学習塾「坪田塾」の塾長である坪田信貴氏は、吉本興業の社外取締役でもある。
「最近、塾は私の『右腕』に任せています。もちろん相談に乗ったりアドバイスはしますが、『右腕』に任せられるようになったタイミングで吉本興業の大﨑洋会長と出会い、今は死ぬほど吉本にコミットさせられています」と笑うが、ここで登場する「右腕」だという坪田塾の社員も、入社前はビリギャルに負けず劣らずの個性的なキャラクターの持ち主だった。そこから「右腕」になるまで、坪田氏が手塩にかけて育ててきた人物だ。
中高生だけでなく、社会人の育成でも力を発揮する坪田氏の指導法とはどのようなものなのか。そのヒントを探る。聞き手=唐島明子 Photo=山田朋和(『経済界』2021年2月号より加筆・転載)
坪田信貴氏プロフィール
「坪田塾」塾長と吉本の社外取締役を兼務
―― 現在はどのようなビジネスに携わっていますか。
坪田 メインの仕事は学習塾「坪田塾」の塾長です。主に大学受験を対象とした塾で全国に12校舎あり、これから上場しようと考えている段階です。ただ、今一番時間を取られているのは、吉本興業の社外取締役の仕事です。
ほかには人材育成コンサルタントとして、企業の社員研修の講師もお受けすることがあります。これまで研修の講師をしたのは、吉本興業はもちろん、トヨタ自動車、デンソー、日本生命、明治安田生命など。研修の対象は役員、管理職、新入社員と幅広く、先日は東京海上日動の本社でマネジメントの研修をしました。またサッカーチームの東京ヴェルディでは、選手たちをどうコーチングしたらいいか、監督やコーチの方々向けの研修をしたこともあります。
―― 一番時間を取られているという吉本興業の社外取締役としては、どんな仕事をしていますか。
坪田 吉本興業は芸人さんの芸能事務所だと思っている方が多いでしょうが、実態は全く違います。
吉本興業はさまざまな事業を展開している総合エンタメ企業です。NTTやクールジャパン機構とともに教育プラットフォーム「ラフ&ピースマザー」のコンテンツ制作・配信などの事業を展開していたり、47都道府県に「住みます芸人」を居住させて地域活性化・地方創生に取り組んでいたり、2021年からはBS放送「よしもとチャンネル(仮)」も始める計画ですが、私はこれらの事業にも携わっています。
「坪田塾」の指導方法とは?
相手のジェネレーションに合わせたコミュニケーション
―― 数多くの大企業で、しかも役員から新入社員まで幅広く社員研修の講師をしていますが、どのようにして企業から声が掛かるのですか。また、坪田さんの研修には何か特徴があるのでしょうか。
坪田 社員研修の講師は、ほとんど口コミで広がって声を掛けていただいています。「良かった」と言って下さることが多く、本当にありがたいですね。
私が最も重視しているのは、相手のジェネレーションや好みに合わせてコミュニケーションすることです。それは塾の指導でも会社経営でも同じことですので、役員や管理職の方々にそのお話をしたりします。
坪田塾に来る子どもたちは、塾にきてお金を稼いでるわけではありません。塾で勉強しようがしまいがそこに彼らの生活はかかっておらず、ちょっとでもイヤなことがあればいつでも辞めることができてしまう。つまり塾は、流動性が高い商品を扱う企業を経営しているのと同じなんです。塾では、そんな流動性が高い彼らをマネジメントしながら、比較的短期間で成果を上げなければなりません。
―― 学生たちを飽きさせないようにしながら、短期間で成果をあげるのは難しそうです。
坪田 そこで先生と呼ばれる人たちの中で、私が一番だと自負しているのは、「日本一ジャニーズに詳しい」ことです。なぜかというと、女子中高生は必ずジャニーズの誰かのファンだからです。
もし目の前にいる生徒が、KAT-TUN(カトゥーン)の亀梨くんファンであれば、英語の教科書にある「Tom likes to play tennis」のトムを亀梨くんに変え、「Mr.Kamenashi likes to play tennis」にしてみる。そうすると亀梨くんファンの生徒は、「亀はね、テニスじゃなくて野球が好きなんだよ」と笑顔を見せながら楽しそうに話すのですが、その瞬間に彼女の中で英文が意味を持つようになります。
さらに生徒に、「じゃあ、Mr.Kamenashiはテニスじゃなくて野球が好きですって書いてみて」と問題を出すと、うれしそうな表情で英文を書き始めます。
―― 確かに、主語を変えるだけで、英文との間の距離感が変わります。
坪田 相手が好きなものに主語を変えた瞬間、相手の中で当事者意識が生まれる。自分に関係があるものだと認識することで、効果が変わってきます。
経営層の方々が部下に何かを説明するとき、「何かと野球で例えがち」という問題があります。「その仕事ぶりは3割打者だな」とか、「さっきの失敗はダブルスチールみたいなもんだぞ」とか。
しかし、そう説明されても、野球に興味がない人たちにはほとんど伝わりません。高校球児だった社員との会話であれば野球で例えてもいいのですが、そこは相手に応じて変えなければなりません。サッカーが好きな人であればサッカーで、しかもレアルマドリードが好きだったらレアルマドリードで例えたほうがいいに決まっています。
