今回のゲストはコモンズ投信会長の渋澤健さん。「日本資本主義の父」として、日本初の銀行や大学、約500もの企業の設立に関わった渋沢栄一氏の5代目子孫です。今も国内外の人々に影響を与える渋沢イズム。これからの社会、日本の在り方についてお話ししました。聞き手&似顔絵=佐藤有美 構成=大澤義幸 photo=市川文雄(『経済界』2021年3月号より加筆・転載)
渋澤 健氏プロフィール
時代を超える渋沢イズム
佐藤 渋沢栄一氏は、2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公で、さらに24年からは新1万円札の顔になります。時代を超えて愛される存在と言えますが、子孫としてのご感想は?
渋澤 感想は、と聞かれても(笑)。新札の件は国から事前に連絡もなく、突然たくさんのお祝いメールが届いて驚きました。この刷新で素晴らしいのは、新5千円札が岩倉使節団の一員で津田塾大学を創設した津田梅子氏(ダイバーシティと教育の領域)、新千円札は破傷風菌の医学者の北里柴三郎氏(ライフサイエンス領域)で活躍された方で、渋沢(実業領域)と併せて、サステナブルな社会を象徴していることです。江戸時代から近代日本への変革期に活躍した渋沢の思想は、平成から令和になった今も通じるものがあるのでしょう。
佐藤 まさにそうですね。著書『論語と算盤』も、メジャーリーガーの大谷翔平選手をはじめ、国内外の幅広い世代に読まれています。
渋澤 渋沢が遺した言葉は大きな財産です。本を読む時に大切なことは、そのエッセンスを今の言葉に置き換えて考えてみることです。
例えば渋沢の「道徳経済合一説」は、先ほどの「サステナビリティ」に置き換えられます。これは1人の経営者が大富豪になっても、それ以外の多数が貧困になっては、幸福は継続しない。商売でお金を稼ぐこと(算盤)は必要だが、同時に武士道の精神で何が正しいかを考えて行動(論語)しなければ時代に取り残されてしまう、という考え方です。
佐藤 その考えの下、渋沢氏は名だたる企業や銀行をつくり、日本の資本主義の基礎を築いてきました。
渋澤 それも、渋沢は企業や銀行の設立を目的に行動してきたわけではなく、結果そうなったんです。長年鎖国をしていた日本が世界に門戸を開く時に、プレゼンスを高めなければ見向きもされません。当時の日本には軍艦や大砲を持つだけの国力がなく、信用もなかった。そこで民間の人々が働いて財を生み、いかに国力を高めていくか。今でいう「エンパワーメント」です。
さらに単に商売をするだけでなく、信用を得るために、人々にも「嘘をつかない」「約束を守る」といった道徳観が求められました。昔も今も信用があれば資金調達でき、失敗しても再挑戦できます。この結果、日本は経済大国になったのです。
佐藤 渋沢氏の功績はもちろんですが、その思想の深さに感動します。
令和時代は世代交代が加速、新たな成功体験を求めよ
佐藤 少子高齢社会の現在は、大量消費・大量生産の頃の成功体験が通用しなくなり、さらに新型コロナ禍もあって、経営者にも意識と行動の変革が求められています。
渋澤 そうですね。高度経済成長期は大勢の人々が都市部にやって来て、そこにある「規格」に当てはまる行動を取れば、その答えとして豊かさを得ることができました。正しいことが決まっており、他人と同じことをやれば成長できた時代です。
しかし、現在はSDGsの社会的課題などもあり、企業を取り巻く環境も変わり、皆が一様に同じことをやっていては社会も会社も持続できません。社会的課題に対しては、国がどれだけお金をかけられるか、その投資は未来からの借金だと考えるとサステナビリティが問われますし、経営者が経営の新しいベクトルをつくるには、異なる歯車をいかに組み合わせていくかが重要となります。
佐藤 日本人は良くも悪くも、時間を守る、指示に従って行動する「優秀な労働者」が多いと言われます。しかし、東日本大震災の時もそうでしたが、新型コロナ禍でそういう右へならえのやり方が一変しました。
渋澤 日本人は社会的課題を解決し、サステナブルな社会に導く高いポテンシャルを持っています。しかし、「前例がない」「組織に通りません」「誰が責任を取るのか」という口癖が挑戦する行動を制限します。この言葉を使わないというルールを作れば、多くの課題が解決しますよ。
佐藤 分かります! 弊社でも取り入れたい(笑)。他人事ではなく、自分事にする、ということですね。
渋澤 おっしゃる通りです。過去の成功体験が通用しない現代は、世代交代が加速します。例えば新型コロナがはやる前は会社に行くことが仕事だった人も、成果を出せば働く場所に縛られないと気づいたはず。
そこで私たちがまずやるべきは、令和時代に合った新しい価値観、正しい成功体験を創ること。昭和時代の成功体験の象徴は、団塊世代中心のメード・イン・ジャパンでした。これは成功しすぎてアメリカからバッシングされました。平成時代は団塊ジュニア中心の、海外現地で物を作るメード・バイ・ジャパンでした。これは一定の成功を収めたものの、今度はパッシングされました。
令和時代はメード・ウィズ・ジャパンです。新興国をはじめとする世界の社会的課題に対して、日本が解決策を提案し、相手の国と一緒に経済成長していく。その中心にいるデジタルネイティブ世代の若者は、既にインターネットで国境を越えて世界とつながっています。日本に暮らし、働きながら各国の社会を豊かにできれば、「日本は素晴らしい。大切なパートナーだ」と認知されます。これは少子高齢社会の日本の新たな成功体験になります。
佐藤 近年は渋沢氏のような社会事業を志す若者も増えましたし、彼らが中心となって日本を創っていくのは希望の持てるお話です。本日はありがとうございました。