政治・経済

 平成の語源は、『史記』の「内平外成(内平らかに外成る)」、『書経』の「地平天成(地平らかに天成る)」で、「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味だ。

 しかし、実際には波乱万丈、度重なる天変地異や国際紛争があり、安寧とは程遠い30年間だった。

 産業面においても同様で、永遠に続くと思われた企業が経営破たんするなど、昭和時代には考えられない経済事件が頻発した。

 平成の終わりを前に、特に世の中への影響が大きかったと思われる経済事件を以下にピックアップする。(経済界電子版編集部)

 

平成前半の経済事件簿(1989~2003年)

 

 平成のスタートはバブル経済絶頂期の1989年。しかし、91年のイトマン事件で銀行の過剰融資体質が明らかになり、その後に続く銀行大再編の引き金となった。バブルの重いツケは金融業界全体に広がり、97年には山一証券が破たん。影響は実体経済にも暗い影を落とし、日本全体から活気を奪っていった。

 デフレ不況からの出口が見えない一方で、90年代後半以降はITベンチャーが台頭。経済の新たなけん引役として期待が高まっていった。また、NTTドコモがiモードのサービスをスタートさせるなど、新興のテクノロジー産業が重厚長大型産業から徐々に主役の座を奪っていった。

 大量生産・大量消費という昭和の価値観から、個人がよりフォーカスされる時代への過渡期となったのが平成前半期と言えよう。

三菱地所、ロックフェラーセンターを買収 1989(平成元)年

 平成のはじまりは、まだバブルの絶頂期であり、その後の長い経済低迷など考える由もなかった。当時の日本の強さを象徴するできごとが、三菱地所によるロックフェラーセンターの買収だった。

 ロックフェラー・センターはニューヨークの五番街と六番街にある世界恐慌後の1939年に完成した複合ビル。いまでもクリスマスシーズンになるとその中心にあるアイススケートリンクがテレビによく映しだされることで有名だ。

 そのロックフェラーセンターを10月に約2200億円で買収。その前月には、ソニーがコロンビア映画を買収していたこともあって、アメリカの魂がジャパンマネーによって買われたと、米国民から大きな反感を買った。

 しかし、その後不動産不況で賃貸収入は低迷、経営も苦しくなり、95年に買収した14棟のうち12棟を手放すこととなった。

イトマン事件で6人逮捕 1991(平成3)年

 戦後最大の経済事件と言われる「イトマン事件」は、単なる経済事件の枠を超え、日本経済崩壊の象徴的な事件だった。

 1990年5月、イトマンは不動産投資などで1兆2千億円にも及ぶ借り入れがあることが報道され、その後裏社会との関係も次々と表面化し、大事件へと発展していった。

 事件の背後にいたのは、イトマンのメーンバンクだった住友銀行(現三井住友銀行)から送り込まれた社長の河村良彦、協和綜合開発研究所社長からイトマンに常務として潜り込んだ伊藤寿永光、大物フィクサーと呼ばれ、絵画や不動産開発などでイトマンの不正経理を主導した許永中など。最終的に6人が逮捕され、「住友銀行の天皇」と呼ばれた磯田一郎も引責辞任に追い込まれた。

 この事件を皮切りに、他の銀行でも不動産業界などに対する過剰融資や裏社会とのつながりが表面化。影響は金融業界全体に飛び火していった。

関連記事:イトマン事件―金融業界再編につながった戦後最大の経済事件

リクルート、ダイエー傘下に 1992(平成4)年

 リクルートの不動産関連会社リクルートコスモス社の未公開株が有力政治家や財界人、官僚などに渡ったいわゆるリクルート事件は、昭和の終わりに発覚し、平成はじまってすぐの1989年2月には贈賄側のリクルート創業者の江副浩正会長が逮捕された。リクルートはその後のバブル崩壊の影響もあり、経営難に陥る。その時、頼ったのがダイエーの中内功氏。リクルート株を35%取得し傘下に収めることになった。その時の中内氏の言葉が残っている。

 「即断のような形で決めたが、どう算盤をはじいたのか」という本誌記者の質問に対して、中内氏は、「算盤をはじいたのではない。江副さんは裁判を相当、長期にわたってやらなければならないし、事業もいろいろとやっているので代表取締役会長を引き受ける人を探していたようだ。私と江副さんは三十数年来の付き合いがあるので、私にと考えたのだと思う。(中略)私に会長を引き受けるよう話を持ってきたのは、リクルートの若い人たちのバイタリティーとか風土を大切にし、社員が働きやすい環境づくりをしてくれると考えたからだと思う」と答えている。