初めの一歩のポイントは「ちょっと頑張ればできる」
―― 坪田さんは学生だけでなく、坪田塾の社員の皆さんの育成も行ってきました。社員の方々を指導をする上で大切なことは何ですか。
坪田 勉強ができるとか仕事ができるというのは、自信があるからできるとか、自信がないからできないという話になったりします。では、問題が解けるから自信があるのか、あるいは自信があるから問題が解けるのか。つまり卵が先か、鶏が先かという話につながります。
心理学では「正統的周辺参加」という考え方があります。例えば、村というコミュニティでは、村に生まれた子どもたちが村にコミットし、将来的に村を守る存在になるように育てていく必要があります。
そこで使われるのが「祭り」です。幼い時はかわいい小さなハッピを着せられ、頭にはハチマキを巻かれ、お母さんと一緒にみこしの後ろを歩く。そして成長するとともに子ども用のみこしを担いだり、大人に混ざって大きなみこしを担いだりしながら、成人に近づくにつれて祭りの計画を立てる側になる。子どもの年齢や能力に合わせて、周辺から徐々に参加させていきながら、中心人物へと育てていく。これを正統的周辺参加と言います。
勉強も仕事もこれと全く同じで、勉強だったらその生徒がちょっと頑張ったらできる教材、仕事だったらその社員がちょっと頑張ればできるタスクやプロジェクトを選定し、与えることが大切です。
―― 「ちょっと頑張ればできる」とは、具体的にどのような教材や仕事でしょうか。
坪田 具体的にはマルが6割、バツが4割になるような教材を与えるようにしています。ビリギャルのさやかちゃんに出会ったのは彼女が高校2年生の夏休みでしたが、最初に与えたのは小学4年生のドリルでした。それだとマルが6割、バツが4割くらいで、頑張ると「できた!」となる教材だったからです。
最初からマルが9割くらいのものだと、簡単すぎてつまらない。かといって、高校2年生だからと高校2年生のものを与えてしまうと、全然分からなくて全部バツになって、やる気をなくしてしまうんです。
スキーでも、初心者の時は初心者用の坂でボーゲンから練習し始めますよね。でも、ずっとボーゲンだけでは次第に面白くなくなります。初心者用の坂でボーゲンができるようになれば、中級者用の坂へ行き、さらに上達したら上級者用へ行って練習します。逆に、初心者なのに、初めから上級者用の坂に連れていかれたら、怖いし、滑れないという失敗体験に襲われて、もうスキーは嫌だってなってしまいます。
―― 仕事になると、どんなタスクがマル6割、バツ4割にあたるのか、イメージがわきません。仕事の場合はどう考えたらいいですか。
坪田 基準は簡単で、指導する側が少しだけ手伝ったり、ちょっとだけアドバイスしたらできそうなタスクやプロジェクトを選んで与えるということです。逆に、指導する側がそもそも何をしたらいいかよく分からなかったり、とにかく丸投げするようなものはだめです。
指導は能力・経験値の現状把握から
―― 今となっては右腕になった社員は、もともとどんな方で、どう成長していきましたか。
坪田 坪田塾の採用面接に来た当時、彼は36歳。それまで契約社員で働いていたそうなのですが、「そろそろ正社員になったほうがいいかもしれない」と考えて仕事を辞め、転職活動をしている人物でした。
その経歴を見た時点で違和感を抱いていましたが、さらに実際に対面した面接では、仕事とは一切関係ないのに空手の話を延々としていました。転職面接なのに自分が興味があることばかりひたすら話す。社会人としてどうかなと感じましたが、そこまで1つのことにのめり込めるのは才能だなと思って採用を決めました。
右腕や左腕を育てるときは、まず、その時点でその人はどれくらいのことができるのか、現状の能力というか、経験値を把握する必要があります。それで少し手伝ったり、アドバイスをしたらできそうなプロジェクトを選んで与える。すると、頑張ったら成功しますし、成功したら自信がついて成長もする。マルが6割、バツが4割のプロジェクトを選定して与え、一緒に頑張ろうと励ましながら伴走していくことを繰り返す。これを10年も続ければ想像以上に成長します。
坪田塾の新しい校舎を出すときも、はじめの3校舎までは私が取り仕切っていましたが、今では事後報告です。校舎を作る場所の選定からマーケティング、そしてメンバーの教育とかもすべて右腕の彼がやってくれています。
―― 塾関連の仕事は、坪田さんの手を離れてしまったんですね。
坪田 教育事業をやっている人は、その状態にならないとおかしいですよね。人を育てる仕事なのに、社員が育っていなかったら、それはどうなんだろうと。
私は私で、どんどん次のステージに進んで、新しいことに挑戦したいですね。それで教え子たちが社会人になり、それぞれいろんなジャンルの仕事に就いてからも彼らの相談に乗れる。それでみんなのあこがれの存在になるのが理想です。