のフィニッシュ地点を重要文化財の東京駅に改めたことは理解できる。

 舞台は整った。問題は沿道の声援に応えられる地元のスターの存在である。

 この大会は、8月にロンドンで開かれる世界選手権の選考会も兼ねていた。日本人トップは2度目のマラソンで2時間8分22秒という好タイムを出した24歳の井上大仁。世界選手権出場は確実な情勢だが、それでも順位は全体の8位。とても「オリンピックでメダルを」と公言できるような状況にはない。

 だからこそ、日本陸連の瀬古利彦長距離・マラソン強化戦略プロジェクトリーダーはレース後、「さすが世界のトップ選手。これが世界の走りだとまざまざと見せつけられた」と渋い表情を作ったのだ。

 男子に限って言えば、歴代記録のベスト10はアフリカ勢が独占している。そのうちの9つがWMMでの記録だ。

 より速く、より強く、より豊かに――。

 アフリカ勢の独壇場と化した42.195キロに、日本勢が「過去の栄光よ、もう一度」と割って入るのは容易ではない。瀬古の渋面が妙案なき現実を浮き彫りにしている。(文中敬称略)

 

(にのみや・せいじゅん)1960年愛媛県生まれ。スポーツ紙、流通紙記者を経て、スポーツジャーナリストとして独立。『勝者の思考法』『スポーツ名勝負物語』『天才たちのプロ野球』『プロ野球の職人たち』『プロ野球「衝撃の昭和史」』など著書多数。HP「スポーツコミュニケーションズ」が連日更新中。最新刊は『広島カープ最強のベストナイン』。

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