経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

ハワイ起業から製麺一筋で全米進出を果たす― 夘木栄人(サン・ヌードル社長)

イゲット千恵子氏

成熟社会を迎え、子どもの教育、就職、働き方など、さまざまな面において、これまでのやり方が機能しなくなってきた日本。難病を抱えながら息子とともにハワイに移住し、事業家として成功を収めたイゲット千恵子氏が、これからの日本人に必要な、世界で生き抜く知恵と人生を豊かに送る方法について、ハワイのキーパーソンと語りつくす。

夘木栄人・サン・ヌードル社長プロフィール

夘木社長1

うき・ひでひと 1961年生まれ。栃木県出身。高校卒業後、徳島県の製麺会社での修業を経て、父親が営む製麺企業に入社。81年ハワイに渡りSun Noodle(サン・ヌードル)を創業。ハワイで最大規模の製麺企業へと成長させる。2004年にはロサンゼルス工場を稼働。2012年にはニュージャージー工場も稼働させ、事業規模を全米に拡大。契約店舗数は1200に上る。

夘木栄人氏がハワイで製麺事業を始めた経緯

20歳で単身ハワイに乗り込む

イゲット 夘木社長がハワイに渡ってきたころのことを教えてください。

夘木 ハワイに来たのは1981年8月31日、もう35年以上前になりますね。父親が栃木県で製麺会社をやっていて、当時の取引先の関係者がハワイで食品製造の事業を興したいと希望していたんです。そこで、製麺をやっていた親父にその話が来ました。そのころ私は、徳島県の製麺工場に丁稚奉公に出ていて、修業が終わったら実家に帰って製麺所に入るはずでした。

 ハワイ進出の話は結局なくなってしまったんですが、試作機として既に現地に機械を送り込んでいたので、親父は私に「興味があるなら資金は貸すからやってみたらどうだ」と言ったんです。それが19歳の時で、実際にハワイに渡ったのは20歳。親父が何を考えて私にそんな道を与えたのか、未だによく分かりません。たぶん何も考えてなかったような気もしますが。

イゲット ハワイに来るのは初めてだったんですか?

夘木 外国に行くこと自体が初めてでした。当時ハワイと言えば一生に一度行けるかどうかの場所でしたから、2つ返事でOKしました。

英語がほとんどできずに仕事をする

イゲット 英語はどうされたんですか?

夘木 「イエス、ノー、サンキュー、ハロー、バーイ」とか、その程度です(笑)。全然分らないから、最初の頃はエレベーターでアメリカ人に声を掛けられるのが嫌でしてね。それで語学学校に入ったんですが、学生ビザが必要なことすら知らなかった。結局、現地の移民局で学生ビザを発行してもらったんですが、まるで田舎者ですよね。

イゲット それで仕事もされていたんですよね。

夘木 最初は、英語の勉強と同時進行で知り合いの方と一緒に工場の場所を探したりしていました。

イゲット まだ20歳の若者が、ちゃんとビジネスを進められたのでしょうか?特に日本人は童顔に見られますし。

夘木 親父の繋がりで、現地の知り合いと一緒に工場の土地を探したり、そのご家族に学校の手続きやアパート探しなどを手伝ってもらったりしました。結局、1500スクエアフィートほどの小さな場所を借りてスタートし、10年ぐらいはそこでやっていましたね。

イゲット 製麺に必要な小麦粉などの材料調達はどうしたんですか?

夘木 現地の製粉屋さんに日本語が分かる日系人のセールスの方がいたので、その方と一緒にこういう粉が欲しいという希望を仕入れ先に伝えて歩きました。ただ、同じ小麦粉でも、アメリカと日本のものではまったく違います。たとえば小麦粉の成分表示で、タンパク質、水分、グルテンなどの数字上の値は同じでも、味や触感がまったく変わってくるんです。

イゲット そこで、日本の味になるように調整を重ねていったんですね。

夘木 アメリカ本土からいろんな粉を貰って混ぜ合わせていたのですが、日本のように良質の粉がなかったので、すごく勉強になりました。当時はハワイに3軒くらいしかラーメン屋がなかったのですが、それぞれの店に合う麺を作らないといけないということで、それも良い訓練になりました。

サン・ヌードルの製麺ビジネス展開

ハワイでのビジネスは誰と会うかがカギ

イゲット ビジネスは当初から順調だったんでしょうか?

