アメリカの「インディ500」でホンダマシンに乗った佐藤琢磨が優勝した。F1で苦戦が続くホンダにとって久々の明るい話題だ。一方、トヨタは今年からWRCに参戦、ル・マンにも力を入れる。モータースポーツには莫大なコストが掛かるが、果たしてきちんとリターンを得られているのだろうか。文=関 慎夫
全社を挙げて取り組むトヨタのル・マン24
「今年こそは、という期待でいっぱいですよ。インターネットによる無料配信もあるそうですから、常にチェックしようと思っています」と語るのはトヨタのディーラーの営業マンだ。本誌発売時には結果の出ているル・マン24時間レース」への期待を、レースの2週間も前から熱っぽく語っていた。
ル・マン24はフランスのル・マン近郊で毎年6月に開かれる耐久レース。第1回は1923年に開かれており、その歴史は94年におよぶ。F1の「モナコ・グランプリ」、アメリカの「インディ500」と並ぶ世界3大モーターレースのひとつである。このル・マン24でトヨタは昨年、終了3分前までトップを走りながら、最後の最後にマシントラブルで優勝を逃すという悲劇の主人公となった。
この時トヨタ自動車の豊田章男社長は次のようなコメントを発表した。
《チームの皆の心境を思うと……、そして、応援いただいたすべての方々へ……、今、なんと申しあげたらよいか、正直、言葉が見つかりません。われわれは“負け嫌い”です。負けることを知らずに戦うのでなく、本当の“負け”を味あわさせてもらったわれわれは、来年もまた、世界耐久選手権という戦いに……、そして、この“ル・マン24時間”という戦いに戻ってまいります》
文面の端々から無念さが伝わってくる。その思いを、トヨタ自動車だけでなく、資本関係のないディーラーの末端まで共通して持っている。それを証明したのが、冒頭に紹介した営業マンの言葉である。
この営業マンとは長い付き合いだが、過去にトヨタのモータースポーツについて話をしたことはなかった。かつてトヨタがF1に参戦していた時もである。
トヨタがモータースポーツに不熱心なわけではない。60年代からヤマハ発動機と共同で日本グランプリなどのレースに参加したほか、70年代には世界ラリー選手権(WRC)で活躍したこともある。2002年から09年にかけてはF1にも挑戦、優勝はかなわなかったが2位5回という実績も残した。
それでも、F1で圧倒的な実績を持つホンダや、かつてスカイラインGT-Rがポルシェと死闘を繰り広げた歴史を持つ日産自動車、パリ‐ダカールラリーで名を挙げた三菱自動車などに比べると、トヨタ=モータースポーツのイメージはそれほど強くない。別の見方をすれば、モータースポーツを強く打ち出さなくても、トヨタ車は圧倒的なシェアを取り続けた。
しかし最近のトヨタは、国産自動車メーカーの中でも最もモータースポーツに傾倒している1社となった。きっかけは豊田章男氏の社長就任だ。豊田社長は自らもニュルブルクリンク24時間レースに参戦するほどのクルマ好き。出演したバラエティ番組で、ドリフト走行を披露したこともある。09年にはリーマンショックによる業績悪化で赤字転落したことを受け、F1からの撤退を決断したが、それでも、モータースポーツに対する熱が衰えることはなかった。
15年の組織変更ではモータースポーツ本部が誕生。それまでは技術やマーケティングなどを別個に行っていたが、モータースポーツに関する機能を同本部に集約。「GAZOO Racing」の名の下に、モータースポーツに取り組むことになった。ちなみに「GAZOO」とは、1990年代、豊田氏が「クルマとITの融合」を掲げて始めた顧客向け画像情報ネットワークシステムにつけられた名前だ(GAZOO・com)。2000年には社内にGAZOO事業部が誕生、豊田氏は担当役員を務めている。それだけにGAZOOに対する豊田社長の思いは強く、モータースポーツにも転用したというわけだ。
モータースポーツに対する豊田章男の思いとは
トップがこれだけモータースポーツに理解があれば、担当者も力が入る。前述のように、トヨタは今年からWRCに参戦しているが、これまでの7戦が行われ、優勝1回、2位1回で、マニュファクチャラーズランキングでは3位につけている。
なぜ、トヨタはここまでモータースポーツに力を入れるのか。豊田社長は「ドライバーモリゾウのBLOG」(モリゾウは豊田社長がレースに参加する時の名前)を開設しているが、その中でモータースポーツに対する考え方を綴っている。
