黒部への本社機能の一部移転など危機管理への先進的な取り組みを行うYKK。73の国と地域に展開していることもあり、さまざまなリスクへ対策を行っていると思いきや一番力を入れているのは企業精神の普及と共通理解。果たして、その取り組みはどう生きているのか。大谷裕明社長に話を聞いた。聞き手=古賀寛明 Photo=佐々木 伸
大谷裕明・YKK社長が中国で感じた「善の巡環」
―― YKKは世界各地で事業活動を行っています。危機管理の方針も日本で決めていますか。
大谷 現在、73の国と地域で事業展開を行っておりますが、危機管理については基本的なことは共通していますが、後は現地の事業会社が現地の法律にあわせて決めています。ですから一律的なルールがあるわけではないのです。危機管理にベストモデルは存在しませんし、常に課題はでてきます。天災などは、ある程度ケーススタディができますが、コンプライアンスリスクはなかなか難しい。ですから気を遣いますね。
―― 大谷社長は中国に長くいらっしゃいましたがご自身の経験は。
大谷 私は約30年間、中国にいたのですが、その間いつもリスクというものに直面していました。
例えば、日中関係が悪化しますと、中国で事業活動をしている多くの日系企業が苦労しました。江沢民国家主席の時代、中国を強い国にしていく上で防衛力が弱いという課題をあげていましたので、中国の防衛力を上げるために、過去にさまざまな国に侵略されてきた歴史があるといった説明をしていました。二度とこういう目に遭わないためにも、われわれは防衛力を高めなければならないということです。そういう教育を受けてきたのですから、日本と外交上の問題が起こった時には国を挙げて声をあげるのです。
当時、私は中国南部のシンセン市にいたのですが、いたるところでデモがおこり、日本車もひっくりかえされていました。中国における日系企業の事業運営では自分たちに矛先が向くという心配が常にありましたが、一律的な対応策というのはありませんでした。
―― では何ができるのでしょうか。
大谷 それは長年において、何のためにわれわれはその国、その地域で事業をさせていただいているのか、ということをその国、その地域のお客さま、働いてくれている従業員、そして地方政府に対して見せていくことです。それは事業を成功させることで知ってもらいます。雇用機会の創出や税をきちんと納めていくことはもちろんですが、地域に貢献していくことも大事です。
その根底にあるのは法令順守と環境保護。また、企業の姿勢も社内外に浸透させていく努力が必要です。当社の企業精神である「善の巡環」は、創業者である吉田忠雄が「他人の利益を図らずして自らの繁栄はない」という考えを示した言葉で、永久不変の企業精神として継承しています。この企業精神に基づいた事業活動を長年やっていると、不測の事態にもわれわれの立場に立ってくれる従業員やお客さま、地方政府の方々がいて助けてくれるのです。
―― どんなことが起こりましたか。
大谷 先述のデモが起きた時の話ですが、前夜からデモへの参加者をネットなどで呼び掛けていました。当日は、スタート時には10人くらいですが、工場街を進むにつれデモの参加者は膨れ上がっていくのです。そして、当社の工場の前に差し掛かりました。その時に、中国人の幹部の皆さんが、人のバリケードになってくれたのです。「デモに参加するならば自分たちを突き破ってでていけ、そして二度と戻って来るな」と、デモに参加しようとする従業員に対して、会社側に立ってくれたわけです。うれしかったですね。
またそういう時には、中国の他のファスナー供給会社が、今こそ日本の製品など使わず、中国製品を使いましょうと、お客さまに売り込みをかけることもありました。その時に、ある大きなお客さまが私たちの中国人の幹部に連絡してきまして、「ビジネスと政治を一緒にすべきではない。あなた方に発注するから、供給体制をしっかりと整えてほしい」と言ってくださいました。これもまたうれしかったですね。
そういったことを経験しますと、「善の巡環」の精神を踏まえて、すべてのステークホルダーの皆さんに貢献していくと、それが巡り巡って自分のところにも戻ってくるということを実感しました。創業から80数年に及ぶ、実直さが生きたと思いました。
企業の姿勢や行動が結局は企業を守る
―― 中国の幹部の方にも会社の意識が浸透していたのですね。それはどうやって行っていましたか。
大谷 繰り返し、繰り返し話していました。さらに言えば、言葉だけではダメで、こういった成果を上げると利益の還元や福利厚生はこうなるということを日本でいう労働組合に対して約束し、必ず守っていたのです。これはBCPのルールとは違いますが、会社の姿勢や行動といったものを理解、共有できれば、ステークホルダーの誰かがサポートをしてくれるということです。これは仕組みやシステム以上の力です。そしてこれは、中国だけではなく。世界中どこの国でも言える話です。
―― 考えが分かってもらえる半面、言う側の姿勢を強く問われますね。
大谷 いやいや、当たり前のことで約束したことはきちんと守る。そして出来もしないことは言わないということですよ。また、企業精神の浸透にしても、初心を伝えるのが一番伝わります。先ほどの、それぞれの国や地域で事業を営んでいるのはなぜか、ということですね。