夘木 借金から始まったので、とりあえずオペレーションをブレークイーブンにするためにいろんなところに営業に行きましたね。割と早い段階から「えぞ菊」さんには商品を認めてもらったんですが、自分みたいな若造がやっていたから、継続性があるかどうかという点で、かなり心配はされたようです

イゲット 20歳でハワイに来たこともそうですが、ビジネスを軌道に乗せたのもすごいと思います。ホームシックなどにはならなかったのですか。

夘木 それはなかったですね。ただ、アパートが見つかって1人暮らしを始めた時、生まれて初めて誰とも一言も喋らない日を経験したのはきつかったですね。土日は学校もなくて、家にいてもつまらないから日本人の多いワイキキまでバスで行って気を紛らせたり。そんなスタートでした。

イゲット 私は、ビジネスマンが移住する場合は、奥さんと子供を先に移住させて生活のベースを作ってから赴任したほうが良いと推奨しているんです。

夘木 確かに、失敗なく現地に溶け込める状況を作ったほうが良いと思いますね。騙されて駄目になった人もたくさんいますから。僕は幸いにして、弁護士にせよ不動産屋にせよ、最初に知り合った人が間違いない人たちを紹介してくれたので騙された経験は一度もありません。やはり、最初に誰と会うかがカギでしょうね。

イゲット ハワイでは誰の紹介かということが非常に重要ですから、人脈が命ですよね。

夘木 ハワイは既に地元の人間になったからいろいろと見えますが、アメリカ本土に行くと、また分からない部分はあります。

沖縄そばがロス進出のキッカケに

夘木社長×千恵子氏

イゲット ロサンゼルスに進出されたのは、どういう経緯だったのでしょうか。

夘木 僕はハワイから出るつもりは全然なかったんです。チャンスがあれば本土に商品を出したいなぐらいの気持ちでしたが、あるとき、たまたま僕がつくったハワイで作る沖縄そばが、日本の食材の輸出入を手掛けるJFCさんに取り上げられる機会があって。

イゲット 沖縄そばって珍しいですね。

夘木 沖縄そばはニッチ商品ですが、妻や叔父さんが沖縄出身だったこともあり、沖縄そばをつくってみたらどうだと勧められたんです。ハワイに一軒あった沖縄料理店に納品する話になって、沖縄に行った際に大手の製麵屋さんを紹介してもらって、1日だけお話を聞いてそれをハワイで再現しました。それ以来、沖縄そばは当時教わったやり方をずっと35年近く続けています。それが、サンヌードルの商品がロサンゼルスに進出するきっかけになった。1988年ぐらいのことですかね。

イゲット 麺はハワイの工場でつくっていたのですか?

夘木 ハワイから飛行機で送っていました。その後、2004年にえぞ菊さんが初めてロサンゼルスに進出した時、麺を現地でつくってくれないかと依頼されたのが、本格進出の始まりです。最初は自分がロスに行ってもいいと思っていたのですが、やってもいいと言う知り合いがたまたまいたため、工場を作ることにしました。

 でも、その頃はアメリカ本土には大きな製麺屋さんがたくさんあったので、今さらわれわれが行く必要があるのかなとも考えました。

 思えば、ロスにもラーメン屋さんは何軒かあってどの店もそこそこ美味しいのですが、また食べに行きたいと思えるものがなかった。その理由は、しっかりと完成されたラーメンであっても、お店やスープに合わせた麺を使っていないからではないかと思いました。