《レースは競争ですから一刻を争います。想像しえないトラブルも起こります。時間も道具も限られる……そんな状況下でクルマを、“1秒でも早く”、あるいは“1メートルでも長く”走らせようとメカニックは知恵を絞ってクルマを最高の状態に戻します。こうしてヒトもクルマもレースに出ることで本当に鍛えられ、成長していくのだとモリゾウは考えます。(中略)ヒトとクルマが育っていくために……そして“もっといいクルマ”をつくるために厳しいレースに挑戦する。これこそが、創業の頃から変わらぬ“トヨタがレース活動を続ける意味”でありこれこそが“TOYOTA GAZOO Racing”に宿るブレない精神なんだと思います》
トヨタ以上にモータースポーツに情熱を燃やし続けてきたのがホンダだ。創業者の本田宗一郎がイギリスのマン島レースへの参戦を決めて以来(1954年)、レースはホンダのDNAとなった。またそれが熱烈なホンダファンを生み、その支持に支えられてホンダは成長してきた。
ホンダと言えばF1――そう思っている人も多いに違いない。四輪車の後発メーカーだったホンダが、その技術力をアピールするにはF1で勝つしかない、という本田宗一郎の決断だった。
64年に参戦。当初はリタイア続きだったが、翌年には初勝利を上げ、5年間で2勝を挙げた。その後、排ガス規制に取り組むために一時撤退するが、83年にエンジン供給メーカーとして復帰、88年には年間16勝中15勝を挙げるなど、圧倒的な強さを見せるも、92年にこの第2期の活動は終了する。
その後、2000~08年の第3期、15年から今日にいたる第4期へと引き継がれるが、この間、ホンダのマシン、あるいはホンダがエンジン供給したマシンは一度も勝っていない。
特に今年の「負けっぷり」は見事と言うしかなく、これまで7戦を終わって、獲得ポイントはいまだゼロ。F1は10位に入れば1ポイント獲得できる。それなのにホンダは今年、一度も10位以内に入ることができておらず、その戦闘力の低さはエースドライバーが「他のクルマとこんなにスピードの差があるのは危険でさえある」と言うほどだ。
そのためホンダの4度目の撤退も噂されているが、来年、新チームへのエンジンを供給が決まるなど、まだしばらくは参戦を続ける見込みだ。ホンダにしても、意地でも撤退するわけにはいかないだろう。
モータースポーツの経済効果とは
そんなホンダに久々の朗報が届いたのは5月28日のことだった。3大モータースポーツのひとつ、「インディ500」でホンダマシンに乗った佐藤琢磨が優勝を果たした。
佐藤はホンダのレーシングスクールで技術を磨き、F1参戦時にもホンダマシンに乗っていた、言わばホンダ生まれのホンダ育ち。それだけにホンダのうれしさも格別で、日経新聞に優勝記念の全面広告まで打っている。また6月13日には佐藤がホンダ本社を訪れ優勝を報告したが、八郷隆弘社長が出迎え、「NSX」をプレゼントした。
1年間をとおしてF1に参戦するには、500億円ほど必要だといわれている。ホンダはエンジンなどパワーユニット供給だが、それでも100億円単位だ。ル・マンやWRCは市販車がベースとなっているが、性能を極限まで引き出し、世界を転戦するにはやはり100億円近い費用が必要だ。
そしてこれはけっして戻ってこないお金だ。勝利を重ねればその会社の評価は上がるが、だからといってクルマの販売に直接結び付くわけではない。ホンダが初めてF1に参戦した時のように、後発メーカーが知名度を得るという点では意味があるかもしれないが、ホンダにそれは必要ない。
販売につながらないことは過去の例が証明している。日本車として初めてル・マンで総合優勝を果たしたのはマツダだが、91年に優勝した翌年から、マツダの業績は急降下した。またホンダも、圧倒的強さを誇った第2期参戦後、業績は悪化している。そのため「F1に力を入れ過ぎて経営がおろそかになった」という陰口まで叩かれた。
それでも自動車メーカー各社は参戦を続ける。それは技術力を誇る意味もあるだろうし、豊田章男社長のブログにあるように、よりよいクルマをつくるためでもあるだろう。しかしそれ以上に、クルマへの関心を高める手段としての意味が大きい。
若い人たちのクルマ離れが言われて久しい。現在、就職シーズン真っ最中だが、自動車メーカーを志望する学生が免許を持っていないケースもあるという。
しかも今後、自動運転が普及すればクルマへの興味はさらに薄まってしまう。少しでもクルマへの興味を持ってもらう。レースに興味を持つ人が増え、共通の話題となれば、自らクルマを運転したいという人も増えてくる。地道ではあるが、それが一番近道ということなのだろう。
だからこそ、豊田社長は自らハンドルを握り、広告塔の役割を果たし続ける。
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