 同時に、傘下入りという見方にも、中内氏が否定していたこともあり、両者の関係は良好で、その後のリクルートは急成長を遂げていった。ちなみにダイエーが経営難に陥った2000年1月には、リクルート株の25%を約1千億円でリクルートに売却しダイエーの負債圧縮の原資となった。

関連記事:一代で栄枯盛衰を体現した日本の流通王、中内功ダイエー創業者の信念

ヤオハン倒産 1997(平成9)年

 平成も中頃になると、流通業界にも危機が訪れる。その先駆けとなったのが米国や中国など、世界進出を果たしていたヤオハングループ。95年にはアジアでいちばん巨大な百貨店を上海市に建設し、翌年にはグループ総本部を上海に移転。好調かと思われたが、中核会社であるヤオハン・ジャパンが97年9月に会社更生法を申請して事実上、倒産した。

 その直前、当時の代表であった和田一夫氏は、いちばんの失敗を「転換社債、ワラント債で、無担保で資金調達したこと」と述べている。

 その裏には「『国際企業』という名の格好よさに、私自身も役員たちもおごっていた」と反省していた。

 ただ、現在もブランドの浸透力からか、経営者こそ変わったが中国でヤオハンの名は健在であるようだ。

山一證券破綻 1997(平成9)年

 かつて野村、大和、日興とともに四大証券の一角であった山一證券。「法人」の山一と言われ芙蓉グループを中心に大企業の幹事証券会社であったが内情はバブル崩壊後、優良顧客に対する損失補てんや損失の先送りが行われ、97年3月の総会屋への利益供与の容疑で家宅捜査を受けたことをきっかけに、問題が表面化した。

 11月に自主廃業を発表し、当時の野澤正平社長の「わたしらが悪いんであって、社員は悪くありませんから」との会見は話題に。最近でもドラマの題材になるなど、平成の事件のなかでもインパクトは強い。

ⅰモードスタート 1999(平成11)年

 99年にはNTTドコモから、携帯電話からインターネットに接続して、メールやウェブ閲覧ができる、世界初のサービスがはじまった。2月のサービス開始以降、契約者は爆発的に増加し半年で100万人、翌年には1千万人、2006年には4700万人を数えた。携帯電話が「通話」から「情報」端末に変わった転機となった。

 しかし当時から、NTTドコモの大星公二会長は、「ⅰモードも2年くらいでキャッチアップされるでしょう。だから今次なる手を考えています。それはポータルサイトの部分で例えばモバイルショッピングなどの決済機能を付けて、(中略)付加価値をつけていかなければ瞬く間に追いつかれてしまいます」と危機感を持っていた。

 その後、07年、アップルが米国で「iPhone」の発売を始め、時代がスマートフォンへと移っていった。

ルノーが日産自動車を傘下に 1999(平成11)年

 生産部門への過剰投資やバブル崩壊後の販売減少で赤字を垂れ流してきた日産自動車はついに資金がショート。99年に仏ルノー傘下で再建を目指すことになった。

 日産再建のためにルノーから送り込まれたのが「コストカッター」の異名を取るカルロス・ゴーン氏。ケイレツの徹底的な見直しやキャッシュフロー経営の実践によって、翌2000年には過去最高の純利益をたたき出した。数字によって経営の必達目標を掲げる「コミットメント経営」を定着させたのもゴーンである。その後も爆発的ヒット車は生み出せないものの、グローバル企業として着実に日産を成長させていった。

 しかしその後、ゴーン流コミットメント経営は次第に影を潜め、数値目標の未達や責任回避の言動が目立つようになる。2016年には三菱自動車共資本提携を結び、ルノー、日産、三菱3社の巨大連合のトップとして君臨するものの、18年11月に金融商法取引法違反の容疑で逮捕。日産会長の座を追われることとなった。

東京ディズニーシー開業 2001(平成13)年

 “夢の国”東京ディズニーランドが開園したのは1983年、昭和のことだった。第2パークに関しては開業5年目の88年から度々話題に上っていたが、オープンしたのはその13年後。

