経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

ハワイで「うどん」が成功した秘訣は人材育成にあり ―椎村賢哉(AINO LLCオーナー)

成熟社会を迎え、子どもの教育、就職、働き方など、さまざまな面において、これまでのやり方が機能しなくなってきた日本。難病を抱えながら息子とともにハワイに移住し、事業家として成功を収めたイゲット千恵子氏が、これからの日本人に必要な、世界で生き抜く知恵と人生を豊かに送る方法について、ハワイのキーパーソンと語りつくす。

椎村賢哉氏プロフィール

椎村賢哉氏

(しいむら・けんや)1967年生まれ。宇都宮大学情報工学科中退後、92年米Vincennes Universityに留学。帰国後、予備校講師、トラック運転手などの職で資金を貯め、96年再渡米、University of Missouriの社会学部で助手を3年間務める。99年に帰国後は、山梨県芦安村(現南アルプス市役所)企画観光課、ロサンゼルスの日本食レストラン、社会保険労務士事務所などの職を転々とし、2004年にトリドール入社。人事企画室室長、業務管理部部長などの業務に携わる。11年同社が展開するうどんチェーン「丸亀製麺」のワイキキ出店に伴い、トリドールUSA社長として現地に赴任。連日、行列ができる人気店に育て上げ、話題となる。16年12月、AINO LLCを創業、おにぎりを現地風にアレンジした商品を提供する店「MA‘ONA」をオープンし、こちらも大盛況となっている。

椎村賢哉氏の半生

就職難で職を転々

イゲット ご経歴を拝見するとすごく面白いですね。もともとご出身はどちらなんですか?

椎村 京都生まれで、滋賀県の大津市で育ちました。大学は宇都宮大学の情報工学科で、プログラミングやシステム構築を学びました。今ではすっかり内容を忘れてしまいましたが。

イゲット それからアメリカに留学されたんですよね。

椎村 家がそれほど裕福ではなかったので、授業料が安いインディアナのコミュニティカレッジに入学しました。まず、英語とアメリカでの生活に慣れようと思ったんです。その後日本に帰って来ましたが、バブルがはじけた後で就職先がまったくなかったんです。あの時にちゃんと就職できてれば、いろいろと迷わなくて済んだんですけどね(笑)。もう一度アメリカに行きたいと思っていたので、費用を稼ぐためにアルバイトをしていました。

イゲット アメリカに戻りたいと思った理由は何でしょうか。

椎村 今言うとちょっと恥ずかしいのですが、当時はアメリカ人のほうが何をやるにも真剣に取り組んでいるように見えたんです。中学生ぐらいの頃から、何かを必死でやりたいという思いが強くあって、緊張感のある環境に身を置きたかったんですね。自分は怠け者ですし、本来は厳しいところで生きていける人間ではないんですが。

イゲット その後、帰国してからは、また全然違う場所に身を置いていますよね。

椎村 英語はできても日本では何の社会経験もなくて、企業に面接に行っても「なんだか変な奴」と思われるわけです。当時30社くらい就職試験を受けて、それも零細企業のようなところばかりでしたが受からない。アパートを借りるにもお金がないので、苦肉の策で山梨の山荘で働くことにしました。

山梨県芦安村(当時)の施設で、3千メートルの稜線にある山小屋です。環境省の委託を受けて北岳草などの希少植物を保護したり、気象庁にデータを提供したり、登山者の宿泊場所を提供したりする小屋ですが、そこに住み込みで働きました。家賃が掛からないし、食べ物も出るし、水道光熱費もタダ。給料も使うところがないですからね(笑)。そこでお金を貯めて、もう一度社会人としての生活をしようと。

飲食業に関わるキッカケ

イゲット もともと研究はお好きなんですよね。山を下りた後は、ロサンゼルスに行ったそうですが。

椎村 たまたまロサンゼルスに出店を計画していた日本食レストランが、店長クラスのポジションで英語を喋れる人材を探していたので入社しました。当時まったくレストランのことは知らなかったので、勉強しながら働いていましたね。

