経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

日本屈指の伝統を誇る帝国ホテルに刻まれた精神 ―小林哲也(帝国ホテル会長)

日本の迎賓館として開業して以来、127年の伝統を誇る帝国ホテル。長きにわたり日本を代表するホテルとして愛され続け、数多くの歴史を刻んできた。そのベースにある精神と企業文化を体現してきた小林哲也会長に、神田昌典氏が迫る。構成=吉田 浩 Photo=森モーリー鷹博

小林哲也氏プロフィール

小林哲也

こばやし・てつや 1945年生まれ、新潟県出身。慶応義塾大学卒業後、69年帝国ホテル入社。営業企画室長、取締役総合企画室長、常務取締役帝国ホテル東京総支配人、代表取締役副社長帝国ホテル東京総支配人などを経て、2004年代表取締役社長に就任。13年より現職。

トイレ掃除から始まった小林哲也氏のキャリア

神田 帝国ホテルにはどのようなきっかけで入社されたのですか。

小林 高校時代に野球部の練習をサボって『親鸞』という本を読みだしたら止まらなくなったんです。それから読書に目覚めて、家にあった日本文学全集や世界文学全集などを読み漁りました。今は時代小説ばかり読んでいますが、読書を通じて感じたのは人間というのは面白いということ。それで就職する際に、人間とできるだけ多く関われる仕事がしたい、それならホテルがあるなと思ったんです。そして、ホテルといえば帝国ホテルだろうと。

後から知ったのですが、それまで帝国ホテルの採用は紹介が主でした。採用人数が少なかったのでそれで間に合っていたようですが、私が大学を卒業した1969年は、翌年の本館オープンに備え、建て替えの最中でした。270室から800室に拡大する予定があり、採用人数を増やす必要に迫られたこともあり、とても紹介採用だけでは間に合わないため、公募することになったようです。

神田 当時は学生の就職先として、ホテル業界はあまり対象にならなかったのでしょうか。

小林 64年の東京オリンピックに向けてホテルニューオータニやホテルオークラが建てられ、70年の万国博覧会に向けて帝国ホテルも拡大しているところでした。ちょうど第1次ホテルブームと呼ばれる状況になったばかりで、優秀な学生が多く応募する時代ではありませんでした。

神田 それでも、多くの人間と関わりたいからホテルに就職したというのは興味深い話です。

小林 人間というのは、古代からやってることが全然変わらなくて面白いじゃないですか。飲んで食べて出して寝て、その繰り返し。まさにウェイ・オブ・ライフですよね。その積み重ねが文化であり、ホテルはまさにそのウェイオブライフが商品になっています。

神田 今は人工知能の時代になり、すごい勢いで時代が変わっているからこそ、人間のウェイ・オブ・ライフを突き詰めることが非常に大事ではないかと思えます。帝国ホテルの人材教育のように、根底にその精神が流れていれば、どの時代にも通じるということでしょうか。

小林 そうとらえていただければ誠にありがたいですね。

神田 帝国ホテルは、当時の井上馨外務大臣の提唱で日本の迎賓館として誕生しましたが、入社された時はホテルの歴史についてどこまでご存じだったのでしょうか。

小林 あまり把握していませんでした。入社していきなり宿泊部客室課ハウス係に配属され、トイレ掃除やロビー掃除をやっていましたから。従業員のトイレも掃除する係でした。

神田 慶応卒と言えばどちらかと言えばエリートだったと思うのですが、そういう扱いではなかったのですか。

小林 エリートとは思いませんでしたが、当時は大卒の同期入社が13人くらいいて、同期の連中はベルボーイや客室係などをやっていましたね。

神田 トイレ掃除から始まって、社長、会長まですべてのキャリアを経験されたということですね。

小林 そういうことになります。ただ、それまでトイレ掃除をしたことのない人間が便器に手を突っ込んでやるわけですから、これは覚悟を決めてやるしかないと。でも、汚れているものがきれいになると喜びや達成感があって、こうなったら「トイレ掃除のプロになってやる」と思ってやりました。「清潔」はホテルの基本中の基本ですから。すると、ある時お客さまから「あなたがキレイにしてくれるから、気持ちよく使用できました、ありがとうございます」と声を掛けていただき、非常に感動しました。こういう仕事も、評価してくださるお客さまがいるのかと。

神田昌典

かんだ・まさのり 経営コンサルタント、作家。1964年生まれ。上智大学外国語学部卒。ニューヨーク大学経済学修士、ペンシルバニア大学ウォートンスクール経営学修士。大学3年次に外交官試験合格、4年次より外務省経済部に勤務。戦略コンサルティング会社、米国家電メーカー日本代表を経て、98年、経営コンサルタントとして独立、作家デビュー。現在、ALMACREATIONS代表取締役、日本最大級の読書会「リード・フォー・アクション」の主宰など幅広く活動。

帝国ホテルは誕生から既にブランドだった

神田 海外の国賓クラスをはじめ、帝国ホテルが多くの著名人に愛されています。その理由は何でしょうか。

小林 「帝国ホテルに来るとホッとする」と評価してくださる方が多くいらっしゃることは、非常にありがたいことです。私は「ハード」「ソフト」「ヒューマン」の3つの要素が高品質にバランスよく整ってこそ、良いホテルができると確信しています。中でも、ハードとソフトを動かすヒューマンの部分が非常に大事だとずっと言い続けているんです。

神田 帝国ホテルの歴史的なブランド価値を考えると、諸外国のラグジュアリーホテルなどに比べて宿泊料がメチャクチャ安いと思うのですが。

小林 皆さん、そうおっしゃいます(笑)。ただ、帝国ホテルの場合は、ちょっと事情が違うんです。売り上げは単価×稼働する部屋数ですが、私どもは931室もあって、外資系のラグジュアリーホテルよりはるかに多い。931室もあって、年間平均稼働率が80%前後で、単価が4万円弱というのは、外国のホテルから見ると信じられない。これを可能にしているのは、やっぱり人なんです。