 だから、われわれがそれをやるということが大義名分になるのかなと。ハワイでいろんなラーメン屋さんの要求に応えて麵を作ってきたので、できるという自信はありましたね。

イゲット ハワイでの長年の経験が、生かせると考えたわけですね。

ラーメン市場拡大に取り組む

イゲット 最近はアメリカ本土でもラーメンの認知度が高まっていますね。

夘木 この35年くらいの間にラーメンブームは3、4回ありました。アメリカでラーメンを作ろうとした場合、それぞれの店舗やスープに合う麺が入手しづらいという問題があります。われわれはロスに工場を建てて、地元のラーメン屋さんに受け入れられる麺を作ろうというところから始まったのですが、そうこうしているうちに、ロスで作るラーメンが少しずつ全米に広がっていきました。

 ただ、アメリカ西部で作った麺を冷凍で東部に送ると、到着するころには商品がボロボロに割れたりくっついたりと、ひどい状態になることがあったので、ニュージャージーにも工場を作りました。まだラーメンブームが来る前だったので、多少の不安はありましたが。

イゲット ラーメンにはこだわりのあるファンが多いので、良い麺があれば海外進出したいというラーメン屋はたくさんいたんじゃないでしょうか。

夘木 ラーメンは麺もスープも両方大事ですが、僕らがヘンな麺をつくると、せっかくの美味しいスープが台無しになってしまいます。たとえば同じ生地でも、太さが少し違うだけでまったく変わってくるんです。

イゲット ラーメンを広く知ってもらうための活動もされているそうですね。

夘木 最初はニュージャージー工場の一角に、ラーメンの作り方など基本的なことを知ってもらう場所を作りました。その後、マンハッタンにカウンター10席ぐらいの小さいスペースに、キッチンが見えてシェフとも話ができるラーメンラボを設立しました。シェフは毎月交代制で、アメリカの成功しているラーメン店のシェフにも来てもらっています。ラッキーなことに、全米3大ネットワークのテレビ局で紹介されて、大きな反響がありました。

イゲット ポップアップショップ(期間限定店舗)みたいな感じですか?

夘木 そうです。アメリカ人だけでなく日本からもお客様がきます。月替わりでいろいろなラーメンが食べられるし、やっている側はお客様の反応などを直接見られるというメリットがあるので、皆さんに喜んでもらっています。

サンヌードル写真3

好評のラーメンラボ

イゲット アメリカ人でもラーメン屋さんになりたいという人はいるんでしょうね。

夘木 日本のように、ご当地ラーメンが出てきても不思議ではないですよね。日本にも北海道から沖縄までいろんなラーメンがありますが、たとえばテキサスならビーフを多く使うとか、メーン州であればロブスターをベースにしたスープができるかも知れませんね。

イゲット ラーメンの普及にものすごく貢献されてますね。

夘木 自分でラーメン屋をやるつもりはないし、製麺屋1本でもやれることはまだまだいっぱいあります。1つの商品でも、創意工夫してどこまで広げられるか考えていけば、もっとアイデアは増えてくると思っています。

サンヌードル写真1

「創意工夫すればアイデアは出てくる」と語る卯木社長

サン・ヌードル夘木栄人社長が大事にしている「感覚」とは

イゲット アメリカにはベジタリアンの方も多いですし、いろんな人種の人たちが食べられるものとなると、チャレンジしないといけないことが増えそうですね。

夘木 健康という意味合いで言えば、体に害のあるものを極力使わないことをポリシーにしてきました。たとえば、日持ちさせるためやツルツル感を出すために、添加物を使うことには凄く抵抗があります。僕がラーメンを作るうえで求めているのは、一杯のラーメンを食べた時にホッとするというか、また食べたいなと思える感覚なんです。

イゲット この前日本に3週間ほど帰ったのですが、最後のほうは添加物で気持ち悪くなっていました。アメリカの食べ物はすぐに腐るし、パンもすぐにカビるし、でもそれは添加物を多用してないからですよね。

夘木 僕らが添加物を使わないのは、子どもたちに安心して食べさせたいからです。商売上は捨てるより長持ちさせたほうが良いのでしょうが、それは考えないようにしています。ウチの麺は食べた瞬間にものすごい美味しさを感じるようなものではないんですが、飽きないし疲れないし、何気なく食べられる。それは添加物を使っていないことも理由じゃないかと思います。

イゲット ご家族についてお聞かせ願えますか?