イゲット それが飲食業との最初のかかわりだったわけですね。

椎村 そうですね。山でも食事は提供していましたが、本格的なレストランとはレベルが違いますから。そのレストランは当時、松田聖子さんやアントニオ猪木さんなどの有名人も来ていました。ただ、将来性に不安があったのでそこも辞めて、次を探すことにしました。

大学で学んだ組織論を生かしながら働けないかと考えていたんですが、どこにも雇ってもらえない。やはり資格がいるのかなと思って、知り合いが紹介してくれた社会保険労務士事務所に入って、月給10万円でかばん持ちをやりながら1年ほど勉強して資格を取ったんです。その後、トリドールの人事部に採用してもらいました。トリドールは当時、片田舎にある小さな会社でした。飲食業で法律に詳しい人間はあまりにいなかったので、重宝されたんじゃないかと思います。

イゲット その当時、まだ丸亀製麺はなかったんですよね。

椎村 トリドールはもともと焼き鳥のお店で、家族で楽しく焼き鳥を食べられる店として展開していたんです。正直、トリドールに入れたのは宝くじに当たるより幸運な出来事だったと思っています。

丸亀製麺のワイキキ出店で白羽の矢が立つ

イゲット 8年間日本で務めて、ハワイに来られたのは2011年ですね。

椎村 日本にいたときには人事からスタートして、経営の中核部分や細かいことまで把握できたので、ワイキキに丸亀製麺の出店の話が出た時に自分が選ばれたんだと思います。ハワイに来たのは、その時が初めてです。

イゲット 旅行でも一度もなかったんですか?

椎村 はい。「ハワイに憧れて」というわけではなく、行けと言われたので来ました(笑)。

イゲット ハワイでの事業立ち上げは、相当時間が掛かったのではないですか。

椎村 掛かりました。経験もないですし、ビジネスの習慣が日本とは違うので。でも最初は日本の経験を生かしてやるしかないので、衝突を繰り返しながら、何とかやってきました。

イゲット こちらに来て、店をオープンするまでにどれくらい掛かったのですか?

椎村 1年半くらいです。一番時間が掛かったのは設計だと思います。建築基準の違いから通常の2倍の時間が掛かりました。建築が始まっても資材がなくて日本から運んだこともありました。製麺機や釜は、どうしても現地で調達できないんです。うどんをちゃんとゆがける釜は、日本にしかありませんから。

イゲット 立地をクヒオ通りにした理由は?

椎村 トリドールの創業者が、ホノルルマラソンを走りに来て練習しているときにこの場所に大行列ができているイメージを持たれたのです。以前は少しさびれた場所でしたが、今では順番待ち行列ができるなど人が増えたので、だいぶ雰囲気が変わりました。人が集まるところは健全になりますね。

椎村賢哉氏の経営術とは

現地の優秀な人材を育成する

イゲット 人事にいらっしゃったのでいろんな方を見てきたと思うんですが、日本での採用とハワイで現地の人を採用するのとでは、何か違いがありましたか?

椎村 日本人もこちらの人も、同じ人間なので基本的な違いはありません。苦労したかと聞かれたら、それほど苦労はしなかったですね。ただ、ワーカーの質は違います。基本はわれわれの要求を伝えるということの繰り返しに過ぎないんですが、例えば、「遅刻するのはなぜいけないか」ということを一から説明しなければいけないような場面もあります

イゲット サービスに関するトレーニングも難しかったのではないですか?

椎村 そこが一番難しかった。日本人の私が何を言っても従業員たちは聞きません。たとえ私にどんな権威があろうと、彼らの中では「お前は日本人だからできるんだよ」となってしまうんです。だから、私の伝えたいことを、現地の人間に言わせて言い訳できないようにしました。それが一番初めにやったことです。

イゲット ローカルのマネージャーを雇ったんですか?