神田 100室くらいならスタッフの教育も可能かもしれませんが、900室以上のお客さまに均質なサービスを提供するというのは非常に難しいことでしょうね。優秀なスタッフには引き抜きもあるでしょうし。

小林 お誘いがあっても、われわれのスタッフはほとんど行かないですね。帝国ホテルが好きな社員が圧倒的に多いということで、経営者としてこんなにありがたいことはありません。お客さまから「帝国ホテルのスタッフはみんな生き生きと働いていて素晴らしい」という評価をいただくと、本当にうれしく思います。

企業リーダー論の著作で知られるサイモン・シネックさんが新聞記事の中で、「従業員のやる気を長期的に持続させるためには、『うちの会社は、なぜこの事業を手掛けるのか』という大義や理念を示すことが大切だ」とおっしゃっていたのを読んで、「これはうちのことだ!」と思いました。

今から127年前に日本の迎賓館として明治政府が筆頭株主となり、時の財閥が出資者として名を連ね、第一国立銀行頭取の渋沢栄一が会長としてスタートしたのが帝国ホテルです。こんな明確な大義はありません。入社した時は知らなかったのですが、社史を読んだりする中で、帝国ホテルは誕生からブランドだったんだと気付きました。傲慢に聞こえたら申し訳ないのですが、他のブランドの多くは、創業から努力と工夫で何年もかけてブランドになるわけです。

でも、帝国ホテルは最初からいきなりブランドだった。この価値を、先達がずっと希釈させないように努力して守ってきたということです。

大震災で実証された帝国ホテルの現場力

小林哲也と神田昌典

神田 企業文化がしっかり根付いているということだと思いますが、東日本大震災の際も、従業員の方々の対応が称賛されましたね。

小林 はい、ありがとうございます。2011年3月11日は、開業120周年を記念して感謝の集いを行っていました。パーティが終わり、従業員たちを労ったあと、部屋に戻ってホッとしていた時に、大地震が発生しました。それで、窓から日比谷公園を見ると、帰宅困難者が続々と集まってきていました。

すぐに災害対策本部を設置しましたが、現場は号令をかけずとも自主的な判断でホテルの中に人々を受け入れ、結果的に1200人程の方が一夜を過ごされることになりました。その間、4~5回にわたってペットボトルの水や、災害備蓄用乾パンをお配りしました。

そして夜の12時ごろ、当時総支配人だった定保英弥現社長と田中総料理長が私のところに来て、「明日の朝も寒そうなのでみなさんに野菜スープを作って配ろうと思います」と提案してきたので、スープを作って、翌朝6時にはみなさまにご提供しました。

その時避難された方々からは後日、ものすごい数の感謝の手紙が届きました。若い人たちが車座になってブランケットを数人でシェアしながら、「将来結婚式を挙げるなら帝国ホテルにしよう」と、話していたというエピソードも聞きました。そんな話がたくさんあって、涙なしには読めませんでした。震災から1週間後に、帝国ホテルを定宿にしていただいている日本電産会長兼社長の永守重信さまからも、日経新聞のウェブに対応を称賛するメッセージを書いていただき、また涙が出てきました。本当に社員と「現場力」を誇りに思います。

神田 規模が大きくなるほど社員の自主的な決定は難しくなると思いますが、どんな教育をすればそんな対応ができるのでしょうか。

小林 00年に帝国ホテルの行動基準を作ったのですが、そこには「私たちの商品とサービスとはホテルの内外でお客さまに直接・間接に携わる私たち一人一人の立ち居振る舞いそのものです」と書かれています。

つまり、私たち全員が帝国ホテルの商品なんだよ、ということです。そして、実行テーマとして「お客さまからの評価は、帝国ホテルの業績そのものです。生活の基盤のすべてをお客さまに負っていることを認識し、お客さまの感動を自らの感動とする者だけが、帝国ホテルスタッフとしての評価を受けられる」と。給料はお客さまがくださっているんだという点も、伝えたかったことですね。

小林哲也氏が従業員に伝え続ける6つの真理

小林哲也と神田昌典

神田 小林会長は大変な読書家とお聞きしていますが、もし子どもの頃の自分に本を1冊プレゼントするとしたら、何を贈りますか。

小林 難しいご質問ですが、小学生ぐらいでも分かるということなら太宰治の『走れメロス』ですかね。人を信じることや、くじけそうな自分を奮い立たせることの大事さを教えられて、感動したのを覚えています。

時代小説だと、山本周五郎からは無私の愛を学びました。長編も素晴らしいのですが、特に好きなのは短編です。さまざまな要素を凝縮し、推敲を重ねて書かれているので、良い作品がたくさんあります。菊池寛の『入れ札』という短編などは、何回読んでもドキドキしますよ。

神田 最後に、もし小学校の先生だったら今の子どもたちに何を教えたいですか。

小林 従業員にもずっと言っていることですが「誠実」「謙虚」「感謝」「素直に」「明るく」「元気良く」。この6つを持っていればあまり間違ったことはしないでしょう。これらに勝る真理はないと思っています。

あとは「セレンディピティ」という言葉を解説する際によく言うのが、「気付き」「発信」「感謝」「バランス」。気付かなければ何も始まらないし、気付いたら発信しないと伝わらない。そして感謝の気持ちは人間が行動する源になります。あらゆる面でのバランス感覚も重要です。

神田 まさに、変化を起こすための心得と言えそうですね。

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