そして、創業者や先人の言葉や事例を分かりやすく、ある時などはマンガをつかって、それぞれ地域の言葉で説明しています。細かなことでは、YKKのコンプライアンス基準の説明です。労働条件や勤務時間、賃金、BCPも含まれる安全衛生、環境保護、公正な事業環境といったことです。
―― 近年、ESGやSDGsなど世界規模で企業の姿勢が問われるようになってきました。
大谷 そういった機運がありますね。縫製業においては、2013年にダッカ近郊の商業ビル内にある縫製工場が崩壊しまして、大量の死者が出ました。崩壊しそうな工場で何千人もの人が働いており、そこに欧米のバイヤーが発注していたことで、アジアの成長国の人命を犠牲にしてまで安い製品を欧米で販売していると、消費者団体などから多くの批判を浴びたのです。バイヤーの多くにそうした意識はありませんから、ものをつくっている縫製工場のみならず、資材を納めている工場に対しても労働法を守っているか、安全対策はあるか、BCPはきちんと策定しているかといったことをバイヤーごとに基準を設けるようになりました。
当社でも各国の基準に合致したとしても、バイヤーの基準に合わせなければ製品を納められなくなりますから、もっとも高い基準をクリアすれば他も大丈夫であろうと、法務部や人事部、そして外部の方にも入ってもらって基準を策定し、各地域の統括会社に実行してもらっています。精神論だけではうまくいきませんから具体的な数値や仕組みをつくって対応しています。
―― 企業への見方が変わった背景にはどんなことがあったのでしょう。
大谷 サプライヤーも多いですから、エンドユーザーの選択肢も増え、消費者の声が強くなっています。そうしたことから、社会に貢献している、あるいは環境を大事にしているといった企業の主義、主張を見るようになっているのでしょう。サスティナビリティという言葉も今やどこでも聞かれますが、10年前はあまり聞きませんでしたからね。
YKKの経営理念に共鳴する社員が増えることが一番大事
―― 国内に目を移すと、本社機能を一部移転した黒部では、積極的な地域貢献を行っていますね。
大谷 私どもが深く関係する黒部市は北陸において転入人口が転出を上回る数少ない市です。当社の従業員も移っていますが、数はたかが知れていますので街の魅力が向上しているのでしょう、うれしい限りです。
本来、黒部は生産の立地条件として良いわけではありません。たまたま、東京大空襲で焼け出された創業者が裸一貫で再起を図ったのが故郷の魚津であり黒部だったのです。戦後すぐの輸出港は横浜や神戸ですから、せっかくつくっても製品を港に持っていく運送費がかかりました。でも、黒部市は土地の提供など支援をいただいていますから御恩もありますので、工場を縮小してどこかに移転するという考えはありません。
一つの企業として微力ですが、しっかりと雇用機会を生み、世界に発信する技術の進化も黒部でやっていこうと考えています。その上で、地域のお手伝い、活動を拡大していくつもりです。YKKという会社が黒部にしっかりした事業を行い、地域貢献もやっていくということを子どもさんにも知っていただければ、会社に興味を持っていただける。われわれはメーカーですから、ものづくりを行っていく上で人は大事ですからね。これも長い目で見れば、「善の巡環」の実践です。
―― 黒部では自然を生かしたパッシブタウンをつくりました。
大谷 前会長の吉田(忠裕氏)が、自然エネルギーを使った住宅の研究で人の暮らしに役立てたいということで社宅跡地をつかって始めました。黒部は地下水の層が地表に近いところにあり、あいの風といった地域特有の季節風もあるので、その地下水や風を利用して住環境を良くする街です。また、グループには窓を製造販売しているYKKAPもありますので窓の断熱についての研究も行えます。
現在、第3街区までできているのですが、第1街区はエアコンを必要としないコンセプトで始めました。ただ室温自体は想定通りですが梅雨時の湿度が難しい。さまざまな住環境に関する知見について、住んでいただきながら研究を進めています。最終的には25年までに6街区までの建設を考えています。ただ、これは事業としてやっていく意図はなく、新たな建築工法の確立に貢献したいという想いで始めています。
―― 事業や地域貢献といったバランスの良さを維持していくにはどんなことが大切ですか。
大谷 それは経営理念の浸透だと思います。繰り返しになりますが、入社以降、私たちはいったい何者で、何のために社会で事業活動を行っている会社なのか、ということを徹底して語り掛けています。それに共鳴してくれる社員が増えれば増えるほど、未来永劫企業が続いていくのかなと考えています。
そして、私どもが事業運営上やりやすいのは、最大の株主が社員だからです。ですから、ある意味、株主利益優先ということもイコール社員を大事にすることです。その社員に支払う給与、賞与、福利厚生のコストはすべてお客さまに頂いたものです。ものをつくり、買ってもらい、その対価を頂く。これがすべての従業員への対価の源泉なのですから、お客さまを大事にするのは自明のことです。
今、従業員は全部で4万5千人。その内海外が2万7千人。つまり半数以上が海外の方々です。文化とか、生活習慣は違いますが、経営理念は共鳴している社員が増えることが、いちばん大事なことで、それが私の仕事だと思っています。
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