椎村 始めはみんなパートやアルバイトですが、その中から頭の回転の速い人や手際のよい人を昇格させて育てました。現地人の仲間が言うことであれば、従業員たちも聞くんです。それはインディアナやミズーリに住んだ経験から学びましたね。現地の人間といくら友達になっても、所詮私は外国人で、どうしても越えられない壁があるのを知っていましたから。だから、ハワイに来る前から、現地の人間にマネージメントさせる考えを持っていたんです。「これから店が何軒増えてもこれ以上日本人は来ない、君たちがやっていくんだ」というのを最初から言っていました。

イゲット そこが成功の秘訣なんですね。

椎村 1店舗だけなら日本人がやっても構わないですが、チェーンですからね。お金があればお店は作れますが、店長がいなければ店舗は運営できません。

ワイキキ丸亀製麺

行列でにぎわうワイキキの丸亀製麺

人材教育では根本の価値観を納得させる

イゲット 店のリーダーたちを育てる際に、日本との違いはありましたか。

椎村 ありましたね。日本の店長たちは表面上従いますが、こちらからの呼びかけにまったく反応がないというか。それで、蓋を開けたらできていないみたいなことがよくあるんです。ハワイの子たちは何でもいちいち聞いてきますね。「なんでなんで?」と。How?とWhy?の連続で、こちらも聞かれて困ることがあります。「ハウ?」ならまだ、やり方を説明すれば良いですが、「ホワイ?」と聞かれたら、こちらも改めて吟味しないといけません。

イゲット ハワイの子たちは小さい頃から自分なりの考えを持つことに慣れているし、相手の意見を自分の中に取り入れていくように訓練されていますからね。

椎村 未来に対する目的と、そのために何をすれば良いのか、という部分は良く聞かれますね。日本人には当たり前のことでも、彼らなりにきちんと解釈して理解したいんでしょう。

イゲット 疑問について納得しないと、先に進めないということですね。

椎村 作業もすぐにマニュアルを変えて、ショートカットしようとしますし(笑)。だから、「なぜこの面倒くさい作業をしなければならないか」という部分の説明に時間が掛かります。でも、そうすることで自分の勉強にもなります。

イゲット ただ、一度納得すると、自分で考えて動くのは早いと思います。

椎村 根本の価値観をクリアに言い続ければ、それに基づいて彼らは動くようになります。中途半端な内容では説得力がないので、「なぜ丸亀モデルが成功するのか」を明確に外さずに伝える。そこが大事です。

イゲット 根気のいる仕事ですよね。

椎村 コミュニケーションという意味では確かに根気が必要です。ただ、時間を掛けてやればいいだけなので、難しくはないです。

丸亀製麺によって歴史がスタートしたハワイのうどん

イゲット 私が日本とハワイのビジネスの違いを誰かに説明するときは、よく丸亀さんのモデルを例に挙げるんです。日本人ならさっとうどんを食べて400円とか500円という感覚ですが、ハワイの人はトッピングの天ぷらをてんこ盛りにして食べるので客単価が高いとか、そういう違いについて。ちなみに、天ぷらのてんこ盛りも最初から想定内だったんですか?

椎村 想定外でした(笑)。天ぷらの人気が出るのは多少は予測はしていましたが、これほどとは。

イゲット 食文化が全然違って、こちらでは「質より量」の傾向がありますよね。

椎村 日本ではうどんに長い歴史があることも、職人さんが美味しいうどんを作るのに改良を重ねて、今のレベルに達しているのが知られています。アメリカ人はそれを知らないから、うどんというのはまったく新しいコンセプトの食べ物になるんです。

見方を変えればいかようにも作れるということ。何も日本のスタイルにこだわらなくても、どうすればうどんを美味しく手ごろな価格で食べられるかという形で、今後も変化していくでしょう。寿司のようにうどんが定着するかは分かりませんが、歴史が始まったばかりなんです。

イゲット ハワイに来て失敗したことはありますか?

椎村 大失敗はないですが、苦労したことはあります。例えば、機械が壊れた時に日本なら4時間くらいで修理できるところが、こちらでは一番長い時で2カ月掛かりました。お客様にうどんを提供する前に再温めする機械が壊れたことがあって、いつまで経っても直らない。あんまり腹が立ったから業者を怒鳴ったら、「もうお前のところとは取引しない」と言われて、余計に自分の首を絞めちゃいました。その修理会社のレベルが低いと思って別のところに頼んだら、もっとひどくてどうしようもなくなりました(笑)。だから怒鳴ったところに謝りに行って、許してもらいましたけどね。