夘木 子どもは娘2人と息子1人です。一番上の子だけ学校の先生をやりながらですが、みんな会社にはかかわっています。次女はロスの工場、長男はニュージャージーの工場で働いています。

イゲット 3人ともバイリンガルですか?

夘木 小さい頃は日本の幼稚園に行ったり、小学校に行ったりしていましたが、中学高校になると友達の影響で英語主体になりましたね。家族で話すときは全部日本語で話します。僕は子どもたちには、別に大学を出なくてもいいと言ってきたんです。エデュケーションはいわば1つの「才能」ではありますが、才能がなくても一生懸命働く努力と熱意のある人のほうが成功率が高いと思っていますから。

イゲット 人脈に関しては、お子さんたちは広く持っているのではないですか。

夘木 そうですね。僕らの時代に下地を作ったので、ラーメンをいかに広めていくかについては、アメリカ人としての彼らの仕事だと思います。

イゲット お父様が作った事業を、お子さんたちが世界に広めていけるのは強いですね。

夘木 子どもたちだけでなく、たとえばニュージャージーの工場には韓国、中国、メキシコ、イタリア、フランスなどの言語に対応できる人種がいます。たとえば各国で展示会を行う際も、ネイティブの人たちが母国語で伝えたほうが伝わりやすいですし、今は販売面でそういうやり方ができます。

イゲット マーケティングの仕方も、お子さんの世代はやり方が全然違いますよね。

夘木 上手く行った例としては、息子が僕のこれまでの歩みを題材に、1つのストーリーにしてPRしたんです。アメリカの銀行のコマーシャルにも出させてもらったことがあるのですが、カバン1つでやって来た僕が、銀行が出資してくれたおかげで成功したという内容です。アメリカ人はストーリーが好きなので、こうしたやり方は効果がありますね。

サン・ヌードルの会社精神に定めるハワイアンスピリットとは

 イゲット ハワイには、きちんとした背景としっかりとしたミッションがあれば応援してくれる文化がありますよね。

夘木 目的を定めるということが何をやるうえでも大切で、僕も麺を売って金持ちになるというだけでは誰も支持してくれなかったでしょう。麺を売るのは単なる手段であって、製麺の仕事を通じた従業員の人間的成長だったり、お客様に喜んでいただくことだったり、しっかりと利益を上げて税金を納めて社会のために使っていただくことだったり、そうした良いサイクルを生むことが重要だと思います。

先日、ニュージャージーの工場を訪ねると、黒人の従業員さんが直接僕に握手を求めにきて「こんなに仕事しやすい環境を作ってくれてありがとう」と言ってくれたんです。そうやって感謝してくれるのは本当にうれしいし、従業員にとって働く場所が大切だということを再認識しました。

イゲット 経営者にとっては涙が出そうな話ですね。

夘木 人が増えると難しい部分はありますが、200人の従業員とは、心でつながった関係でいたいですね。

イゲット ハワイはオハナスピリットもありますし、多人種がミックスされているので、アメリカの中でも特にさまざまな人種が触れ合える優れた場所だと思います。

サンヌードル写真5

規模が拡大しても従業員との一体感を忘れない経営を目指す

夘木 会社の精神の1つとして定めているのは、ハワイアンスピリット、アロハの気持ちで付き合いましょうということです。お客様には感謝、謙虚、正直であるのが基本であり、ハワイのスピリットを持った大家族主義の経営を掲げています。僕のような人間でも製麺一筋でコツコツやってきて、今に至ることができました。若い人たちには、与えられた道をチャンスと捉えて、どれだけ頑張れるかが重要だと伝えたいですね。

ChiekoEggedDSC_3145 (いげっと・ちえこ)(Beauti Therapy LLC社長)。大学卒業後、外資系企業勤務を経てネイルサロンを開業。14年前にハワイに移住し、5年前に起業。敏感肌専門のエステサロン、化粧品会社、美容スクール、通販サイト経営、セミナー、講演活動、教育移住コンサルタントなどをしながら世界を周り、バイリンガルの子供を国際ビジネスマンに育成中。2017年4月『経営者を育てハワイの親 労働者を育てる日本の親』(経済界)を上梓。

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