アントレプレナーシップの本質を見失う企業家精神の狭義化
日本には企業家精神が足りないと言われ続けてきた。企業家精神とは、アントレプレナーシップ(Entrepreneurship)の日本語訳であり、イノベーションの創出に不可欠なものである。日本でベンチャー企業の動きがなかなか本格化しなかったのも、大企業の新事業創造が進まないのも、企業家精神が足りないからだと言われている。
日本における企業家精神を考える時には、まず2つの誤解を解かなければならない。ひとつは、企業家と起業家が混同されていることである。日本ではアントレプレナーシップは、新しく会社を立ち上げる「起業」の意味で使われてきた。しかし、イノベーションが大切になるのは、起業のフェーズばかりではない。大企業でも、中小企業でも、あるいは行政機関でも重要である。企業家とは「業」を「企てる」人である。会社を立ち上げる人だけでなく、「業」を「企てる」人にとって必要な能力こそがアントレプレナーシップである。
もう1つの誤解は、アントレプレナーシップが企業家〝精神〟と訳されたため、それが個人の精神的な資質と考えられたことである。アントレプレナーシップの「シップ」が「精神」と訳されたのである。しかし、メンバーシップやリーダーシップ、あるいはリレーションシップなどからも分かるように、「シップ」は、「~の在り方」を表すものである。この「シップ」は日本語にはとても訳しにくい。確かに「精神的な在り方」も含まれる。しかし、これを「精神」だけに限定してしまうことは、その本質を見失うほどの狭義化である。
企業家精神と言われてまず頭に思い浮かぶのは、ヘンリー・フォードやアルフレッド・スローン、最近ではジャック・ウェルチやスティーブ・ジョブズ、日本では、松下幸之助や本田宗一郎などカリスマ的な企業家だろう。彼らのカリスマ性は確かに大きな注目を集めるものである。しかし、彼らのカリスマ的な側面ばかりに目を奪われていては、英雄待望論になってしまう。カリスマ的なリーダーシップを発揮する人を待っているのでは、組織としては脆弱である。精神論としてのみアントレプレナーシップを語ってしまうのも、システムを脆弱にさせる。
企業家精神・アントレプレナーシップの例 ビジネスを開拓するスキル
企業家精神に対する誤解を生み出した原因の1つは、日本の経営学者にその端がある。日本でのアントレプレナーシップについての議論は、企業家の伝記的な記述や精神論にとどまっている。その一方、欧米ではアントレプレナーシップの研究が進められていると同時に、ビジネススクールを中心に、その教育が本格化している。スタンフォード大学やバブソン大学などを中心に、アントレプレナーシップのスキル化が進められている。
そこでは、アントレプレナーシップは、個人(あるいは組織)が現状でコントロールしている経営資源にとらわれることなく、機会を追求するプロセスであると定義されている。精神論とはまるで違う。既存の経営資源を超えて、ビジネスの機会を開拓していくプロセスにおいて必要となる能力をスキル化しているのである。
そのスキルは多岐に及ぶ。例えば、市場や顧客の生の声にアクセスする機会を仕事の中にデザインとして組み入れることや、1つの組織の単位を小さくして権限移譲(とその適切な評価)を行うこと(これは前回の所有権とも似ている)などは、組織において企業家精神を促進するための基本的な仕組みである。企業家の個人的なスキルでは、翻訳という点も注目されている。ここで少し考えてみよう。
既存の考え方(パラダイム)を大きく転換したい時にはどうすればよいだろう。パラダイムが異なれば、価値基準も異なる。既存のパラダイムの基準の下では、新しいパラダイムは多くの場合認められない。訴求点が全く違うのである。しかし、既存のパラダイムと同じ基準に訴えてしまうと、結局、パラダイムを大きく変えることは難しい。そこで「翻訳」が重要になってくる。新しいパラダイムを、古いパラダイムの基準上でも「あたかも」適合するかのように「翻訳」することが大切なのである。もちろん、自分自身で翻訳する必要はない。翻訳に適した人を選ぶのである。そして、翻訳に適した人というのは実は旧パラダイムの中にいることが多い。
この「翻訳」の具体例を知りたい人は、ストリートアーティストのドキュメンタリー映画の『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』をぜひ見てもらいたい。最先端のストリートアーティストすらも驚かす新しいやり方(パラダイム)が生まれてくる瞬間とそこでの「翻訳」がよく分かる。ストリートアーティストの「権威」や「大御所」による、新しいパラダイムの「翻訳」や「お墨付き」がとても重要な役割を担っていることが分かる。
この翻訳はあくまでもアントレプレナーシップのスキルの1つである。カリスマ性や精神論にとどまっていては、学びはない。ビジネス・チャンスを追求するプロセスに必要な条件に企業家精神を分解して考えていくことによって、本当のアントレプレナーシップが見えてくる。
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