 その裏には、米ウォルトディズニー社との交渉が難航したといったことがあり、できた時は「ようやく」といった感じだった。この計画を長年けん引してきたオリエンタルランドの高橋政知会長は、94年のインタビューでコンセプトについて既に「私の意見ですが『水』をテーマにしたものはやりたいですねぇ」と述べていた。

 

平成後半の経済事件簿(2004~2018年)

 

 デフレ不況の出口が相変わらず見えない中、リーマンショックや東日本大震災など、想定外の出来事が続いたのもこの時期の特徴だ。

 ダイエーの産業再生機構入り、JALの破たんなど暗いニュースも多かったが、平成の中盤から後半期にかけては、孫正義氏、堀江貴文氏といった新たなスター経営者も台頭してきた。

 少子高齢化、人口減少によってさらに厳しい環境に陥ることが予想される日本経済だが、観光産業が予想外に成長するなど、明るい要素も出てきている。

ダイエーの産業再生機構入りでホークスはソフトバンクへ 2004(平成16)年

 ダイエーが産業再生機構に入ったことで、福岡ダイエーホークスも売却先を探さねばならなくなった。当時は近鉄とオリックスの合併などによる球団再編の真っただ中で、ロッテとホークスが一緒になるなどの噂も流れたが結局はソフトバンクが、総額200億円で買収することに決まった。

 当時、孫正義氏がそのビジネス展開について語っている。

 「阪急電鉄の小林一三さんが私たちのビジネスの最初のモデルをつくっているのです。要するに鉄道を敷いたら、後はいかにして乗客を集めるかということです。線路というインフラの先にコンテンツを揃えるという発想です。ほとんどのお客さんは列車に乗って向かう『行き先』が楽しいわけです。ですから『行き先の楽しさとは何だ』を考え、この『楽しいもの』を押さえていけばいい。そうすれば消費者は電車に乗る。インフラとコンテンツは、セットになってはじめて生きるのではないでしょうか」

 つまり、キラーコンテンツとしてのスポーツ。なかでもずば抜けて人気の高い野球に注目したのだ。

 2018年の日本シリーズもペナントレース2位から勝ち上がり、2年連続9回目の日本一となった。

ライブドア本社に強制捜査(ライブドア・ショック) 2006(平成18)年

 ライブドア社長だった堀江貴文氏の名が世間に広く知られるようになったのは、近鉄バッファローズのプロ野球撤退表明を機に球界参入を宣言した出来事から。球界参入には失敗したものの、総選挙への出馬を表明したり、ニッポン放送株の取得からフジテレビの支配を目指すなど、時代の兆児として扱われるようになった。

 既得権益を脅かす存在として敵を増やした堀江氏とライブドアは、06年1月、証券取引法違反容疑で東京地検特捜部の家宅捜査を受けることになる。これによりライブドアの株価は暴落、堀江氏は2年6カ月の実刑判決を受けて会社も空中分解した。

 現在、堀江氏は民間ロケットの開発やインフルエンサーとしての活動のほか、多方面で精力的に行動して世間の耳目を集めている。新興勢力と既存勢力の対立、日本社会における異能の扱われ方など、さまざまな問題を提起したのがライブドアショックだった。

関連記事:ライブドアショックを振り返る 一代社会現象を巻き起こした堀江貴文氏の功罪

サントリーのビール事業46年目にして初の黒字化 2008(平成20)年

 普通の会社であれば45年間も赤字を垂れ流しし続けるだろうか。サントリーが未上場のオーナー会社だからできるのだ、という人も多いが、一方でビール事業があったからこそ、さまざまな事業へ挑戦する、いうならば「やってみなはれ」の精神がサントリーという会社に根付いていったようにも感じられる。

 そもそも、佐治敬三2代目社長が1963年にビール事業をスタートしようとした時に、創業者の鳥井信治郎氏が掛けた言葉が「やってみなはれ」というのはよく知られた話。しかも、その信治郎氏も「オラガビール」で失敗した過去を持っていた。

 事業を始めた2代目社長の佐治敬三氏が、開始時の覚悟についてこう述べている。「ビール事業を始めることで配当もできなくなるかもしれない、ということまで考えました。大変なことだけれど、それぐらいの覚悟を持ってやろうじゃないか、ということでやったわけですが思ったようにはなかなか伸びなかったですね。だいたい5年で5%、10年で10%にして損益トントンというところを狙っていたのですが、そういうふうにいかなかった。だから、オールドのおかげなんです。洋酒が好調でそれによって今日を築けたんです」

