意思決定、行動、やる気から、集団心理に至るまで、私たちのあらゆる活動に深く関わっている「脳」。本コラムでは、最新の脳科学の見地から経営やビジネスに役立つ情報をお届けします。(写真=森モーリー鷹博)
筆者プロフィール
Q:『経営理念やビジョンをつくることは必要なのでしょうか?』
A:経営理念やビジョンを作っている会社は成長しやすいことが示唆されています
私もこの仕事をしていると、経営理念やビジョンを作ったほうがいいのでしょうか?というご質問を受けることがよくあります。会社によっては企業理念(例えばファーストリテイリングやヤクルトなど)とも呼ばれることがありますが、昔からこの経営理念やビジョンについては、その是非について組織の間でも長年議論されてきました。
経営/企業理念については、そのビジネス上の効果に相関性が認められないことを示すものも一部あるのですが、一般的にこれまで多くの研究が適切な条件を満たした企業理念やビジョン(ミッションステートメントも含む)は有効に機能することが示唆されています。
例えば、米国の1995年の研究では、明文化された企業理念やミッションステートメントを掲げている企業は、そうでない企業に比べて2倍の株式資本があるということが報告されています(*1)。
また、2005年にフォーチュン100社の経営理念の数や内容と、3年間のROA(総資産利益率)を調べた研究では、ウェブサイトに複数の価値観を掲載している企業ほど財務業績がよく、理念が他の会社と異なっているほど、売り上げが高いことも報告されています。
大和総研グループが2014年8月13日に発表した報告書によると、『過去5年間、連続して営業利益の増加率が10%を超える』成長著しい企業37社を調べたところ、37社のうち33社(92%)がホームページ上で経営ビジョンを公表していることも報告されています(*2)。また、他の研究ではミッションステートメントと企業のパフォーマンスは相乗効果があるという結果も出ています(*3)。
経営理念をつくると組織が成長しやすくなる理由
それでは、何故、経営理念をつくると組織が成長しやすくなるのでしょうか?
実は経営理念の基本となる構成要素は、経営者が大切にしている考え方、価値観になります。経営理念には、『価値観型』と『ミッション/ビジョン(具体的な成果を明確にする)型』に分類できるのですが、それぞれによって効果が変わることが脳科学の研究で示されています。
例えば、価値観型で有名な例は、Amazon.comで『地球上で最もお客様を大切にする企業であること』という企業理念を提唱しています。また、メルカリは『新たな価値を生み出す世界的なマーケットプレイスをつくる』という理念を掲げており、ミッション(ビジョン)型に分類されます。実は設定する理念がどんなタイプかによって、社員のパフォーマンスに違いが生まれる可能性があるのです。
価値観型の経営理念が与える影響
まず価値観型については、社員の能力を変化させる力があることが研究から示されています。
分かりやすくするために極端な例を挙げますが、例えば『人は信じてはいけない』という強い価値観を仮に社員に持ってもらうと、顧客と接するときに脳が相手を信じられない理由を見つけようとするため、コミュニケーション能力が下がることが分かっています。その結果、相手にかける言葉も変化(行動レベルも変化)するため、良好な人間関係が得られにくいことが分かっています(環境レベルに影響)。
逆に『人は信頼できる大切なパートナー』という強い価値観を持った人は、目の前の相手を理解する能力が高まることも分かっています。能力レベルの変化は、行動レベルに影響します。その結果、コミュニケーションも良好になり、顧客満足度も向上することになるのです。
人の価値観が能力、行動に影響して、得られる環境を変化させるというモデルは、『ニューロロジカルレベル』とも言われており(図を参照)、人や組織が変化するしくみとして最もシンプルなモデルとして使われています。
つまり、組織の人達がどんな価値観を持つかで、社員の能力が変わり、行動が変わって、得られる結果が変わっていくのです。
ミッション型の経営理念が与える影響
一方でミッション型の理念は、脳科学的には別の効果があることが分かっています。私達は、明確でワクワクするような目標を設定すると、ドーパミンやセロトニンなどの脳内ホルモンが分泌されてパフォーマンスが高まることが分かっています(*4)。
メンフィス大学のマイク・ビーズリー氏は『自分が楽しめる目標を設定する人ほど、実現可能性が31%高まり、普段のパフォーマンスにいたっては約46%も向上する』と報告しています。
また脳には頭に思い描いた情報を検索するという機能があるため、目標を持ったほうが情報が目に入りやすく、成果を実現しやすいことも分かっています。
ここで興味深いのは、社員が理念を理解すると、社員の幸福度(内的満足)まで高まることが報告されていることです(*5)。
米国の企業の研究によって、幸福度は組織のチームにおけるパフォーマンスを高める作用も報告されています。そのため、社員が理念を理解すると組織のパフォーマンスも上がり、企業も大きく成長していくことが予想されるのです。また、理念が浸透している組織では顧客満足度も高まることも報告されています(*5)。
成果につながりやすい経営理念とは?
