松本紹圭「ひじりみち」(『経済界』2021年2月号より加筆・転載)
斎藤幸平氏が唱える新たなマルクス像
右翼と左翼。保守と革新。政治の言説につきもののこれら二項対立の概念は、実際にどれほど有効に機能しているでしょう。SNSで「パヨク」「ネトウヨ」と罵り合う人々が、お互いにその言葉で指し示しているものは一体なんなのか。
実体が分からないまま、二分化が加速する右と左の間で、個人的には、常に仏教で説くところの「中道」をいきたい。それは右と左の中間地点に在るものではなく、右も左も分からぬままに変化を続ける世界の中で、自分にとっての「ど真ん中」を探り続ける終わりなき営みのことでもあります。
今、国内外で注目される経済思想家の斎藤幸平さんは、そうした混迷を深める世の政治議論に光を当ててくれる存在と私は感じています。斎藤さんは、新進気鋭(という言葉が今これほどふさわしい人を他に知りません)のマルクス研究者。かつては多くの優れた研究者たちが究めたマルクス研究に改めて取り組み、ドイツの研究所に保管されるマルクス、エンゲルスの遺したメモなどの資料をあたり、これまで明らかにされてこなかった新しいマルクス像を描き出そうとされています。
斎藤さんとは、知人の紹介で先日お話を伺う機会をいただきました。アカデミックな世界で大きな実績を出しながら、幅広い人々に分かりやすくも刺激的なプレゼンテーションでマルクス思想の魅力を伝える器用さも持ち合わせた斎藤さんは、これからのご活躍がますます楽しみです。
新・共産主義を志向する世代「ジェネレーション・レフト」
斎藤さんから私が学んだことや考えたことを、ここに述べてみたいと思います。
コロナによってますます加速するようにも見える世界の分断。同時に、世界中で、より良き自治をつくる「コモンズ」を取り戻そうという動きが見られます。
特に、未来社会の変化に最も大きな影響を受ける若い世代の間には、「ジェネレーション・レフト」とも言うべき脱成長コミュニズムへの傾倒が顕著です。ヨーロッパを中心にミュニシパリズム(地域主義、地方自治主義)が広がりを見せ、地方自治体は国境を越えて異なる都市と協力関係を結ぶようになりつつあります。
その文脈において必ず取り上げられるバルセロナは、脱成長コミュニズム宣言ともいうべき内容の気候非常事態宣言を表明しました。フランスでは市民の中から「くじ引き」で議員が選出される市民議会が立ち上がり、職業政治家が推進する政策よりも科学的かつ合理的に妥当な大局観のある政策が提案され、成果を上げているといわれています。
アメリカ大統領選を見ても、若い世代ほどコミュニズム志向にあるのは明らかですが、それが、中国やロシアなどいわゆる共産主義国の支持とは異なる性質にあることも明白です。
新しいコミュニズムが若者を惹きつける理由
若者を惹きつけているのは、限界を迎えた現在の資本主義システムを乗り越えてゆくべく、市民主導によるコミュニティやコモンズを中心に据えた、本来の広義な意味のコミュニズムです。西側諸国の1%の富裕層が99%の富を独占する金融資本主義と、一部の共産主義国に見られる限られた政治エリートが絶対的な権力を握って富を操る独裁的政治体制は、等しく乗り越えてゆくべきシステムと彼らはとらえていることでしょう。
国内においても、既存の政党政治の枠組みにおいて「Japanese Communist Party」と英語表記される日本共産党を支持する若者の割合は、これまで以上に高まる可能性があります。これも、若者たちの間にいわゆる「サヨク化」が進んでいることのあらわれとは限りません。
恐らく彼らの多くは、必ずしも既存の政党としての共産党を積極的に支持したいわけではなく、既存システムを超えてゆく新しいコミュニズムの姿を(少なくとも他の選択肢よりは)多少なりとも感じられる選択肢に対して、消極的支持を与えているにすぎないととらえることが自然です。
彼らが求めているのは、もはや社会に分断を生む政治的イデオロギーではないでしょう。気候変動など地球規模の課題を前に、人類社会がイデオロギーを巡って内輪もめをしている場合ではないと、最も強く感じている世代です。
かつてのコミュニズムには、これまでの歴史の中で政治的イデオロギーの手垢がつきすぎた感が否めません。壁を作り、囲い込み、分断を生む性質を「religious(宗教的)」と呼ぶならば、かつてのコミュニズムは「Religious communism」とでも名付けられるでしょうか。
まさに宗教に対して”spiritual but not religious”な気分が広がる現代において、今生まれつつある新しいコミュニズムは「Post-religious com
munism」と表現することができるかもしれません。
こうした中、斎藤さんが再発見しつつあるマルクスは、今の若者たちが志向する広義の意味でのコミュニズムに連なっているように思います。その意味で、従来の共産主義大国にとっての本当の脅威とは、もはや、既に折り合いをつけて取り込み活用してきた資本主義ではなく、広義のコミュニズムの拠り所として新たに斎藤さんが再発見しつつあるマルクス思想そのものかもしれません。
注目を集める齋藤幸平さんの言葉に、今後日本のメディアがどのように応じるのか、もしくは応じないのかも興味深いところです。
ジェネレーション・レフトの受け皿は生まれるのか
このように、「ジェネレーション・レフト」は政党政治における左と右の指示にそのまま結び付けることはできません。
海外では「新しいコミュニズム」を志向しつつ、気候変動など喫緊に人類が共に取り組むべき危機的状況を踏まえた、グリーン(エコロジー・環境保護)系の政党への支持が各地で高まっているようです。日本でも、こうした層の受け皿となり得る選択肢「Post-religious communism」が、今後生まれてくるでしょうか。
即心是仏、人の心は即ち仏そのもの。そもそもは分断などないこの世の姿、本来の心のありようへと、私たち自身が共に戻りゆく時代を迎えているのかもしれません。そして、私自身は慎重に、時に大胆に中道を問い続けたいと思います。