 いずれにせよ、事業開始から46年目の時を経て経常利益約30億円を出した。直接の要因は「ザ・プレミアム・モルツ」のヒットにあるのだが、やはりそれまでの歴史が後押ししたのだろう。

トヨタ自動車リコール問題 2009(平成21)年

 2017年に世界シェア2割を誇ったエアバッグメーカーであるタカタが欠陥リコールにより負債総額1兆円超で経営破綻した。最近でも国内自動車メーカーのリコール問題が新聞紙上をにぎわしている。多くのリコール事件がある中で、09年から10年にかけて起こったトヨタ自動車のリコール問題は異質だった。

 フロアマットを重ねて使った際にアクセルペダルが引っ掛かる可能性や、ある一定の条件下でアクセルペダルが戻りにくくなるという指摘があり、その結果「意図しない急加速」が起こるという苦情があがっていた。

 トヨタは計750万台のリコールに応じ、米運輸省の高速道路交通安全局に合計で約3400万ドルの制裁金を支払った。ほかにも電子制御装置の欠陥なども噴出し、全米各地でトヨタ批判が広がり、10年2月には豊田章男社長が米下院の公聴会に出席。ところが、後に制御装置には欠陥はなかったことが証明され、また、和解金目当ての人もいたことから、真相ははっきりしなかった。

 その後14年に、刑事捜査を進めていた米司法省に対し、12億ドルの制裁金を支払うことで品質問題は収束したが、なんとも釈然としないリコール問題であった。

日本航空(JAL)が経営破たんで会社更生法適用 2010(平成22)年

 JALが経営破たんした直接的なきっかけは2008年のリーマンショックだった。世界経済の縮小に伴い、ビジネスマンの移動が激減、業績に大きなダメージを与えた。

 国策航空会社であるがゆえの、採算性や効率無視の経営も影響した。当時は親方日の丸体質がはびこり、倒産寸前でも各部署が予算の消化に奔走するという有様。かくして、2010年1月に会社更生法が申請され、経営破たんすることとなった。

 破たんしたJALの経営再建に京セラから送り込まれた稲盛和夫氏は、従業員の意識改革をはじめ、アメーバ経営の導入など様々な手法を駆使して翌年には黒字化。さらに12年には東証一部への再上場を果たすという離れ業をやってのけた。日本の産業史に残る一連の改革は、今も多くの企業経営者が参考にしている。

スカイマーク破綻 2015(平成27)年

 「日本の航空運賃を半額にしたい」エイチ・アイ・エスの澤田秀雄氏が、信念を持ってスカイマーク(当時、スカイマークエアラインズ)を立ち上げ日本の空に参入したのが1998年のこと。当時国内線への参入は35年ぶりのことだった。それから月日は流れ、2015年、スカイマークは破綻した。

 既に澤田氏は経営から離れており、当時の実質的なオーナー社長は西久保愼一氏。IT業界出身のアイデアマンだったが、新型機材の導入や燃料費高騰によるコスト増に耐えきれなかった。致命的だったのが約700億円ともいわれたエアバスA380の違約金だった。

 その後、投資ファンドのインテグラルとANAの支援を受け、現在も再建中。しかし、定時運航率1位を獲得するなど、いまや侮れない航空会社になってきている。

訪日外国人急増初の2千万人を突破 2016(平成28)年

 21世紀に入って以降「ビジットジャパン」キャンペーンを行ってきた効果もあり、順調に訪日客は増えてきていた。リーマンショックや東日本大震災で一時的に減少したが、2013年には1千万人を突破、さらに3年後の16年には2千万人を突破し、17年は2869万人が日本を訪れた。その要因としては、中国をはじめとするアジア地域に中間層が生まれたことと円安、ビザの緩和が挙げられる。

 さらにLCC(格安航空会社)の就航といった交通インフラの充実もこの流れを後押しした。当初は、ゴールデンルートと呼ばれる東京と大阪、京都を結ぶコースに集中していたが、いまやリピーターも増えてきており、日本人も少ないような場所でも外国人が訪れ、地方創生につながっている。

 オリンピック開催の20年には4千万人の訪日客を呼び込もうとしている。平成に伸びた産業、それが観光産業だ。

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