ここまでお伝えすると、理念やミッションを設定することがいかに大切か分かるかもしれませんが、ただ、企業理念はつくれば何でもよいかというと、そうでもないことが示唆されています。
例えば、理念やビジョンを作っても売り上げが下がる組織もありますし、理念を社員に共感してもらったり、浸透させたりしなければ成果にはつながりにくくなってしまうことが予想されます。
それでは、どのような理念やミッションが成果につながりやすくなるのでしょうか?
それを考える上で、脳の性質を知っておくことが大切になってくるのです。
1つ有名な脳の性質があるのですが、私達ヒトは不思議なことに『自分のためよりも人のためのほうが力が出る生き物』であることが分かっています。例えば、朝なかなか起きられない習慣がある人でも、子供の弁当をつくるためなら朝起きられるということはあるのではないでしょうか?
私達は自分のためだけだと力が出ないのですが、『人のため』となったときに自分でも驚くような力が出る場合があります。
以前、テレビのドキュメンタリーで見たことがあるのですが、子供が2トンの車の下敷きになったのを発見した母親が、その姿を見て叫びながらすごい勢いで車を持ち上げたのです。普段は決してそんな力はない女性が、子供のためにという想いになった瞬間、自分でも驚くほどの力が出たそうです。
昔から火事場の馬鹿力と言いますが、本当に存在することが示されています。私達は社会的な生き物であるため、人のために力が出る人のほうが生き残りやすかったのかもしれません。
私達の中には素晴らしい力が眠っているのですが、脳にはリミッターがあって普段は力を出さないように制限していることが分かっています。しかし、脳は人のためだとどうやらそのリミッターが外れるようなのです。
人や社会のための経営理念をつくる効果とは
また、人のために行動する人は、幸福度まで高まることが最新の研究で分かっています。
これはブリティッシュ・コロンビア大学の研究ですが、3000〜8000ドル(30〜80万円)のボーナスのうち、自分のためと自分以外のためにどのくらい使うのかをリサーチしました。
その結果、自分のためにお金を使う人よりも、収入の多くを自分以外のために使う人(食事をご馳走したり、友人にプレゼントしたり、人を応援するために使うなど)のほうがはるかに幸福度が高いことが分かったのです。
つまり、自分のため(自己完結型)よりも人や社会のための経営理念があると、社員の幸福度が高まりやすく、意欲も高まりやすいことが示唆されています。幸福度が高いチームはパフォーマンスも高まるため、会社の成長にも影響します。
特に女性は男性と異なり、大きな目標よりも身近なものに貢献したいという気持ちが本能的に強いことが分かっています。これは母性本能に近く、古来から子供を育てるために女性に本来備わった能力になります。
そのため、女性が多い企業については、途方もないビジョンを掲げるよりも、女性のために、子供のためになど、身近な人達に貢献することで社会創造を行う価値観型の理念がかなり有効に機能することが予想されます。
また、人のためにという姿勢を持つことが素晴らしい結果を生み出すことが、近年の脳科学においても示唆されています。それが、私達の脳をスキャンすると『人のため、つまり、思いやりを持ったときに活性化する部分』と『セルフコントロールを制御する部分』がなんと同じ場所にあることが分かったのです。
つまり、自己中心的な人は自分をコントロールする力が弱く、人のために活動したいと思える人はセルフコントロール力が高まることが示唆されているのです。人や社会にフォーカスした思いやりに溢れる経営理念や ビジョンが浸透すると、社員のセルフコントロール力が高まり、生産性すら高まる効果もある可能性があるのです。
経営理念とビジョンが効果を発揮するために必要なこと
経営理念やビジョンは設定しただけでは十分な効果は期待できないかもしれません。理念とビジョンが組織に浸透して初めて効果を発揮することも示されています。
また、他の報告ではミッションステートメントを常に修正している企業は、そうでない企業に比べて、財務的に約30%も高い決算報告があるという結果も出ているようです。
経営理念を浸透させるためには相当な企業努力が必要になると思いますし、修正が必要なこともあるかと思います。時間がかかることもありますが、組織の成長には欠かせない大切な要素になりますので、是非大切にされてみてください。
<参考文献>
(*1) Chrales A. Rarick & John Vitton, “Mission statements makes cents”, Journal of Business Strategy, Vol.16(1), p.11-12, 1995
(*2) 大和総研グループ、2014年8月13日、ビジョン/中期経営計画
(*3) Christopher, K. Bart & Mark Baetz, “The Relationship between mission statements and firm performance”, Journal of Management Studies, Vol.36(6), p.823-853, 1998
(*4) 西剛志、『脳科学的に正しい一流の子育てQ&A』ダイヤモンド社のp.50を参照
(*5) 『経営理念の浸透が顧客と従業員の満足へ及ぼす効果』, Japanese Journal of Administrative Science, Vol.21(2), p.89-103, 2008
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