イゲット アメリカ人でも大きくて修理ができない機械などを買うときは、ドイツ製や日本製にするらしいですからね。

椎村 ワイキキ店の製麺機は6年経っても壊れないですからね。あれが壊れたら大行列くらいでは済まなくなるので大変です。日本から修理に来てもらっても何日もかかるでしょうし。

丸亀製麺から独立した椎村賢哉氏の次のビジネスとは

おにぎらず

ハワイ流にアレンジして人気となったマウナのおにぎり

イゲット 今は独立されて一風変わったおにぎりのお店、マウナをオープンしましたが。

椎村 例えば回転ずしの場合はいろんなアレンジを加えて、従来のお寿司の概念にないものも今では出しています。日本食の味の作り方の基本さえ忘れなければ、形がどうあれ美味しければいい。ハワイでも意外とおにぎりは定着していて、結構みんなスナックが変わりに食べていますが、サイズが小さいので中に入れる具材に限界があったんです。どうしようかなと考えて、サンドウィッチのようにご飯で挟んだら、てんぷらでも唐揚げでも入れられると思いつきました。ご飯に合う食材なら何でもいいわけです

イゲット 最初の店舗をダウンタウンでオープンしたのはなぜですか?

椎村 オフィスワーカーに食べてもらいたかった。それだけの理由です。

イゲット では、ランチタイムが一番忙しいんでしょうか。

椎村 朝買っていかれる方が多いですね。

イゲット 中華圏から来た方々の影響もあるらしいですが、オフィスで朝ご飯を食べる時間も時給に入っているので、朝ご飯をオフィスで食べるケースも多いと聞いています。ところで、従業員は何人ぐらいですか。

椎村 配達のドライバーや販売員も含めると、20名ぐらいでしょうか。

イゲット お店を見たらローカルのスタッフが多いですね。具材のアイデアや味についてはどうやって決めるんですか?

椎村 私と妻で話し合って決めています。味については、和食なので旨みの部分はしっかりつくりますが、その上にのせる味は和食より少し濃い目にしています。あとは香りをギリギリ分からない程度に入れるようにしています。

イゲット千恵子と椎村賢哉

イゲット 味は何種類くらいあるんでしょうか。

椎村 22種類です。一番人気なのはスパム系ですね。それ以外ならサーモンとか。

イゲット ダウンタウンはホットな場所ですし、ワイキキとは違う層もいるのでマーケットとしては面白そうですね。

椎村 ダウンタウン周辺の方々は、思った以上にヘルシー志向が強いですね。われわれもファーマーズマーケットに玄米を使った商品を出したりしています。

イゲット 今後の展開はどのように考えていますか。

椎村 やはりマーケットが大きいので、アメリカ本土に進出したいと思っています。これまでチェーン展開のノウハウを学んできているので、店数を増やしていきたいです。今はおにぎりで展開していますが、ご飯に酢をいれてお寿司のようにも作れるのではないかと思います。

イゲット お寿司がアメリカですごく流行ったのは、パーティの会場に寿司職人が行って握るなど、パーティ文化に入り込めたのが大きかったのではと思っています。おにぎりも、同じようにパーティに来るような層の人たちの口コミで広がる可能性がありますよね。

椎村 おっしゃる通りで、確かに大きなコンフェレンスに納品した翌週には、お客様がたくさん入るといったことがありました。三角おにぎりを全部マウナスタイルにするのが1つの目標です。ハワイである程度基盤を作ってから、本土に行きたいですね。

イゲット 将来はフランチャイズ展開も考えているんですか?

椎村 そこまではまだ考えていないですが、私が一番得意としているのは人を育てることなので、せっかくなら育てた人に任せたいと思います。われわれがやっているのは、外食産業だけど教育産業なんです。どれだけ上手に早く人を育てるのかが、とても重要になってきます。

イゲット千恵子(いげっと・ちえこ)(Beauti Therapy LLC社長)。大学卒業後、外資系企業勤務を経てネイルサロンを開業。14年前にハワイに移住し、5年前に起業。敏感肌専門のエステサロン、化粧品会社、美容スクール、通販サイト経営、セミナー、講演活動、教育移住コンサルタントなどをしながら世界を周り、バイリンガルの子供を国際ビジネスマンに育成中。2017年4月『経営者を育てハワイの親 労働者を育てる日本の親』(経済界)を上梓。

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